開戦、その118~憐れむ男と哀れな女⑪~
剣の風を発動させた後のことも考え、彼に対抗しうる者を控えさせている。これだけの包囲網から逃げられるのだとしたら、ある意味ではもう打つ手はないかもしれない。だから当然、自分たちが敗北した後のことも考えてある。
今、クイエットの興味は自分に注がれている。これこそがゲルゲダが望んだ状況だった。挑発を続けることで自分の土俵に引きずり込む。相手は自然災害にも例えられる化け物だ。対する自分は、剣も実力も卑小。ゲルゲダは決して、過信しない。
「剣の風ってのは、誰も姿を見たことがねぇからこそ強かった。その妙ちくりんな武器を発動させるまで、相手が警戒しねぇもんな。お前、正面から戦った時の剣の腕はどのくらいだ? 俺に勝てるか? カナートには? グレイスの剣を受けられるか? ミレイユの速度についていけるか?」
「・・・さてな」
「相手の油断がなきゃあ、何もできねぇんじゃねぇのか? そうやって、フェリンとかいう娼婦も殺したのか?」
フェリンという言葉に反応するように、クイエットが飛び出してゲルゲダに打ち込んできた。表情は冷静なまま、ただ剣の風を発動させもしていないことから、相当怒っていることがわかった。これも想定通りだと、ゲルゲダは内心で笑いたくなると同時に、激しい怒りが湧いた。
ゲルゲダはサイレンスという人形たちのことを、誰よりも理解しているつもりだ。彼らは等しく強い怒りを抱いている。それこそ、人間を根絶やしにしかねないほどの怒りを。黒の魔術士の行動を追う過程で、全く違う意図をもって動いているとしか思えない連中がこの人形たちだった。ゲルゲダは臆病で卑屈だからこそ他人の感情に敏感で、だからこそ彼らの怒りは人間に限らず、この大陸の生きとし生ける者全てに向けられているように感じられた。ろくでもない両親を持ち、まっとうな生き方をしてこなった人間不信のゲルゲダだからこそ、人形と人間の違いに気付けるのは何とも皮肉なできごとだった。
観察を続けるうち、人形には個体差があることに気付いた。ゲルゲダの調べたところでは、彼らには2種類の人形がいた。同じ行動を繰り返しているだけかと思えば、明らかに人間のように思考して活動する連中がいる。
同時にゲルゲダは想像した。もし人間と同様の思考や自我を持つさらに上位の個体がいたとしたら、それは人間と区別がつかないのではないかと。それこそが、追い求める仇なのではないかと。あの時見た仇の他にもたくさんの人形がいるのなら、根絶やしにしなければ気が済まないと考えていた。
ゲルゲダは何年もかけて人形のことを調べ上げた。そのためには魔術や医術、絡繰り仕掛けの機械工学まで何でも学んだ。そして一つの結論に到達しつつあった。
自我をもつほど人形たちは、人間を嫌悪すると同時に興味も持っている。彼らの中には怒りだけではなく、別の感情もありえるのだとファンデーヌを見ていた気付いたのだ。人間に近づきすぎたゆえの弊害なのか。彼らの感情はたいていが碌でもないが、稀に人間に本当の愛情を抱くこともあるのではないかと考えていた。ファンデーヌに近づいたのは半ば偶然だが、誰かを人形の傍にいさせて行動を観察しようとは思っていたことである。ただそれが自分になろうとは、想像を超える事態ではあった。
だとして、人形を許すつもりも手心を加えるつもりもまったくない。剣の風を倒すには、物理的な剣だけではなく、彼らの根底を抉る武器が必要だと感じていた。ゲルゲダはそれをずっと探し続け、その端緒をつかんだと確信していた。幸いにも、イェーガーが偶然にも自分たちの参加する戦でサイレンスを倒したことが役にたった。彼らの存在は上位依存性。上位個体を倒せば、その配下の人形は一斉に消えることがわかったのだ。
誰が最上位個体なのか。ファンデーヌとクイエットの行動から察するに、いくらかの上位個体が並列して活動している可能性があった。その頂点に近いのが、この2人ではないかと想定する。
この十数年、サイレンスという人形のことしか考えていないゲルゲダは、まさにサイレンス討伐専用の傭兵へと昇華しつつあった。ここからは盤上遊戯の詰めに入る。手番さえ間違えなければ、確実に倒してみせる自信があった。
「なんだぁ? お前、怒ってるのか?」
「・・・なぜフェリンの事を貴様が知っている?」
「言っただろ、お前のことは調べているってよ。監視を付けることには慣れていても、監視を付けられることには慣れていないかぁ? 常にってわけにはいかねぇが、ブラックホークに近い場所にいる時にはいつも見張っていたさ。それに、それを抜きにしてもお前に恋人がいるってのは、団員の噂になってたしな。ブラックホークは注目される立場だし、ドロシーはあんな猟奇的な戦い方と見た目をしているくせに、恋バナが好きだってのは知っておくべきだったな? お前のこともどこから聞きつけたんだか、嬉しそうにグレイスやアマリナに話していたぜ。まぁあんな女どもだからな、お前をからかうようなことはしないことが徒になったなぁ」
「・・・なるほど、それは知らなかった。私が注目される側だったとはな。凡庸な見た目と性格を演じていたつもりだったが、一つ所にいすぎたか」
「それもあるが、フェリンって女は現役の暗殺ギルドの凄腕だ。裏の世界の稼業では結構な有名人でよ、俺もその名前は知っていた。有名過ぎて依頼が来なくなったから、引退じゃないかってところまでな。お前は人間に興味を持たなさ過ぎるんだよ!」
ゲルゲダがクイエットの腹を蹴って突き放した。そこにすかさずベッツが襲い掛かり、合間にグレイスとカナートが斬り込んで牽制する。だが大陸でも有数の剣士に囲まれてなお、クイエットの剣筋は鈍ることがない。それどころか、徐々に鋭さを増しているようにすら見えた。
「こいつっ!」
「強いな」
「当然だ、俺が何年活動していると思っている? ティタニアほどではないが、300年近く辺境などを回って魔物や魔獣を征伐して回っていたんだ。遺物などなくとも、A級程度の依頼にはてこずらんし、人間ごときに後れは取らんよ。例外は、ベッツとヴァルサスくらいのものだ」
「へえ? 俺、すげー認められてんのな」
ベッツが得意そうに自分を指差したので、グレイスに肘で小突かれた。ベッツはとぼけながらも、クイエットとの間合いを離さない。その戦い方に、クイエットは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。相当にやりにくいのだろう。
徐々に冷静さを取り戻しつつあるクイエットを相手に、ゲルゲダはもう少し時間を稼ぎたかった。ベッツは戦いながらゲルゲダに合図を出したが、まだベルンとワイクスからの合図がない。半端な仕上げにはしたくないと考えていたが、以外にもクイエットの方からゲルゲダに疑問が投げられた。
「1つ聞きたいことがある」
「なんだぁ?」
「私は人間の感情を理解しているようで、理解できていなかったのかもしれない。フェリンのことは本当に偶然だった――あとで調べてわかったことだが、彼女はクルムス公国レイファン小王女の側近と友人だったのだ。だから大陸平和会議の最中にアルネリアに来訪し、偶然私を見た。その時シェーンセレノの護衛をしていたのだが、フェリンには北にいると嘘をついていたからな。見られてそのまま黙っていてくれればよかったのに、しっかりと姿を見られた。それは私の失態に違いないが――どうして始末した時にそれほどの凄腕だったフェリンは抵抗もせず、笑顔のまま死んだ?」
ふいに、クイエットの表情が見えなくなったような錯覚をゲルゲダは覚えた。そして同時に、言いようもない悲しみと嫌悪感に同時に襲われた。フェリンの死体は微塵にされていなかった。それどころか、墓をしつらえ丁寧に花まで添えてあった。だからこそてがかりを得られたわけだが、ゲルゲダはその有様を見て悩んだ。ひょっとして、人形が本当に大切にフェリンのことを思っていたのかと。
だが今こうして間抜けな質問をするクイエットを見て、腹が立って仕方がない。そして言いたくもない言葉が口をついて出ると同時に、ワイクスとベルンからの合図が同時にきた。
続く
次回投稿は、11/17(木)20:00です。