開戦、その115~憐れむ男と哀れな女⑧~
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3番隊副隊長のクイエットは自分と3番隊の残りの隊員と共に、自分の天幕でまんじりともしない時間を過ごしていた。
既に季節は真冬。天幕から外に出るだけでも雪かきが必要になることすらあり、外は猛烈に吹雪いていた。これからさらに冬は深まり寒くなると言うのだから、不満を滅多に口に出さないクイエットも悄然として天幕の外の吹雪の音を聞いていた。
「銀世界は美しいと言うが、これではただの自然の暴力だな」
クイエットは帰ってくるはずのない独り言を呟いた。クイエットは別段無口というわけではないが、普段の任務では一言も発することはない。配下の剣士は一言も発さずとも自らの意図を完璧に理解してくれるので、言葉を使用する必要がないのだ。このところ一番会話をしていたシェーンセレノも壊れてしまったせいで個体を挿げ替えると、元通りの無口な個体になった。そのこと自体はいい。余計な騒音が減ったのだから。
だが3番隊と共に行動をしたり、ファンデーヌと会話をする中で、思ったよりも会話に飢えている自分に気付く自分がいた。長く独りで活動していたせいか、思ったよりも他人と接するのが嫌ではないと理解したクイエット。あるいは自らが普通の人間として生まれていたら――こういう可能性もあったのかと考える。
そう一度考えてしまうと、独り天幕で静かにしていても、胸中をかき乱すような思いが去来する。そう言う時には酒でも飲めばいいのかと考えるが、飲んでも酔うことがないので無駄だと諦めた。ただ時々配下どもがちらりとこちらを見るので、奴らなりに何か考えることがあるのかと勘繰ってしまう。ただその会話を始めた時、自らの自我が揺らぎ始めることをクイエットは本能で理解していた。それは怠惰な死にも似ているし、今までやってきたことが全て水の泡になる可能性すらあった。
多くの犠牲を強いてきたことを、後悔など微塵もしていない。ただ一つ、予定外のことがあった。それだけは未だに胸に引っかかっているし、相手の顔が忘れられないのだ。
「フェリン、貴様はなぜ笑っていたのだ・・・婚約していた俺に突然殺されて、悔しくはなかったのか、恨めしくはなかったのか。なぜだ、なぜ悲鳴の一つもあげなかった。抵抗もしなかった――」
その後のことを、クイエットですら説明はできない。なぜクイエットはあんなことをしたのか、自分でもその後一刻の間の行動が説明できない。黙々と配下は従い、なんら疑問すら呈さないことで、余計にクイエットは混乱した。だが統率する立場の者として、その混乱を口にするわけにもいかなかった。最悪、自分が不要だと判断されかねないからだ。だがそんなことを悩み、煩悶すること自体が既に人形としては不要な感情であり迷いであることを、彼らは気付いてすらいない。
その時、天幕の外に唐突に人の気配があった。いや、もちろん徐々に近づいていたに決まっているのだが、この吹雪とクイエットが自分の考えに没頭していたせいで、入り口付近に相手が来るまで気付かなかったのだ。とんだ不覚とクイエットは恥入りながら、一息吐いて気を取り直した。相手が誰かは、足運びと気配でわかっている。他に誰かいたような気もするが、それが誰かまではわからなかった。他の者は天幕から遠ざかったからだ。
外から、聞きなれた声で呼びかけられる。
「クイエット、いるか?」
「いますよ、隊長。外は寒いでしょう、どうぞ」
クイエットは自ら自分の隊長であるゼルヴァーを迎え入れた。ヴァルサスと共に迷宮の探索に向かってから一月近く。経過は使い魔で定期的に報告されていたが、脱出路以外の領域に進行すると決めて以降は何の報告もなかった。
何が起きているのか、おおよそのことは『知って』いたが、詳細はクイエットもまだ知らない。ただ、寒さ以上に蒼ざめたゼルヴァーの表情を見れば、想像もつこうというものだ。そして必要以上に酒を嗜まぬはずのゼルヴァーが、強い酒を持ってきたところを見ても。
ゼルヴァーは乱暴にテーブルの上に酒を置くと、グラスを2つ持ってこさせた。そしてそこに酒をなみなみとつぐと、一つをクイエットに差し出した。
「飲め、クイエット」
「今は非番ですが――隊長、何がありました?」
「ダンダが死んだ。べルノーもだ。その他にも大勢やられた」
クイエットは驚くふりをした。ダンダが急激に成長していたのは知っている。もはや3番隊の枠組みには入らないだろうことも、下手をしたらA級の最上位を狙う実力と知性を身につけつつあることも感じていた。おそらくは、ヴァルサス、ベッツに次ぐ使い手になる。それだけの空気を纏い始めていた。
一方で、べルノーは潮時であることも薄々感じていた。しばらくすれば引退するか、あるいは任務で命を落とすであろうことも。だから、べルノーのせいで他の者が死んだとしても、それはなんら不思議のないことだった。むしろブラックホークを名乗るにしては実力が一段階劣る3番隊の面々は、いつ死んでもおかしくないとすら思っていた。彼らが無事でいるのは、自分の力と采配に寄ることが大きいことも、クイエットは自覚している。今回ダンダが死ぬほどの激戦で、ゼルヴァーとドロシーが無事で戻ってきたことの方が驚きだったかもしれない。
クイエットの返事を待たずして、ゼルヴァーは盛大に杯を煽った。続けてクイエットも少しながら口をつける。飲まないのは変に思われるだろう。そうするうちにも、2杯目をゼルヴァーはどくどくと注いでいた。
「隊長、そんなに量を飲む酒では」
「酔いでもしなければやってられるか」
「いつも冷静なのが、隊長の取り柄では?」
「まるでそれしか取り柄がないとでもいいたげだな? 俺がお前の意図通りに動くのは見ていて面白かったか、ああ?」
――荒れているな。それだけに、読めない。そうクイエットが感じていると、ゼルヴァーはこともあろうに大剣をクイエットの配下に放り出して、どっかりと小さな椅子に腰かけた。
ここまで粗暴な態度をとるゼルヴァーは見たことがない。クイエットの配下もどうしたものかと思いつつ、剣を置こうとして持っていろとゼルヴァーに怒鳴られ、すごすごと2歩ほど下がって天幕に張り付くように後退した。ゼルヴァーは暖がとれる天幕の中で安心したのか、まだ血がついた具足を外してそれを配下たちの方に放りなげた。そして磨いて綺麗にしろと乱暴に命令して、クイエットに酒を促したのだ。
続く
次回投稿は、11/11(金)21:00です。