闇の誘い、その1~悪霊の囁き~
「やっほー、ライフレス」
「・・・ドゥームか・・・」
軽薄な口調と共にライフレスの背後に立つのはドゥームであった。彼は背後に普段通り女性の悪霊4体を引き連れ、明るい表情で立っている。
「悩みごとかい、ライフレス?」
「・・・貴様の知ったことではない・・・それより、何の用だ?・・・」
ライフレスが警戒心も露わに、ドゥームに話しかける。ドゥームはお決まりの降参のポーズでライフレスの殺気だった目線に応えるのだ。
「ああ、もう! そんな怖い顔をしないでおくれよ。君と戦うなんてまっぴらごめんなんだからさ」
「・・・今は貴様の軽口に付き合えるような気分ではない・・・要件次第だ・・・」
ライフレスの態度に冗談をいう雰囲気ではないと思ったのか、ドゥームが真面目な顔になる。
「ボクの仕事、覚えてる?」
「・・・『闇化』だったか?・・・」
「そう、それ!」
ドゥームが満面の笑顔でライフレスに返事をする。
「その仕事をやりに来たんだよ」
「・・・この町でか?・・・」
「ああ。この町の寿命はもうおしまいさ。遅かれ早かれ、ここは色んな意味で限界だよ。それなら、廃れ切る前にボク達の役に立ってもらわないとねぇ?」
くすくすとドゥームが笑い、その様子を鬱陶しそうに睨むライフレス。ライフレスは近頃どうにもドゥームが嫌いだった。最初は小物だと侮り、さして彼の事を気にかけたこともなかったのだが。
「(・・・俺はブラディマリアの言葉を少し気にかけているのか?・・・いや、それだけではないな・・・)」
ブラディマリアはドゥームを指して、いずれ自分達の手に負えなくなると話した。ブラディマリアはああいう一見おちゃらけた性格だが、その本質は決して愚かではない。特に人物を評価する時には、ブラディマリアは嘘を言わない。
だが、それだけではどうにも自分のイラつきが説明できない。このもやもやはどこから来るのか。ライフレスにもそれは分からなかった。
そうこうするうちに、いつの間にかドゥームがライフレスの顔を下から覗きこんでいる。
「どうしたのさ、ライフレス。考え事かい?」
「・・・何でもない・・・」
「そうか。ならもう行ったらどうだい? キミの仕事はアルフィリースの監視だろう? ここはボクに任せて、さ」
「・・・いいだろう・・・」
それだけ言うと、ライフレスはエルリッチと共に姿を消した。ライフレスの気配が周囲にないのを確認すると、ドゥームの声色が変わる。
「で、各自準備は万端か?」
「・・・問題ないわ。各自、自分の城を構築中よ」
オシリアが全員に代わって応える。
「どのくらいで完成する?」
「・・・インソムニアの城が一番早いわ。もう後、月が二度巡る頃には」
「なるほど。リビードゥ、君のは?」
無口なインソムニアは滅多に話さないためオシリアが言葉を代行することが多いが、悪霊の癖に妙に明るいリビードゥは自分から積極的に話すことが多い。その点ではドゥームと彼女はよく似ている。
そのリビードゥが妖しく微笑みながら話すのだ。
「城となるとちょっとねぇ。でも動きは既に始めているから、同調する人間の人数次第って所かしら。長くて2年、短ければ半年かからないわ」
「半年後には君の城を見たいものだね」
ドゥームがユートレティヒトを見ながら答える。その目には今までのドゥームと違い、どこか企みめいた輝きが増していた。今までの彼であれば、刹那的な快楽を得られればよいと思っていただろう。だが、最近のドゥームは少し違う。
「(思ったより計画を練るのは楽しいなぁ・・・こんなに楽しいなら、もっと早くから色々考えれば良かったよ。我慢するほど御褒美が大きくなるとは、アノーマリーのドMぶりも無駄にはならないな。さて、これからどうしてやろう? いかにしてオーランゼブルの目を欺くか。いや、欺くよりもっと・・・)」
またしてもドゥームは何か思いついたのか、くくく、と忍び笑いを漏らす。その彼に、背後からオシリアが腕をからませてドゥームにすり寄る。
「何か楽しい事思いついた・・・?」
「ああ。耳を貸しな、オシリア」
ドゥームがオシリアに耳打ちすると、なんと、いつも無表情なオシリアが笑ったのだ。そしてオシリアはおもむろにドゥームにキスをする。
「最高だわ、あなた・・・」
「だろう? これは実にいい思い付きだと思うんだ。しかしそうなると準備が大変だね。リサちゃんとも遊ぶ算段を整えないといけないし、しばらく忙しくなりそうだよ」
「だったら、たくさん食べて元気をつけないとね!」
マンイーターがユートレティヒトを指さす。その言葉に全員が同意を示す邪悪な笑みを浮かべ、彼らはゆっくりとユートレティヒトに歩いて行った。
しばらくして。ユートレティヒトをたまたま訪れた旅人は、自分の手記にこう記すこととなる。「今日、廃虚となった町に立ち寄った。何か獣にでも襲われたのだろうか、一面に血の跡や慌てて逃げた痕跡が見られるが、抵抗したような様子は一切見られなかった」と。
***
「平和ですねぇ、東雲」
「ほんとうに、詩乃様」
山とはいわぬほどの高さだが、屋敷にある門にまで階段を上るには少し疲れるくらいの高さにある丘に建つ、清条家の本屋敷。東雲の名前にもなっている桜花の木を見ながら、縁側で茶をすするのは東部討魔協会の有力四家である清条家現頭首、清条詩乃と護衛の東雲桜花である。護衛といっても、さすがに白昼堂々清条の家に押し入ってくる者など皆無で、東雲はゆったりとした秋空を楽しんでいた。
詩乃に仕え始めたのは自分が12、詩乃が5の時。生涯護るべき主人として詩乃に引き合わされた東雲だが、「護る」というよりは「面倒を見ている」と言った方が正しかった。小さい頃は一人で厠にも行けない詩乃の手を引いて用を足す手伝いをし、おねしょが7つになるまで治らなかった詩乃が濡らした布団を必死になって隠すのに協力し、「鈍臭い」と叱られては泣いている詩乃の頭を撫でて慰めたのも東雲である。東雲にとって、詩乃とは護るべき主人というより、手のかかる妹のような存在だった。
詩乃のせいで、元来堅物だと言われ続けた自分も多少は柔軟な思考ができるようになったのではないかと、東雲は思っている。だが、東雲は実家に帰るたびに「最近たるんでいるのではないか」と、父母に叱られるようになった自分がいる事に気がつく。それでも、
「(詩乃様の傍に仕えるのに、気を張ってたら怒られるんですよねぇ・・・)」
などと悠長な事を考えてしまうのだから、自分もすっかり詩乃に毒されたんだなぁと東雲は思うのだった。そして、いつもならこういうときには式部が必ず茶々を入れに来るのだが、彼女は今久しぶりに実家へと帰還を果たしている。と、いっても式部は変態(だと東雲は呼んでいる)のくせに、暇をみつけては実家に顔を出しているらしく、意外に親孝行なものだと東雲は内心感心しているのだ。手紙一つよこさない筆不精な自分とは随分違うと、東雲は一つため息をつく。
「東雲、心配事ですか?」
「は。式部はあの通りの人間なのに、仕事だけでなく、万事にぬかりなくこなしますので。自分の存在意義というものを少し考えておりました」
「存在意義ですか・・・」
詩乃が難しい顔をしたので、何か言葉をかけてくれるのだろうかと東雲は期待して待っていたが、しばらくして聞こえてきたのは詩乃の安からな寝息だった。
その詩乃にがっくりとしながらも、普段通りの彼女に安心する東雲。
「はあ・・・詩乃様に難しい話は駄目なんですよねぇ」
「うん・・・東雲・・・」
「何の夢を見ておられるのやら」
呆れたように東雲がお茶を一つすする。
「東雲・・・おもちを食べると喉に詰まりますよ・・・?」
「ぶほっ!」
詩乃の寝言に、思わず口に含んだ茶を吐き出す東雲。
「私は年寄りですか!?」
と、東雲が護衛にあるまじきツッコミを詩乃にするが、詩乃はそのまま東雲の肩にもたれかかるようにさらに深い眠りに落ちる。東雲はため息をつきながらも、詩乃にされるがままに任せ、程良い季節の晴れ空を楽しむように共に眠りに落ちるのだった。
***
その夕刻、東雲が目を覚ますと自分と共に寝ていたはずの詩乃がいない。
「詩乃様?」
東雲は気だるい体に鞭打ち、詩乃を探すべく立ち上がる。
「また一人かくれんぼですね・・・いつもそのまま隠れた先で眠るんだから。探す身にもなってくださいとあれほど」
などとぶつぶつ文句を言いながら、無駄に広い屋敷を探し回るべく東雲が縁側を離れて行くのだが。
その同時刻。詩乃は屋敷にいなかった。屋敷の裏側にある、清条家の敷地内である山中に赴いていたのである。その場所は詩乃が禊を行う場所であるとされ、例え東雲でも入ることはできない。巫女として訓練を積む者だけが立ち入ることを許される聖域である。
その場を一人しずしずと歩む詩乃。辺りは風に葉が擦れ合う音だけが鳴っている。
「よう来たな、詩乃や」
「耀姫、招いたのは私ですよ?」
詩乃が作る表情は親しみと、相手の軽口を窘めるような困った表情と、そして警戒心もまた抱いていることを同時に示していた。
「カカ、細かいことを申すでない、詩乃よ。妾とそちの仲であろ?」
「親しき仲にも礼儀ありです、耀姫」
詩乃に耀姫と呼ばれたのは、詩乃の胸の高さにもならないくらいの少女であった。だがその赤い眼光は鋭く、彼女が尋常の存在でないことは明らかである。その耀姫の頭には三本の角があった。
頭に生える角。それは東方の大陸を支配する鬼族の証であるのは、誰もが知りえる所であった。
続く
次回投稿は、6/22(水)17:00です。