開戦、その109~憐れむ男と哀れな女②~
「ファンデーヌよ。お前、俺と添い遂げる気はないか?」
「・・・・・・は?」
ファンデーヌの中で、ゲルゲダを始末する算段を持ち上げかけた途端の申し出である。あまりにも予想外すぎて、ファンデーヌの思考は完全に止まってしまった。長らくサイレンスの一体として活動し、数々の人間を陥れ、常に思考を巡らせてきたファンデーヌをもってしても、あまりに意外な一言に、思わず我を忘れた。
ゲルゲダは思いのほか真剣に、じっとファンデーヌを見つめて問いかけた。
「ないのか、あるのか。どっちなんだ?」
「・・・だって、もう添い遂げているじゃない」
「そうじゃねぇ、俺が死ぬまで一緒にいてくれるのかどうかってことだ。お前の方が寿命は長いんだろ? 俺はただの人間だからいずれよぼよぼになってくたばるだろうが、それでもよければ添い遂げてくれねぇかって頼んでいるんだ。いや、老いさらばえてしまえば見捨ててくれたってかまわねぇ、それ以前に戦場で死ぬだろうしな。だからお前の人生にすりゃあ一瞬の間かもしれないが、それを俺にくれないかって頼んでいるんだ。どうだ?」
「・・・何を言っているの? 全然意味がわからないわ。だって私は――」
「仮面の調教師で、サイレンスで、人形だから子どもが産めないってか? んなこた承知の上で言ってる」
言えないこと、言いたくないこと、全てゲルゲダに言われた。ゲルゲダは全て知っているうえで婚姻を申し出た。余りに予想外過ぎて、ファンデーヌの頭の中からはゲルゲダを殺すことは完全に抜け落ちていた。
だから、ファンデーヌが天幕の周りの変化に気付かなかったとしても、なんらおかしくはなかっただろう。先ほど天幕の隙間に藁を敷き詰めたことも、そこに外から油が注がれていることも、そもそもこの天幕の外にあててある布が燃えやすい素材であることも。
ゲルゲダはサイドテーブルの裏に張り付けておいた小箱を外し、膝まずいて申し出た。開いた中には当然のように、輝く指輪が入っている。決して安物ではない。少なくとも、一晩やそこらで思いついて用意できるものではないことは、ファンデーヌにもわかった。
いつ用意したのか。ゲルゲダとはめかしこんで洒落たレストランにつれていってもらったこともある。その時だろうか。ファンデーヌが固まったように動かないでいると、ゲルゲダは失意の表情を浮かべて立ち上がった。
「やっぱりだめか。俺はちりちり赤毛の糞野郎だからな、お前には見合わんわな」
「いえ・・・いえ、違うわ。わ、私は――私の底には」
「底なしの怒りが渦巻いていますからってか? それも知ってらぁ。全部ひっくるめて、お前のことを愛したつもりだ」
「なぜ――今になって」
「今しかねぇからだ。答えはいかに?」
ファンデーヌは首を縦にも横にも振らなかった。そして長い沈黙のあと、ようやく言葉を紡ぎ出した。
「――どうして人形は泣けないのかしらね。ここまで人間に似せて作ったのだから、泣く機能だってつけることができるはずなのに」
「――そうか、残念だ」
「ええ。とてもとても・・・残念だわ」
その言葉と同時に、天幕が一斉に燃え広がり始めた。ファンデーヌはベッドから飛びあがるようにして跳躍すると、身を翻して一歩で服の下の鞭を取り出す。と同時に、ベッドに潜ませていた大蛇と、外にいた狼、影に潜ませていた闇の食人花を同時にけしかけた。
その三体がゲルゲダに一斉に襲い掛かり、ファンデーヌ自身も容赦なく鞭を振るう。だがその鞭が弾かれ、空中で襲い掛かった魔獣が3体同時に動きを静止し、力なく崩れ落ちた時、目の前にいるのはファンデーヌが見たこともないほど鋭い眼光をしたゲルゲダだった。
いつもの世を斜めに見上げるような嫉妬深く、頽廃的な視線はどこにもない。まさに黒い鷹の隊長にふさわしく、獲物だけを鋭く射抜く剣士がそこにいた。
「あなた! 剣の腕前まで嘘をついていたの!?」
「言っただろうが、糞野郎だってな。仲間にも女にも真実を言えない糞野郎だ、俺は。かつての旧ブラックホークの仲間をお前らに殺された時、びびって仲間の死体の下で怯えていた臆病者は俺だ。仲間が死んでちびっている中で、その犯人であるお前に心奪われた下衆野郎も俺だ。お前らの正体を知りながらヴァルサスやベッツ、ゼルドスに仇討ちを申し出るわけでもなく、ずっと騙していた糞野郎も俺だ。俺の人生はクソ塗れだ。だからこそ――全ての責は俺が負いたかった!」
「ゲルゲダぁ!」
ファンデーヌの鞭が唸る。アルマスの3番、そしてヴォルギウスすら圧倒するファンデーヌの絶技。剣の風ほどではなくとも、戦闘用の個体として数百年間不覚を取ったことはない。それらをゲルゲダは見事に捌いて見せたのだ。ファンデーヌがやり合った中でも、確実に五指に入る腕前。
そして限定空間内、そして炎といやに多い煙や衝立が邪魔をして死角が多く、ゲルゲダの姿を一瞬で見失う。そして外からは無数の矢と投げ槍、攻撃魔術が飛んできた。さしものファンデーヌも、それら全てを捌くことはできなかった。
体に受けたいくつかの攻撃が、致命的になった。そして崩れゆく天幕を見てファンデーヌは死を覚悟したが、そのファンデーヌを火から守るようにゲルゲダが抱きかかえた。ゲルゲダが纏っていたローブは耐火性のものだった。つまり、最初からこの戦う場所を用意していたことになる。
「最初から――そのつもりだったの?」
「お前が俺の申し出を受けていたら、ここから全てを捨てて逃げだすつもりだった。その時は、外にいる仲間を全て切り捨てでも」
「歪みなく糞野郎だわ、あなた」
そのゲルゲダにファンデーヌはキスをして、そして体が崩れ落ち始めた。
「でも、やっぱり気に入っているわ」
「そうか。お似合いだな、俺らは」
「ええ、とても――気をつけて、剣の風は」
「知ってる。全て、知っているんだ。そのための、ブラックホークの俺なんだ」
「そう――なら、いいわ。私は――いえ、私たちは――本当は、どう、なりたく、て――どうして――こんな、怒り、を抱えさせ、られ――」
崩れゆくファンデーヌを見届けて、そしてゲルゲダは炎に包まれる天幕の下に一度沈んだ。天幕の外ではゲルゲダの部下たちが、いつまでたってもゲルゲダが出てこないことにざわついていると、突然天幕の梁を押しのけてゲルゲダが出てきたのだ。
「おかしらぁ! 心配しましたよ!」
一番若いゲルゲダの部下が駆け寄った。ゲルゲダは耐火魔術を施したローブを纏いながらも、全身にはそれなりに火傷を負っていた。だがゲルゲダは駆け寄る部下を邪魔臭そうに押しのけると、使い物にならなくなったローブを捨て、別の衣服を持ってこさせる。
続く
次回投稿は、10/30(日)21:00です。