開戦、その108~憐れむ男と哀れな女①~
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「・・・ちっ、寒すぎるだろ」
「どうしたの?」
「天幕の隙間が開いてやがる」
ゲルゲダは藁を編んで作ったベッドから身を起すと、天幕の隙間風を埋めるべく藁を無造作にそこに敷き詰めた。だが寒風は埋めても埋めても僅かな隙間から入り込み、生き物の体力を削る。ゲルゲダは悪態をつきながらも、隙間を藁で埋め続けていた。
ローマンズランドの冬は尋常ではない冷え込みとなっていた。通常の冬の装備では足らず、天幕の内側からさらに当て布をしないと、とてもではないが寒さが凌げなかった。通常なら一般兵は野営が常だが、アルネリアが準備した天幕が合従軍の兵士全員分に支給されていなければ凍死者が多数出ていただろう。多くの一般兵士や国はローマンズランドの冬を初めて体験するが、北方に近い国土の兵士をもってしても今年は尋常ではない冷え込みを見せていると噂していた。まるでピレボスにいる冬の精霊が怒っているようだ、不吉の兆候だと恐れおののく将兵も多数いた。
その中で、ブラックホークの部隊はその知名度と貢献度をもって優遇されていた。最初から部隊全員分の天幕は上等なものをあてがわれたし、そうでなくともそもそも彼らはこの冬の戦に備えて十分な準備をしていた。特に天幕の中で食事をとった後、火を消して寝ると冷えた大地が結露で凍り付き、何も敷かずに寝た兵士の背中が凍り付いた大地に搦めとられて酷いことになった――とか、巨人族のグレイスが語る恐ろしい話をいくつも聞いていたので、十分な防寒対策をして望んでいたのだ。
5番隊のゲルゲダも、ブラックホーク内では忌避される立場だとしても、対外的にはブラックホークの隊長としてある程度の敬意をもって遇される。なのでベッド代わりに藁を敷き詰め、その上にシーツを引いて寝転がり、ご丁寧に衝立まで用意させて中が簡単に見渡せないようにするくらいは、広い天幕を準備してもらえるのだ。ただ、それは6番隊のファンデーヌと2人分だから、という事情もあるのだが、それは誰も触れないことだった。
そのゲルゲダは、現在ファンデーヌと協力して前線への補給物資を供給する中継ぎの役目をしている。ブラックホークにしては地味な役割だが、長期の戦争となることを見越してヴァルサスが命令した役割でもあり、ゲルゲダが自ら提案したことでもある。補給線をアルネリアや他国任せにするのは、他人に命綱を預けるようなことだとゲルゲダが主張したからだ。
それはゲルゲダが最前線で戦いたくないから――と皆は受け取ったが、道理でもあるので誰も反対しなかった。そしてゲルゲダはつつがなく、その役目を果たしていた。
藁を敷き詰め続けるゲルゲダを見て、ファンデーヌがベッドの中から可笑しそうに微笑む。
「一緒に過ごす時間が増えてわかったけど、あなたってマメねぇ?」
「んだよ、おかしいか?」
「ええ、おかしいわ。ひともなげな態度を取って、仲間なんていらないなんて主張する癖に、ブラックホークの一人一人の好みまで把握したうえで嗜好品まで手に入れて届けてみせる。その心配りの細やかさと、思いやり。顔の広さと、交渉力や会話力も中々だわ。多くの仲間は、あなたを勘違いしているのではなくて?」
「勘違いしているのはお前の方さ、ファンデーヌ。俺はクズで下衆のゲルゲダだ。そのことに何ら変わりはねぇ。他人に嫌われて当たり前、はみ出し者の汚れ役だ。それでいいし、それが気楽なのさ」
「そんな貴方のことが、割と好きよ?」
ファンデーヌが蠱惑的な声と瞳でゲルゲダを見つめた。ゲルゲダは振り返ってしばしドュベから見えるファンデーヌの裸体を凝視していたが、突然飛びかかるように馬乗りになると、ファンデーヌを押し倒した。
「ぁん!」
「ふん、俺を好きになる理由がないだろうが。言え、俺のどこが好きだって?」
「あなたのその負け犬根性と、僻みっぽいところかしらね?」
「言うじゃねぇか」
「悔しかったらもう一回、する? どうせあなたの負け戦でしょうけど」
「はっ、お前の手管も徐々にわかってきたからよ。次はそっちが陥落するんじゃねぇのか?」
「勘違いよ。そう思わせておいて奥は深いわ」
「はんっ、さすが仮面の調教師様は言うことが違うな?」
ゲルゲダの一言に、今まで艶めかしかったファンデーヌの表情が俄に険しくなる。そしてファンデーヌが何か行動を起こす前に、ゲルゲダはその上から飛び退いて、サイドテーブルの上にある酒をグラスに注いでいた。
「まぁ飲めよ」
「あなた、それをどこで・・・」
「お前が言ったじゃねぇか、俺は顔が広いって。黙っていても情報は集まるものさ、俺の場合は特にな」
それがどこまでゲルゲダの真意だったのか――ファンデーヌはゲルゲダという男を単純で即物的な男だと思っていた。普段の態度、自分への食いつき方、男女の営みのアレまで含めて、実に単純で操りやすい男だと思っていた。
だが、今初めてこの男のことを奇怪に思った。わかっていたようでわかっていなかったのは、実は自分だったのか。ファンデーヌはそんなことを考えながら、出されたグラスを思わず受け取り口をつける。
ゲルゲダはローブを羽織ると、テーブルに腰かけていた。剣は遠くにある。ファンデーヌも武器は脱いだ服の下にあるが、藁の下には自分の魔獣を潜ませている。いざとなれば始末してしまえばいい――そんなことを考えながらファンデーヌが徐々に臨戦態勢に入ろうとすると、またしてもゲルゲダから予想外の言葉が放たれた。
続く
次回投稿は、10/28(金)22:00です。