開戦、その104~迷宮攻略、クベレー戦②~
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「オォオオオン!」
「ヌゥオオオオ!」
迷宮の最深部、クベレーの部屋で激闘を繰り広げるメルクリード。クベレーは既に肥大化と浸食を繰り返し、元がどんな形だったのかわからぬほどの異形と化していた。
最初は小さな――アノーマリーの膝程の高さしかない、円柱状の生物だった。触手のような手が2本あり、目は一つ。口すらもたなかったクベレーはよたよたと這いずるように歩き、よく転んだ。時にアノーマリーにすら、「愛嬌があるな、お前は」と可愛がられていた。
ローパーなる軟体生物に知恵をつけることを志向してアノーマリーが生を与えた生物は、長じて魔王となった。ただその生物の根本理念は、父であり生みの親でもあるアノーマリーへの憧憬、尊敬、そして彼の役に立ちたいという、子そのものの感情だった。
アノーマリーのために肥大化し、自己改造し、知恵をつけ、そして今アノーマリーを超えんとしてより強大な魔王となろうとするクベレーを見て、アノーマリーはなんと言ってくれるであろうか。そんなことをクベレーはふっと思った。いつから、アノーマリーと袂を分かつような言動をするようになったのか。そうか、これが巣立ちというものかと考えながら、迷宮内の工房という巣に居座り続けた皮肉を思う。
もう何十回繰り返したろうか。破城槌のように太くなった触手でメルクリードの突進を打ち払いながら、呆れたような視線を向けた。
「物分かりが悪いなキミは・・・何度向かってきても結果は同じだ。ボクは再生と増殖を繰り返す。一度に滅ぼすくらいの広範囲かつ強大な一撃がない限り、ボクが死ぬことはない」
「ちっ、図体ばかり大きく育った奴がなにを! こちらとて、何度打ち払われても、痛痒を感じぬわ! 貴様の再生と増殖能力には限界があるだろう?」
「さぁ、どうだろうね・・・それを言うならキミの耐久力にだって限界はある」
「つまりは、我慢比べということだな?」
「そういうことになるけど・・・面倒だな」
クベレーは考えた。魔術を使うことはできるが、この炎の騎士は素早いだけではなく魔術耐性も高く、大きな魔術では簡単に避けられてしまい、小規模の魔術では通らない。そして部屋は広いとはいえど、使える魔術の威力と規模は限られる。強いて言えば、思ったよりも短気で冷静さを欠いていることが欠点だが、それも飽くなき闘争心に変換されると考えれば、さして短所にならない。
メルクリードの言う通り消耗戦をしてもおそらくは勝てる確信があるが、それには数日を要する可能性もある。その間にブラックホークがこちらに来れば面倒だし、何よりこことは反対の位置にいたはずのドラグレオが目覚めた気配がある。もしあれがこちらに来たらより面倒なことになることは確定だが、どうにも気配と魔力の波動が妙だった。これは父アノーマリーの気配に似ていないか――と思っていたら、その気配が消えた。これはクベレーとて、気になろうというものだ。グロースフェルドの魔力と使い魔がクベレーの目となる生物を潰して回ったせいで、工房内の様子すら把握できなくなっているのだ。
クベレーにしてみれば気もそぞろの状況だが、それでもメルクリードは決定打を入れられないでいた。クベレーの質量があまりに大きすぎるせいだ。
「(燃やしても再生し、再生が不可能と悟れば切り捨てる。あの目を狙えばあるいは――だが守ろうとする気配がない。つまり、狙っても無意味なのではないか・・・?)」
最初にあった本体らしき柱の巨大な目を突けばあるいは、とメルクリードが考えるが、それにしても守る気配がないのだ。飛び込んで、罠だったら取り返しがつかない。そう考えると、足先が、槍先が鈍る。
メルクリードの攻勢が衰えたことで、クベレーが目を歪めて笑う。メルクリードは持久戦が不利なことを悟ったが、打開策も見出せぬまま突撃を開始しようとしたところである。地の底に、唸るような音が響いたのだ。
メルクリードだけであなく、クベレーまでもた自分の部屋への入り口を見つめた。
「・・・獣、ではないな。なんだこの音は」
「これは・・・馬鹿な、鉄砲水だって?」
クベレーが音の正体に気付いた瞬間、部屋にどっと水が押し寄せた。メルクリードは咄嗟に魔王化を半解除し、体に纏わせた炎を消した。この状態で水に触れれば、急激な冷却で水蒸気爆発を起こすか、自らが劣化して崩壊する可能性もあった。
メルクリードが水に飲まれて流される光景を見ながら、クベレーはこの鉄砲水の原因を考えていた。
「ここは地下深くではあるが、登ったり下ったりを繰り返した先の終着点だ。地下水脈が何らかの影響で漏れ出たとしても、洪水になるとは考えにくい。何者かの魔術が原因だとして、ここに水を正確に誘導できるとなれば――」
その人物に思い当る節があり、クベレーは憎々し気に目を細めた。たしかに何度か協力を仰ぎはしたが、まさかここでこんな行動に出るとは思わなかった。いずれ互いが邪魔になるだろうとは思っていたが、まさかこの間合いで仕掛けて来るとは。絶妙ではあるが、逆に好機でもある。
「ブラックホークの魔術士が使う使い魔も、この水で流されるだろう。監視の目がなくなるなら好都合だ。この隙に撤退を――」
「(させんぞ)」
水の中からメルクリードの声が聞こえた気がした。クベレーは声の出所を探すが、既に部屋に半部以上は水没していて、まだまだ水は入ってきている。おそらくここはそのまま水没するだろうが、一緒に工房の実験器具や土砂、魔物の死骸や何やらまで入ってきているせいで、もうメルクリードを見つけるのは不可能となっている。
そのくぐもった声から水の中にいることは確定だが、探す手段がない。クベレーは初めて、ここで焦りを見せた。
「どこだ、出て来い!」
「(その無駄にデカい図体が仇になったな。予想外の展開だが、貴様を倒す手段を思いついたぞ)」
「どうするつもりだ? 水の中じゃあ炎の魔槍も力を発揮できまい!」
「(本当に、そう思うか?)」
クベレーはじわりと腹の底からせりあがるような焦燥感を感じた。否、本当に熱くなってきているのだ。まさか、とクベレーが感じた時には遅かった。部屋の中に大量にあった水は湯へと変わり、沸騰を始めていたのだ。
「(俺が生まれたのは火山の中だ。この程度の水を全て沸騰させることなど、造作もない。お前はどうだ? 何度まで耐えることができる?)」
「こんなもの、外皮を硬化させて耐えれば――」
「(それだけの質量、一度に硬化できるかな?)」
メルクリードの指摘通り、体を変化させるにも想定していない変化は時間がかかる。そしてクベレーはここにおいて初めて、自らに足りないものに気付いた。自らの能力を上げることには懸命だったが、圧倒的に戦闘経験が不足していることを今まで考えていなかった。自らが生み出した魔王が戦うのを見てどのように対処するかを思いつき、そして実行できることがそのまま実践だと、いつの間にか勘違いしていたのだ。
だから、肥大化した自分の体の一番大切な部分から硬化させてしまった。本能からの行動を、理性で押しとどめることができなかったのだ。
「そこか!」
熱湯から出現したメルクリードの一撃が、硬化したクベレーの急所を貫く。クベレーは信じられないといったように目を見開き、貫かれたことで体から力が抜けるのを感じていた。今までに得たことのない感覚が何かを、クベレーは理解していた。
「なるほど、これが死か――思ったよりも優しいから怖いな――父さん、ボクは正しくあなたの息子でしたか・・・?」
クベレーはその時、ふとまたアノーマリーの傍で一緒に研究をしたいなと思った。アノーマリーがもし魔王の研究ではなく、人間や他の生物に役立つような研究をしている魔術士であれば。自分も人間や目の前のメルクリードと戦うことなく、彼らの傍で過ごすような生き方もあったのだろうかと、そんなことを想像しながら、その巨大な体を崩していった。
続く
次回投稿は、10/20(木)22:00です。