加護無き土地、その7~天から授かりしは~
***
一方、当の暴走したインパルスの足元にいるアルフィリース達は、凄まじい雷鳴の奔流に見舞われていた。暴走したインパルスから放たれる雷鳴は、雨のように降り注ぎ、逃げ回るだけで精一杯である。
「きゃあああ!」
「あぶっ、あぶ、危ない!」
「こ、これは・・・」
「36計、逃げるが勝ちです!」
リサが逃走を促すが、インパルスが掌から放出した雷ではるか彼方まで家屋が倒壊したのを見ると、リサは思わずへたり込んでしまった。先に逃げ出したこの町の住人達が、何人か建物の倒壊に巻き込まれるのが見える。
「な、なるほど。逃げるのも危険なのですか。それは新しいですね」
「んなこと言ってる場合か!?」
「アルフィ、どうする?」
エアリアルがやや青ざめた目でアルフィリースを見るが、アルフィリースとてどうなるものでもない。アルフィリースは魔術が使えず、元素が枯渇しているこの土地では、呪印を解放しても同じこと。また打撃を加えようにも、雷の化身に剣を突き立てても自分が感電するだけだ。
アルフィリースにも結論が出ぬまま、エメラルドが何やら走りだそうとするのを、ユーティが捕まえて叫ぶ。
「ちょっと、エメラルド! どこ行くの!?」
「エメラルド、スィン!」
「何、歌うって!?」
エメラルドが歌うと言ったので、ユーティは逆に何事かと呆気にとられた。これはユーティも知らなかった事だが、ハルピュイアはセイレーンなどと同じく歌声で人を幻惑するという。バンシーなども歌うが、彼女達の歌はほとんどが呪い歌といわれるように、言葉そのものが呪文となるのに対して、ハルピュイアは純粋に歌声の美しさで人を引き付ける。セイレーンはといえば、ハルピュイアとバンシーの中間といったところである。
インパルスがハルピュイアの元に預けられているのは決して偶然ではない。それなりの意味があってのことだ。インパルスが精霊だった頃、彼女は仲の良いハルピュイアの歌声が好きだった。その時の縁で、インパルスは戦いに使用されることが無い限り、ハルピュイアの里で眠りに付きたいと申し出たのだった。
エメラルドは、もしかすると自分の歌声でインパルスを止める事ができはしないかと思ったのだ。またインパルスの所有者として、彼女を暴走させた責任もある。走るエメラルドがそのまま空中に飛び出し、インパルスの前に立ちはだかる。
「いんぱるす!」
エメラルドが叫んで、インパルスの注意を引く。そのエメラルドに向けて、インパルスは雷でできた手を伸ばすのだ。
「エメラルド!」
地上からアルフィリース達が叫ぶ。インパルスの手がエメラルドに届くかと思われた、その瞬間。
インパルスを含む、周囲の人間が全て静止した。アルフィリース達だけでなく、ユートレティヒトの町人達も同じだった。
町一体にエメラルドの美声が響き渡る。天上までも届きそうな澄んだ彼女の声は、火事が巻き起こる街の殺伐とした空気すら治めさせるようだった。インパルスの手がピタリと止まり、アルフィリース達は呆然とエメラルドの姿を見上げている。エメラルドの姿は、外見と合わさってまるで本物の天使のようだった。町人達すら、武器を落としてその場で涙する者までいたのだ。
芸術は人の心を動かす。エメラルドの歌声は、天が贈りし極上の旋律だった。と、その場にグウェンドルフがかけつけてくる。
「これは・・・ハルピュイアの歌か」
「綺麗・・・」
「リサの心は、今猛烈に感動しています」
「あれ、涙が・・・」
ユーティまでもが目を潤ませ、グウェンドルフも心奪われる中、一番冷静だったのはアルフィリース。
「なるほど、天使の歌声とはよく言ったものです。今なら」
「え?」
その呟きを聞きとったのは、グウェンドルフだけだったかもしれない。他の仲間は全員がエメラルドの美声に聞き惚れ、アルフィリースがインパルスに近づくのすら気がつかなかった。
「アルフィリース、何を!?」
グウェンドルフがアルフィリースに向けて叫んだので、ミランダ達もはっと我に返る。
「アルフィ?」
「危ない!」
そして事もあろうに、アルフィリースは手をインパルスの方に無造作に伸ばそうとしているのだ。そんなことをすれば感電死しかねない。
ミランダとエアリアルがアルフィリースに走り寄るも、アルフィリースの手が早い。そしてアルフィリースは躊躇なくインパルスへと潜って行った。
「あああっ!」
ミランダの悲鳴もむなしく、アルフィリースの姿は完全にインパルスの中に消えてしまった。そしてアルフィリースはといえば、そんなミランダ達は気にも留めず、インパルスの中心となるべき部分を探していた。不思議な事に、彼女には一切痺れた様子が無い。
「(あれだわ)」
アルフィリースはインパルスがまだ明確な意識を持った上位精霊だった頃の、剣の核たる部分を探しあてる。そしてその部分に触れると、インパルスにだけ聞こえるように語りかけていた。
「(インパルス・・・私の声が聞こえるかしら?)」
「(誰・・・? ボクを呼ぶのは・・・)」
「(私の名前はどうでもいいの・・・それより、こんなことをするのが貴女の望みだったかしら?)」
「(? どうだったかな)」
「(さあ、思いだして・・・貴女がなぜ精霊剣になったのかを・・・)」
「(ボク――ボクは・・・)」
長き眠りについていたインパルスに、明確な自我が蘇る。長らく振るわれることなく、ただハルピュイアの里に奉じ続けられることで霧散していった意識。いつしか彼女は上位精霊として明確な意識ある存在としては扱われなくなり、必要のなくなった自我は眠りについていた。だが、今その意識をエメラルドとアルフィリースに強く揺さぶられたことで、彼女の自我が目覚めたのだ。
「そうだ、ボクは・・・ボクの友達のために、剣になったんだ」
「思いだしたかしら?」
「うん、ありがとう! でもどうして君が・・・」
「ふふふ、それはね・・・は・・・霊を・・・だから・・・」
インパルスの意識の目の前にいる女性。周囲一帯が雷鳴に包まれるせいか、彼女の髪が黄金に輝いて見える。最後に何かを言った女性の声は雷鳴の音に消され、インパルスには聞こえなかった。だがそれも一瞬の事。明確な意識を取り戻したインパルスの意識は、すぐに形を成し、彼女が上位精霊だった頃の姿に立ち戻らせる。その違和感に、思わずインパルスは悲鳴を上げた。
「うわあっ!」
並の家の3倍はあったであろう彼女の背はみるみる縮み、インパルスの姿が明確な人型を取る頃には、久しぶりの大地を踏み締める感覚に思わず彼女はよろめく。
「とっとと」
よたよたするインパルスの姿は少女だった。年の頃はリサと同じくらい。ミランダよりもさらに輝く金のショートヘアが波打ち、目鼻立ちの整った、一件では女性とはわからない見た目だった。背丈が背丈だけに、ちょっと男装すればそのまま美少年で通るだろう。
何が起こったのかわからずその場に立ちつくす全員に自己紹介しようとインパルスが向き直ろうとした時、目の前にいたアルフィリースの体がぐらりと揺れる。
「え?」
「あ、危ない!」
アルフィリースはインパルスの方にのしかかるように倒れてきた。小柄なインパルスでは支えきれず、そのまま押し倒される格好になる。
「むぎゅう~」
「ああ、またあのパターンだ!」
「いかん、アルフィリースの胸の被害者がまた!」
「チクショウ、いつかリサだって・・・」
めいめい勝手な事を言いながら、ぐーぐーといびきをかくアルフィリースの下で窒息しかけるインパルスを助けにいくミランダ達だった。
続く
次回投稿は、6/19(日)15:00です。