開戦、その93~迷宮攻略、パンゲロス②~
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パンゲロスは例のアレを捕まえた場所に来ていた。工房の最奥、そしてクベレーがいる場所とはまた離れた場所。工房を拡張するための作業を行っていたが、アレが来てからはその作業は全て中断されている。それだけでもクベレーがアレを恐れ、あるいは畏れていることがよくわかる。保護すべき対象、研究対象であると共に、不可侵の生物だと認識しているし、可能であれば近づきたくないと考えているのだろう。だから栄養などを投与するいわゆる生命維持装置のようなものまで準備しながら、自分とは距離を置いたのだ。
全ての魔獣を解き放った後でも、この区域に近づく者はほとんどいない。理性が崩壊した連中だが、本能が残っていれば、触れてはいけないことくらいはわかる。パンゲロスはおそるおそるアレが安置されている部屋に入ると、かつてクベレーを造ったアノーマリーが作製した照明なるものを点灯した。動力に多少の魔力を必要とはするが、一度点灯してしまえば大気中の大流を取り込み半永久的に輝くという。そして大気中のマナの濃度が一定以下になると、自動的に消灯するそうだ。
これだけの発明をどうやって思いついたのか。クベレーも理論は理解できるが、発想が理解できないと言っていた。そして再現するには素材が必要だが、どうやってその素材を収集し、比較検討したのかがわからないとも。ともかく、アノーマリーとは狂人だったが、あれ以上の天才もいないだろうとクベレーは確信したように説明した。
パンゲロスがそのようなことをクベレーから聞かされたのは、パンゲロスが多少なりともクベレーのやっていることに興味を持っていたからなのか。他の兄弟たちは興味すらもたなかったが、パンゲロスはいずれ自分がクベレーにとって代わるのならば、何が必要かと常に考えていた。結論、強さではなく理性と優秀な部下が必要だと考えていた。そしてやがてはクベレーに代わる勢力を築くのなら、その手管を覚えるべきだとも。
クベレーに表立って逆らったり、あるいは打倒する方法を本気で考えているわけではないが、それでもいざという時の切り札は必要だ。アレならばクベレーですら打倒しうるのではないかと、パンゲロスは半ば確信を持っている。
だが改めてアレを見ていると、何があったのだろうかとパンゲロスは恐怖を覚えずにはいられなかった。
アレとパンゲロスよりも大柄な人間の男が、少女を背負うようにして繋がっている。四肢は男の体幹と一体化し、おそらくは重要な臓器や血管も繋がっているのだろう。それが証拠に心臓の鼓動と呼吸は別々に動いていて、互いに安らかに眠っているようにしか見えない。ただし男の方は全身を凄まじい火力で焼かれたのか、半身が爛れて見るも無残な状態だ。対する少女は傷一つなく、血色も良くいまだ眠っているのが不思議なほどだ。揺すれば起きそうだが、アレは悪意を持った刺激以外には一切反応せず、悪意ある攻撃には自動的に攻撃する様になっているらしい。アレに栄養などを補給するための管を入れ替える際には、一切抵抗はしないのだが。
「何があったのか・・・本能で少女を守って生かしているのか。しかし、いかなる魔術を用いればこうなるのだ? 異なる人間の肉体と臓器を一体化させるなど、今のいかなる技術を用いても不可能だ。それでいておそらく自我は別――そして徐々に男の傷が治癒しているように見える。加えて」
周囲の惨状を見る。ここには解放された魔獣や魔王が何体かは来たようだ。そして本能すら壊れた個体が複数いたのか、アレに襲いかかった形跡がある。ただし、それらは血の痕とわずかな肉片を残すのみで、血の痕は大男の周囲に続いていた。
「あいつらを喰ったのか・・・まさに怪物だな。そして前に見た時よりも、治癒が急激に進んでいるようだ。まさか、喰って治すのか?」
パンゲロスはじっくりと大男の様子を観察するために、ある程度近づいた。どのようにしてこの大男が魔獣や魔王を倒したのか気になるが、やはり動きそうにない。
だがゆっくり近づきながら観察すると、男の口元が少し動いたように見えた。パンゲロスは気のせいかと、髪についた目を全て見開き男の様子を観察したが、やはり動いているようには見えない。
「気のせいか・・・そうだな。そもそも管が一つも抜けも傷ついてもいない。どうやって魔獣たちを倒すというのだ。魔獣たちが勝手に戦い、そして塵に還ったと考える方が自然だな」
パンゲロスがほっとしたようにため息をつき、背中を向けてアレについた管を操作しようとした。その時、その管の一つが触れてもいないのに勝手に外れたのだ。ごとり、という音にびくりとするパンゲロス。
振り返ると、管の一つから栄養剤がごぼごぼと漏れていた。どうせ外すつもりではあったが、この間合いで勝手に外れるとなると不気味である。パンゲロスはおそるおそる、管を拾い上げるために近寄った。
「古くなっていたか? いや、劣化していたのか。ブラックホークの襲撃があったせいで、交換時期は過ぎているものな。おい、お前。目が覚めているのか?」
パンゲロスはアレに話しかけてみる。それは、自らの恐怖を振り払うような行動でもあるのではと、パンゲロスは自らの行動を恥じると管を拾い上げた。
「どうかしている。これが動いたからと言って、どうだというのだ」
「まだダメだよ・・・」
突然頭上から声が聞こえたので、ぎょっとしたパンゲロスが見上げた。すると、そこにはゆっくりと顔を上げながら虚ろな目で呟く背中の少女がいた。その目が漆黒の闇より深い混沌のようで、パンゲロスは初めて人間を恐ろしいと思った。これは闇ではない、死そのものが顕現したような少女ではないかと。
パンゲロスが少女から目を離せないでいると、少女が焦ったように呟いた。
「まだダメ・・・まだ起きるのは早い。私の力が相殺できない」
「こ、小娘。お前、意識が戻ったのか?」
「だめ、これはおじさんじゃない。これは――」
「は? 何を――」
パンゲロスは驚いてはいたが、油断はしていなかった。こんな時だからこそ髪の先についた目は周囲を全方向警戒し、アレの一挙手一投足すら見逃さないように警戒していた。動体視力と、回避には自信のあるパンゲロス。その気になれば、兄弟全員の攻撃すら見切って避けることが可能だ。それこそ足元を含めた全方位攻撃を含めて、パンゲロスはどんな攻撃でも捌ききる自信があった。
だが、アレはただあっさりと正面から、パンゲロスの頭をわしづかみにした。その速度だけではなく、圧力。まるで手が巨大化して全身を全方向から掴んだかのような錯覚に、パンゲロス身が固まるような思いがして、その場から一歩も動けなかったのだ。
「あ・・・」
「ああ、どうして近づいたの――あなたじゃ良い餌にしかならないわ。これじゃあ目覚めてしまう、アイツが」
背中の少女らしき声が、パンゲロスの聞いた最後の声となった。いや、自分の頭がゆっくりと潰される音が、本当の最後の音となった。それもわざとゆっくりやっているのだとわかるとパンゲロスは全力で抵抗しようとしたが、その際に男とは似ても似つかない子どものような哄笑をパンゲロスは聞いた気がし、そして意識が暗転した。自分は二度まで強化して復活できる。だがそれも、この生物の前では何の意味もなさないのだろうことに気付きながら。
続く
次回投稿は、9/28(水)24:00です。