開戦、その89~迷宮攻略、パンゲロス①~
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「む、サックモンドまでやられた?」
パンゲロスの触手のような太い髪の一本が自分の意思とは別に、ぴくりと鎌首をもたげた。その先端についてる目がかっと見開かれ、血の涙を流す。パンゲロスの髪の一本一本は無数の監視網として、洞穴内だけではなく外まで監視している。クベレーも同じような能力を有しており、その規模はクベレーに及ばないが、パンゲロスも魔術と併用することでこの能力を獲得した。パンゲロス自身には何の感慨も湧かないが、どうやら内心では兄弟の死を悼んでいるらしい。
パンゲロスは戦いの場所から離れたところで一人、腕を組んで考えた。
「レディは馬鹿だから死んでもしょうがない。グリブルは実力は一級だが、馬鹿正直に戦ってしまうから状況次第では死ぬことも想定していた。だがサックモンドは」
卑怯、狡猾、冷徹。それらの集大成のような奴ではなかったのか。父クベレーのためなら粉骨砕身働くが、敵の確実な撃滅と自身の安全のためには、兄弟ですら使い捨てるような奴だと思っていた。
だがこのクベレーの居城と化した迷宮のそこかしこに仕掛けておいた目の情報を共有すると、ほぼ勝ちながらサックモンドは勝利を逃している。もっと冷静に、そして卑怯にやれば、確実に倒せた相手ではなかったのか。
あるいは、サックモンドですら知らなかった自身の本性があったのかもしれない。かつて父クベレーを作ったアノーマリーなるものがいたように、そのクベレーから造られた自分たちがいかなる存在であるべきか、パンゲロスは常に悩んできた。
「父クベレーは創造主であるアノーマリーを超えると固く決意しているようだが・・・正直私にはどうでもいいことだ」
パンゲロスには生前、自分の元となった個体の記憶が比較的明確に残っている。人間、魔物、害獣。それらの記憶が残っていることを詳しくは誰にも伝えず、クベレーに忠実なふりをしてここまで過ごしてきた。
だがパンゲロスはそろそろ潮時か、と思い始めていた。この工房での研究には興味がある。クベレーの知識量もそうだし、それらを書物に書き起こし、比較検討するのも面白い。人間だった頃の自分は、しがない魔術士だった。導師に憧れてそうなれず、魔術協会からも距離を置いて研究を続けた。比較的実力はあっただろうが、誰にも知られることなくやがて魔物につかまり、クベレーに食われてパンゲロスとして再生された。
その瞬間のことを、まだパンゲロスは覚えている。クベレーへの恐怖と、怒りと共に。何が父だ、私を遊び半分、結果も定かではない考証も不十分な実験のために殺しておいて――パンゲロスが冷静さを取り戻すために頭を振ると、触手のような髪が一斉に心配そうにパンゲロスを見つめた。パンゲロスは自信の一部であるはずのその触手を宥めるように優しく撫でると、一つため息をついた。
「・・・本来ならクベレーなど縁を切って、逃げの一手が正解だろう。だが、あのグロースフェルドとかいう魔術士が私の転移魔術先をご丁寧に一つずつ潰しながら歩いてきてくれたせいで、外に出る魔法陣が一つも使えない。魔術士としての力量は、圧倒的に向こうが上。確実に脱出するには奴らを倒すことが必要だが、クベレーにも一泡吹かせてやりたい。さて、どうするべきか・・・待てよ、たしかこんな時のために『あれ』がいるのか」
パンゲロスはこの拠点の近くで、身動き一つ取らずうずくまっていた奇妙な存在のことを思い出した。いったいどんなものかもわからないのでクベレーに相談したが、クベレーはかっと目を見開き、動揺した様子を見せた。クベレーがあそこまで動揺した様子を見たのは、パンゲロスにとっては初めてだった。それだけ、脅威になりうるものなのだろう。パンゲロスも、知識としては知っていたが、それとはまったく別のもののようだった。
そうして『あれ』を運び込み、丁重に扱って治療を施した。クベレーが手ずからそうする補佐したのでパンゲロスも『あれ』を間近で見ることができたが、どうなっているのか一向に理解できなかった。
ただクベレーには理解ができるのか、パンゲロスに説明してくれた。
「いいか、決して刺激するな」
「それは切り札にも自滅にもつながる諸刃の剣、ということでしょうか」
「そうだ。だが放置しておかしなことになるよりも、管理下において動向を把握した方がいい。死にかけているのは事実のようだ」
「私には理解できません・・・人間どうしがつながったまま仮死状態で休眠するなど。しかもこのような形で・・・本当に人間ですか、これは?」
パンゲロスの問いに、クベレーも答えはない。おそらくはクベレーにも何が起きているのかは理解ができず、ただ放っておいて暴走されるよりは、管理下に置きたいだけなのだろう。あわよくば、研究したいのかもしれない。
だが『あれ』は不思議なことに生命を維持するための処置は受け入れたが、それ以外の一切を拒絶した。わずかでも傷つけようとすると、その切っ先から腐り落ちるのだ。いや、腐り落ちるのとはまた違うのだろうか。まるで金属が嘆いて死んだようにすら見えた。
休眠状態でも、明確な意志がある。それがわかると、パンゲロスはますます理解不可能となっていずれ遠巻きに観察するだけになったが、周囲の様子を理解しているのならこちらの呼びかけに応える可能性もあるのではないか。そう考えると、パンゲロスはは『あれ』の元に向かうこととした。
制限時間は檻に入れてあった魔獣や魔王が全滅するまで。そしてダンディがどれだけ敵を引きつけてくれるかにもよるだろう。先ほどからグロースフェルドが奇妙な魔術を展開し始めている。それが迷宮に満ちるのも時間の問題だとパンゲロスは知っていた。
続く
次回投稿は、9/20(火)24:00です。