加護無き土地、その6~雷鳴の怒りに~
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「では、あの土地が荒んだのは人間のせいだと?」
「かいつまんで言えば、そういうことになるね」
グウェンドルフの話を聞き終えた後、ラーナの第一声は驚きに彩られていた。ラーナはフェアトゥーセの元で、この世界の構成について一定以上の知識を授かっているが、その彼女の頭脳を持ってしても理解しがたい話であったのだ。彼女が目をぱちくりとさせながら、グウェンドルフを不思議な物でも見るような目をするのも無理はない。
「そんなにおかしいかい、私の話は?」
「あ、すみません・・・」
指摘されたラーナが顔を赤らめ狼狽する。
「ですが、精霊がいない土地では、人間の意志が最も強く力場として作用するなどとは」
「まだそういった説があるというだけの話だよ。私は信憑性の高い説だと思うけどね」
グウェンドルフが近くの精霊から聞きだした話はこうである。
ここガーシュロンの紛争地帯において、比較的北西のはずれにあるユートレティヒトと呼ばれたこの街は、紛争地帯にあっても比較的平穏な土地だった。街としてローマンズランドなどと交易をするようなことこそなかったが、地理的に戦場になりにくく、せいぜい徴兵などで男が多少狩りだされるくらいだった。ユートレティヒトの人々は、元々が犬を使った狩りを得意とする集団で、ピレボス近くの森に入っては獲物を捕まえるのが彼らの習慣だったらしい。あの異形の犬も、まだその時はごくごく普通だったそうだ。
事情が変わったのは、およそ20年ほど前の事。街として農業を盛んに行っていたわけではないが、狩猟で賄えきれない食物はもちろん栽培している。それらの食物が急に育たなくなったのだ。食べる物がなくては生きていけず、彼らは不足分を補うため狩猟の範囲を拡大していった。
すると、当然今まで生じなかった軋轢が生じる。それは他の街の者であったり、あるいは自然そのものであったり、また魔物であることもあった。そしてある日、見たこともない魔物を多大な犠牲を払いながらも倒し、その肉を誤って口にした犬が、猛烈に苦しんだあげく現在のような変形をした。その姿に街の者は最初こそ怯えたが、犬が命令に逆らうわけではなく、むしろより有能に魔物を追い詰めることから、彼らはいつしかその異形の変化を受け入れるようになってしまった。
そして時は流れる。変形した犬を得てより積極的に狩りをするようになった彼らは、他の街との争いを回避しようという意識が薄くなっていった。そして彼らの増長は、やがて本格的な戦争へと発展する。彼らは魔物を追い詰める犬を使うことで自分達は狩猟民族として優秀だと完全に思い込んでいたが、それらはあくまで知恵の低い魔物や魔獣を相手取ってのこと。人間相手の戦争では、戦いの方法自体が違うことに、彼らは敗北するまで気づかなかった。あっけなく、実にあっけなくユートレティヒトの街は敗北したのである。
それからである。誇りを折られた彼らは、全てに希望を見出せなくなった。相変わらず街に作物は育たず、街に見切りをつけて出て行く者も多かった。戦死者も合わせ、人口はわずか10年で1/3にまで減少した。そして、ここぞとばかりに今まで狩りの対象としていた魔獣や魔物の襲撃をユートレティヒトは頻繁に受けるようになった。今までは彼らが定期的に狩りを行うことで魔物や魔獣の数は一定以下に保たれていたのだが、ユートレティヒトの住人が狩りを積極的に行わなくなったせいで、周辺は魔物や魔獣の巣窟と化していたのだ。アルフィリース達がこの街に入るまで何の被害にも会わなかったのは、魔物達がグウェンドルフを警戒したのと、リサができる限り魔物の多そうな道順を避けたおかげなのと、いくばくかの運だった。
そしてユートレティヒトの住人は、今では魔物や魔獣の襲撃に必要以上に怯え、町に籠って暮らす日々なのである。治安は乱れに乱れ、なのに不思議な連帯感はある。それはこの町にうっかりと訪れた誰かを襲い、彼らを骨の髄までしゃぶりつくすまで吸い取らないと、生きていくだけの資源が得られないのではないかという強迫めいた感情だった。要は、この町そのものが大きな罠だと言い換えてもよい。
事情を知る者達は、決してユートレティヒトに近づかない。そして今ではユートレティヒトはこう呼ばれる。『蟻地獄の町』と。
そういった理由で彼らは魔物の襲撃に異常に怯え、執拗に追及するのである。もっとも、たとえエメラルドが魔物でないとされた所で、アルフィリース達は同じ目に遭っていたであろう。この町は、そういう場所なのだ。
そしてこの話を聞いて、グウェンドルフはかつて自分の親友でもある天空竜マイアが言っていたことを思い出した。
「(グウェン・・・この大地には誰の加護も得られない土地があるの。そして、それは偶発的に出現するの。私はいつも空から大地を眺めているからよくわかるの。そういう土地には生命は寄りつかないけど、段々とその場所が増えていっているみたい。まるで大地が虫に食べられているみたいに。私達が生きている間にどうこうなるような速度ではないかもしれないけど、どうにも嫌な感じがするわ)」
天空竜と呼ばれ、常に空を住処として地上を見下ろす彼女ならではの意見であった。グウェンドルフはこう述べると真竜として文句を言われそうなので誰にも言っていないが、彼は空を飛ぶのがあまり好きではない。それよりも、地上で羽を休め、自然の香りや鳥のさえずりに囲まれる方が余程心地良かった。
「(だけどマイア、これはそうも言っていられないのかな? 今まで私が棚に上げていた問題が、ここにきて一気にのしかかってくる思いだよ)」
グウェンドルフはラーナを前に、一人唸っていた。そんなグウェンドルフを覗きこむように、ラーナが質問する。
「あの、グウェンドルフ様」
「ん、ああ。考え込んでしまったね。なんだい?」
「その、私には人間が土地にそこまでの影響を及ぼすという考えがわからないのですが、一体どういった理由でしょうか?」
「うむ。これは最初に言い出したのは私ではなくて、別の真竜なのだが」
グウェンドルフはさらに語る。
彼の仲間がかつて、人間を非常に面白い生物だと言ったことがある。
――人間は未知数の生き物だ――
と。空も飛べず、寿命も短く、生き物として病程度で呆気なく死ぬ種族を指して何が面白いのかと他の真竜は笑ったが、彼だけは強固に主張した。
――彼らは何の属性も持たぬ。ゆえに全ての属性を持つこともできる。そして彼らの意志の力は我々よりもさらに強大かもしれない。なぜなら、100年も生きぬ彼らが、未練一つで悪霊となってこの世に永遠に留まりもする。魔術の補助も無しにだぞ? これが一体いかほど凄まじい出来事か。俺は人についてもっと知りたい――
そう主張した真竜は仲間と袂を分かち、遥か昔に人間として人間の世界に降りて行った。
「(そう、彼の名前は『翼を捨てし者、ノーティス』。当時は彼が何を言っているかはわからなかったが、今ならわかる。マイアは彼の話をよく覚えていて、今回の説を思いついたのだったな)」
その説を、グウェンドルフはラーナに語って聞かせようと思うのだ。
「いいかい、ラーナ。この大地というものは、非常に色々な生物が集まってできている」
「はい。それは存じあげております」
「その中で、一番大きいのは何だい?」
「それは、もちろんこの大地そのものでしょう」
「その通りだ」
グウェンドルフが頷く。
「だから大地にもっとも影響を及ぼすのは大地自身。言いかえれば、精霊などの類いだね。でも、2番目に大きなのは何かわかるかい?」
「いえ・・・真竜でしょうか?」
「私も、昔はそう思っていた。むしろ、ほぼ全ての真竜がそう思っているだろうね」
グウェンドルフは子どもに諭すような優しい目でラーナを見つめている。
「ところが、それは人間だと言った真竜がいたんだよ」
「えっ!?」
「そう、まさかと誰もが思ったさ。私でさえそうだ。だが、そう考え得ると色々今回の事は納得がいくのだよ」
グウェンドルフはそこで一つ間をおいた。
「まずはじめに。この仮定が正しいとすれば、精霊のいないこの土地で、人間の思考が土地に影響を与えることになる。すると、この土地で現在渦巻いている感情はなんだと思う?」
「・・・諦め、怯え、絶望といったところでしょうか?」
「そうだね、さすがフェアトゥーセに育てられた者だ。およそその通りだろう、よく察している」
グウェンドルフに褒められて、ラーナが頬を朱に染める。
「人間の感情というものは不思議なもので、自分では制御できないほど強いことがあるだろう?」
「はい、それは確かに」
ラーナは自分がアルフィリースに向ける感情を思い出す。なぜ自分がそこまでアルフィリースに魅かれるのか、ラーナは自分でも説明ができない。ただ、彼女に魅かれるのだ。その感情がたとえ世間的には邪なものであるとされても、自分ではどうしようもなかった。またアルフィリースがそういった自分の感情を知りつつも、差別するわけでもなくいつもどおりに接してくれるからこそ、ラーナはなおさら狂おしい。
「そして人間の感情とは、負の連鎖を抱くと自分では断ちきれなかったりするんだ。自分一人ならまだしも、複数の人間同時にそのような思いを抱くと、特にね。負や闇といった要素は、人を惹きつけて止まないから」
「それもわかります。私は闇魔術の使い手ですから」
「その辺は君も実感があるだろうね。闇魔術を扱うものは、並の魔術士よりはるかに精神的に強くないといけない。それはさておき、この町は先ほど言ったように、負の連鎖が止まない状態なんだ。だから、本来関係のないはずの住人までおかしくなってきている」
「どうすればいいのですか?」
ラーナは真剣な面持ちで質問した。どうにかできるならやってみたいというのが、ラーナの心境である。彼女もまた、普段はとても心優しい性格である。闇魔術を扱う上で、ここまで心優しい者は珍しい。それだけラーナの精神力が強靭な事を示していた。
だが、グウェンドルフの返事は彼女の期待通りにはいかなかった。
「・・・わからない」
「そんな!」
「いや、済まないと思うんだが、本当にわからないんだ。魔術を使うのはどうかと思うし、この負の連鎖を断ち切る程の出来事を、どうやって起こせばいいのか・・・」
「グウェン~」
その時、眠い目をこすりながらイルマタルが起きてきた。イルマタルは不思議な事に、今ではグウェンドルフを自分の父親だとは認識していなかった。面倒見のいいお兄ちゃん、といった態度で接してくる。そのイルマタルが、グウェンドルフの白のローブの裾を引く。
「あれ、なに?」
「え?」
イルマタルが指さした方向をグウェンドルフとラーナが見ると、そこには街に佇む巨大な輝く女性が立っていたのだった。
「あれは・・・なんですか?」
「いかん! インパルスの暴走だ!」
グウェンドルフは翼を出して、飛び立つ準備を整える。その彼の腕を慌てて掴んで、ラーナが事情を聞く。
「暴走とは?」
「精霊剣は上位精霊などの存在を封じ込めて作ったもの。彼らに我が残るかどうかは運だが、使用者の強い感情に反応してしまうことがある。あれは、インパルスがエメラルドの何らかの感情に反応したのだろう」
「穏やかでは・・・なさそうですね」
ラーナが見た時、家の3倍以上はありそうな巨大な女性が手を差し伸べて、家々を雷で砕くところだった。手から放出される雷鳴で、あっという間に10軒以上の家が砕け散る。
「どうすれば止まるのですか?」
「わからない! だがアレは危険だ。放っておけば、自分の力を使い果たすまで暴れ回る。あの街くらいは簡単に消し飛ばすはずだ!」
「そんな!」
「とにかく私はアルフィリース達を保護しに行く! ああなっては、もう元には戻るまい。イルマタルを頼んだぞ、ラーナ!」
「承知いたしました!」
それだけ言い残すと、グウェンドルフは風を巻いてアルフィリース達の元に全速力で向かっていった。
続く
次回投稿は、6/18(土)15:00です。