開戦、その83~迷宮攻略、グリブル戦①~
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「うおおっ!」
グリブルは配下から離れ、存分に一騎打ちに集中できる場所でメルクリードと戦っていた。クベレーによって魔王として生まれ変わったグリブルだが、魔王となる以前の記憶もおぼろげながら残っている。
魔王となる前は騎士。それも、おそらくは団長級の立場にいたはずだと思う。部下を多数率いるようになって懐かしく感じたのが、何よりの証拠だ。ただ、率いていた部下の顔を、一人たりとも思い出すことはできなかった。
素材となったのは、最低でもケンタウロス、ミノタウロス、オーガはあるはずだ。どの連中も勇猛果敢に戦い、戦闘で命を落とした。中には、クベレーに一太刀入れた剛の者すらいたはずだ。それらの生命が合わさって魔王となった時、まず第一に感じたのは「戦いたい」という戦闘意欲。クベレーへの恨みよりも、不可思議な状況よりも、グリブルは戦いたいという一念で吠えた。その時、クベレーがどこか満足そうに眼を細めたのを覚えている。
クベレーは洞窟の奥深くにいながらも、十分な戦闘を経験させるために色々な戦場を用意してくれた。オークの軍団にローマンズランドの衛星国を制圧させる時も、可能な限りグリブルに出番を与えてくれた。オークの軍団を別行動させ始めてからは滅多に戦うことはできなくなったが、どうせオークの軍団に戦って面白い者など、シャルロッテくらいしかいなかったのだ。特に未練はなく、ただ外に出る時だけを待ち詫び、無聊の慰めに人間の本を読み返すくらいしかやることがなかった。
その中でも特にお気に入りなのが、最初の騎士オーダインの物語。人間の中に、これほど熱く戦える者がいるのであれば、その時が楽しみでならないと、夢にまで見た。そしてその願いが叶うかのように、オーダインを知ると言う騎士が現れたのだ。これを僥倖と言わずして、なんと呼ぶのか。グリブルは魔王となった経緯や、クベレーへの恨みなどどこかに吹き飛んでしまった。
だが、実際に手を合わせてみれば。グリブルの心に去来するものは熱き思いではなく、芯から冷えるような恐怖だった。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・」
「もう終わりか?」
既に打ち合うこと数百合。グリブルは全身汗だくとなり、一度距離をとってハルバードを支えに体力を回復させざるをえなかった。対するメルクリードは汗一つどころか、息すら乱していない。
グリブルが壁ごと削らんばかりの勢いで武器を振るっても、メルクリードは涼しい顔をしてそれを受け流す。まるで柳に打ち込んでいるのかと思いきや、少しでも体が流れると合間に鋭い斬撃が何度も飛んできた。結果としてグリブルは全身傷まみれになり、そのうちのいくつかは深手になったようだ。流れる血が止まらず、グリブルは体力が休んでも回復しないことを知った。
その様子を見ながら、ゆっくりとディオダインを歩かせるメルクリード。グリブルはその馬が本当に厄介なことを知っている。どれほどの攻撃を浴びせても、あの馬が柔軟に勢いを殺すのだ。人馬一体とはまさにこのことかと言わんばかりの名馬。何より、戦いに怯えた様子が一度も見られない。主人を心から信頼しているのだろう。
メルクリードはゆっくりとグリブルを中心にして円状に周りながら、様子をつぶさに観察していた。
「脱水、出血による貧血。ふむ、長い間自分の実力以上の相手と戦い続けたことはないか。やはりいかに優れていようが、穴倉に籠っているのでは経験不足だな。長期戦で一番怖いのは水不足だ。脱水になれば息はあがり、思考力と判断力も低下する。酷ければ頭痛、朦朧から意識を失うこともある。水と軽食を持参するのは、騎士の嗜みだぞ」
「・・・生まれてからこちら、まだ一年程度だ。経験値不足と言われれば、否定はできん」
「驕らないことは良きことかな。鍛錬も努力も怠らず、正確は素直で勇猛果敢。魔王とはいえ配下から慕われるだけの人徳もある。敵なのが惜しい」
そこでメルクリードがディオダインの歩みを止める。そして槍をひゅんと振り、握り直した。
「・・・と、まぁ初代オーダインなら、ここでお前の勧誘をするだろう。奴はそもそも戦いが嫌いだったしな」
「そう言えば、まだ騎士オーダインの話を聞いていないぞ。冥途の土産に、一つ話を聞いてもよいか?」
「よかろう。オーダインは騎士として自ら戦いを望んだことは一度もない。全て挑まれた勝負を受け、その全てに勝利したのだ。大半は勝負を避け、逃げ回っていたがな」
「何?」
逃げ回るのは騎士の恥だと考えていたグリブルは、意外そうな声を上げた。その表情に満足したのか、初めてメルクリードが表情を崩した。
「やはりそう思うよな? 誰もが勘違いしているが、オーダインの奴は臆病で、泣き虫で、鈍臭くて、ヘタレだった。惚れた女子一人にすら緊張して声もかけられぬし、戦いの最中に泣いて漏らしたことなど何度あるか。奴はお化けや死霊の類が大の苦手でな。怖い話など冒頭で固まって動けなくなったし、雷も恐ろしかったようでなぁ」
「はぁ? なんだそれは、臆病者ではないか」
「そのとおりだ、奴は臆病者さ。槍だって、最初から強かったわけではない。俺が戦った時、奴が何を持っていたと思う? 洗濯竿だ。村のはみ出し者で虐められっ子は、村の若者に煽られてそれで俺と戦いに戦いに来たのだ。間抜けだろう?」
くっくっく、とメルクリードがが笑う。グリブルが呆然とするのが面白いのか、はたまた昔を懐かしむのか、それはメルクリードにしかわからない。
「戦うことすらできなかった奴が最初にとった行動は、見事な土下座だった。最初に稽古をつけたのは俺だ。だが、そこから奴の伝説が始まったのも事実だ」
「・・・戦いの天才だったのか? 素質があったとか」
「いや、欠片もないな。お前の方が余程見込みがある」
メルクリードが首を横に振った。グリブルはますますわからないといった表情になった。
「ではいったい――」
「わからんか? 村の何の才能もない若者すら、戦わねばならぬほど魔物が溢れた時代だったのだ。臆病で、家の外にすら出るのを怖がる若者が槍を手にして戦うことが、いかほどの覚悟を必要としたか。それこそ、人の何倍も何十倍も――奴は覚悟を武器に戦い続けたのだ。花を、樹を、鳥獣を愛でるのが好きだった若者が武器を取って人を困らせる魔獣や魔王を討伐する旅に出ることが、どれほど悲愴な決意だったか。奴の槍は戦いで磨かれた、一戦ごとに別人のように強くなった。旅を始めて3年、奴の槍はついに俺に届いた」
メルクリードが槍を構える。立ち上る殺気に、グリブルもハルバードを構えた。
「見せてやろう。無敗を誇った魔王だった俺に、初めて一撃を入れた人間の技だ。俺も完全に再現できるわけではないがな」
「・・・一手、所望」
構えて気合を入れるグリブルを相手に、メルクリードはふっと笑った。
「・・・本当に惜しい相手だ、お前は。だが戦場ではそういう者から死んでいく。臆病なくらいが、丁度良いのだよ」
ディオダインが地面を蹴る。
続く
次回投稿は、9/8(木)6:00です。