開戦、その69~消耗戦㉔~
ミレイユは懐かしい話をしながらも、くつろぐつもりはないらしい。指先はこんこんと床をせわしなく叩きつつ、じろりとドライアンを睨んだ。
「まー、過ぎたことさ。今じゃあ軍の鼻つまみ者を、アキーラとニジェールが引き受けていたことくらいわかるようになった。ブラックホークにも同じような部隊があるからね」
「そうか」
「だからといって後悔はしていない。そしてワタシがあのままグルーザルドにて出世なんてしようものなら、もっとろくでもないことになったかもしれない。ワタシはどこまでいっても戦士だ、将じゃない。それを最近よく理解するようになってきた。やっぱりあそこでワタシが追放されて、リュンカが獣将になったのは、グルーザルドにとってはよかったんじゃないか? 王様だって、正直そう思っているだろ?」
「まぁ、そうだな」
「言うね」
ミレイユが屈託なく笑った。こんな笑い方をする女じゃなかったのに、とリュンカは思う。ブラックホークなる傭兵団に所属して、人間や獣人以外の仲間ができて、彼女にも変わることがあったのだろうかと不思議に思う。
そしてひとしきり笑ったところで、ミレイユの笑顔が急に消えた。
「で、王様。ワタシを呼んだ理由はそれか? 血と、懐かしい匂いがする」
ミレイユがドライアンの脇にある、白い布のかかった皿にくいと顎を向けた。ドライアンは促されるままに皿を前に押すと、ミレイユがおもむろに布を取り払う。そこには、発見されたままの形でカプルの腕があった。
ミレイユの瞳は瞬きもせず、じっとその皿を見つめた。
「こういう戦場に爺さんがいないのはおかしいと思っていた。本人は?」
「生死不明だ。が、まず死んだと思って間違いあるまい。作戦行動中に連絡もなくいなくなることなど、俺は今まで一度も知らん」
「そうか、爺さんが・・・ワタシも世話になった。この人がいなきゃあ、筋違いの恨み言を言いながら、世の中を呪っていたかもしれない。ワタシにとっちゃ、親以上に親みたいな人だった」
「多くのグルーザルド軍人にとってそうだろう」
「殺した奴を探せばいいのか?」
いち早くミレイユが事情を察し、ドライアンがこくりと頷いた。多くをドライアンが語らぬだけで、ミレイユには察しがついている。しばしその腕をまじまじと色々な方向から眺め、ふぅむと顎に手を当てる。
「戦いの最中だね」
「そこまでは同意見だ。だが解せぬことが何点か」
「爺さん、両利きだったよな?」
「そうだ。珍しい、完全な両利き。左手と右手に差がなく、どちらからでも必殺の一撃を繰り出すことができた」
「じゃあこれは知ってるか? 左手は以前肘を痛めたせいで、全盛期の八割程度の打撃しか打てず、現在は主に牽制打にしか使えないって」
「「え?」」
ミレイユの言葉に余程驚いたのか、リュンカとチェリオが同時に顔を上げた。その反応に嘘はないと判断するドライアンとミレイユ。さらに、
「羽は爺さんがその気になったら、わざわざ抜かなくても飛ばせる。全盛期の爺さんの攻撃は、回転しながら虚を突いて繰り出す投げ羽で相手を牽制し、右か左か最後までわからない『手刀』で、相手の頭蓋を叩き割るのが必殺の戦法だった。人間の重装鎧でもお構いなしに両断することすらできる、大刀みたいな一撃が必殺技だ」
「し、知らなかった」
「爺さんは滅多に人を殺めないからな。それだけの実力者でもあったし、何より余裕があった。度重なる実践で体は既に限界だったはずだから、放っておいても数年で墓の下だったかもしれないが・・・」
ミレイユがカプルの拳を握った。その行為が調査ではなく、感傷なのだとわざわざ指摘する者は誰一人いない。
「もうちょっと穏やかに死なせてやりたかった」
「ああ。この戦を最後に、引退を通告するつもりだった」
「優しすぎたんだ。だから拳を握り込んでるってことは、多分相手を死なせるつもりはなかったんだ。制圧しようとしたか、だが部下も誰も返ってこないんだから皆殺しに会ったはずだが・・・」
ミレイユは口に出して違和感に気付く。いかに優しかろうと戦場で手抜きをする人物でもないし、それに仲間をやられて黙っているほど間抜けでもない。
「(仲間をやられつつも、自分では絶対に勝てない相手だった? だから勝つのではなく、優先して情報を残そうとした? 誰と示し合わせて? どうして右腕しか見つからない? 他の仲間の痕跡は? カプル爺さんの直参の部下が十数名いるとして、それほどの精鋭を痕跡もなく消し去ることが可能なのか?)」
ミレイユは頭を使うことが得意ではない。だがおそらくはこの大地で、カプルの残した死の伝言の意味を読み解けるのはドライアンと自分だけだ。もうカプルと同じ時間を過ごした獣将は数少ない。せいぜいバハイア、ロッハ、ヴァーゴ、ゼルドス・・・
「(そういえば、ドライアンはどうしてゼルドスではなくワタシを呼んだ? たまたま? いや、リュンカが来たのだから最初から自分が目当てだったろう。ゼルドスを呼ぶには、人目につくから? 人目についてはまずい? それなら、ワタシは――)」
ミレイユがカプルの拳に手を添えると、既に硬くなったはずのカプルの拳が開いて、はらりと黒い羽が落ちた。その数3枚。それを見て、ミレイユに電撃に走ったように体をびくりと震わせた。
「待て・・・そんな・・・そんな馬鹿なことがあるのか? 王様、あんた気付いていたのか?」
「・・・可能性の一つとして考えていたことではある。だが、やはりそうか」
「そうだとしか言えないだろう、全ての爺さんの行為が示すのは、一つの最低な回答だ。あんた、その確証が欲しかったからワタシを呼んだのか?」
「そうだ。そして、お前ならヴァルサスがどこにいるかわかるな? 奴がいなければ対抗できまい」
ドライアンが何を考えているのか理解したミレイユは、凶暴に笑った。
「――やるのか。かつて誰もその正体を確認できず、未達成依頼にすらなっていない伝説に、喧嘩を売るんだな?」
「落とし前はつけさせる、必ずな。いつもそうしてきたし、これからもそれは変わらない。カプルを――いや、ロアやアムールの時代からそうか。ここでケリを付けてやる。今なら正体を炙り出せるはずだ」
「同じ気持ちだ――だけど、今ヴァルサスの居場所はワタシにもわからない。呼び出すのも難しいかもしれない――」
「奴はどこに?」
「ヴァルサスは今――大陸最大の迷宮を攻略中だ」
ミレイユは冷静に、そして悔しそうに事実のみを絞り出すように告げていた。
続く
次回投稿は、8/11(木)8:00です。