開戦、その67~消耗戦㉒~
「(こやつ・・・殺す気はあるが、勝つ気がない。何を狙っているのだ?)」
カプルにとっても、拳を打ち込みながら考え事をするのは初めての経験だった。迷いある拳なのに、それに合わせるようにマーリエルの剣先がわずかに凪ぎ、あたかも互角の戦いのようになる。
マーリエルは再度カプルの拳を受け止め、押し返すようにしてカプルに顔を近づけた。
「逃れられぬ。私も、お前も。全ては掌の上だ」
「何の?」
「知っているはずだ。真実に気付いていないだけで、既にお前たちも答えは見ている。私の言ったことを噛み締めながら死んで行け!」
マーリエルが前傾姿勢をとった。一気に決めるつもりなのだろうが、まだカプルにも余力はある。決めに来るのは時期尚早ではないのか。
「(決着を焦る理由でもあるのか。それとも――)」
そう考えているうちに、部下の一人が微塵になって血の煙となって吹雪に消えた。驚いた別の部下がそのままの表情で微塵と消える。そしてその場から飛びずさった者も。
それを横目で見ながら、一層殺気を放ったマーリエルからカプルは目が離せない。
「(微塵、八つ裂き――)」
カプルは数呼吸にも満たない短い時間で考えた。極限まで高まった集中力が、時間を圧縮する。かつて生死を分けた激闘で味わった感覚が、思考で訪れる。それは、ここが正念場だと本能が理解しているということ。
そしてマーリエルの言葉を思い出し、ある一つの可能性にたどり着く。その答えをそんな馬鹿なと疑う前に、覚悟が決まったカプルの表情を見てマーリエルの口元が少しだけ嬉しそうに動いた。
「理解したか? 私もお前も、死ぬしかない」
「――ああ、理解したとも。ではいざ、尋常に――」
「勝負!」
カプルには奥の手がある。自らの羽に気功を通し、飛び道具のように使う技が。致命的になるほどの威力ではないが、獣人が飛び道具を使うだけでも意表を突けるので、かなり有効な技だとは自負している。
同時に、正々堂々の戦いとは異なるので、誇りをかなぐり捨ててでも勝たなければならない場面でしか使ったことがない。生涯でも2、3度だけだろうか。
使い方は、あくまでめくらまし。必殺の一撃は拳に宿る。だが今、カプルの右手には羽が3枚、左手には羽が5枚あった。それらを構えると、同時に腕を振りかぶった。
マーリエルがその攻撃を察知すると、突然加速して長剣でカプルの右腕を迎撃し、切断した。カプルは左手の羽をマーリエルの顔面に叩きつけ、5枚の羽がマーリエルの美しい顔に突き刺さる。
だがマーリエルは眼球にその一枚を受けながらも歯を食いしばり耐え、目にも止まらぬ連撃でカプルを八つ裂きにした。
「見事――」
「――貴様も」
八つ裂きになったカプルの表情に、恐怖も苦悩もない。ただ静かに、その目がゆっくりと閉じられていた。
マーリエルはそれを見届け、またカプルの部下も一人残らず微塵になったことを見届けると、剣を支えにして膝をついた。
「――羽が頭の中まで届いた、か。放っておいても死ぬな」
マーリエルは自死するように剣の風に命令され、それを果たすつもりでいたが、ふとその命令に逆らいたくなった。どうせ死ぬなら剣の風の命令ではなく、敵の手で――なぜかそう考えたのだ。
本来なら命令には逆らえないはずだが、頭の中が壊れたせいか、今なら容易くやってのけられそうな気がした。それはマーリエルにとって、最初で最後の反乱だったかもしれない。そして今脳裏に浮かぶのは、なぜかトランケルとルィーヒの姿だった。彼らは時を同じくして生まれた人形で、いつも一緒にいはしたが、別段交流があったわけでもない。ただ同じ時を過ごし、同じ目的のために働き、同じ場所で死んでいくだけだ。
それを何と呼ぶのか、今ではマーリエルにもわかる気がする。
「そうか、これが仲間というものか――すまなかった」
そう言い残して、マーリエルは活動を停止した。それは誰に向けての謝罪だったのか、誰にも知られることはない。
吹雪の中から姿を現した剣の風は、マーリエルが大地に還っていくの見届けると、吹雪に紛れるようにしてその姿を消した。
***
「カプル爺さんの部隊が姿を消したのは、本当か?」
「は、はい!」
吹雪の中、やることもなく天幕でくつろぐチェリオの元に、カプルの部隊の伝令が慌ただしくやってきた。カプルが監視で使っていた特殊部隊と、カプル本人からの連絡が途切れたとの伝令だった。
チェリオもそんな部隊がいるとは知っていたが、カプルが連絡を途絶えさせたのは初めてのことだった。狼狽する伝令を伴い、苦手なはずの吹雪の中に飛び出したチェリオ。そしてリュンカを伴い、カプルの部隊が陣取っていたはずの高台に向けて雪の中を無理矢理に進んだ。
「チェリオ! 高台は翼がある連中を連れて行かないと無理だ!」
「そんなことはわかってる! だが、何かあったらどうする?」
「何かとは、なんだ! まさか、カプル老の身に何かあったとでも言うのか!」
「何かあったのは確実だろ!」
チェリオが怒鳴った。カプルの几帳面な性格からして、何かがあったのは間違いない。カプルは筆まめで、陣中からも自分の子どもや孫に定期的に手紙を送るのを忘れない。それもまとめてではなく、別々に暮らす家族へ、それぞれ手紙を寄越すのだ。
そんなカプルを、多くの獣人は手本としているし、尊敬もしている。チェリオは尊敬とまではいかないが、その人格と仕事ぶりを誰よりも信頼していた。
「何かあったとして、何も残さずやられるはずがない! 何かを残すとしたら、この吹雪であっという間に見えなくなる可能性がある! 時は一刻を争うんだ!」
「わかった、わかったからせめて上着を羽織れ! この寒さでは、お前の種族は凍え死ぬぞ!」
「俺の体なんぞクソくらえ――あれはなんだ?」
チェリオが見つけたのは、高台のふもとに雪の中から突き出すように出た、カプルの右腕だった。
続く
次回投稿は、8/7(日)8:00です。