開戦、その65~消耗戦⑳~
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「・・・そんな馬鹿な」
突然頓狂な声を上げたのは、獣将カプル直属の配下ニェス。冷静で知られる彼のその声に、部隊の仲間の視線が思わず集まった。
フクロウの獣人であるカプルの配下には短時間ではあるが空を飛べるものが多く、その飛行能力をもって斥候をする者が多い。イェーガーにいるカラス族のガウスも、グルーザルドではこの部隊に所属していた。
ローマンズランドにフリーデリンデ天馬騎士団を丸ごと雇い上げられたせいで、合従軍には空の目となれる部隊が一つもいない。頭上を押さえられるのは致命的な失策だったが、カプルの部隊がいたおかげでなんとか一方的な蹂躙だけは避けてこられたのだ。
彼らがいるから、シェーンセレノもグルーザルドに過剰な干渉ができなかった。また彼らが危険な斥候役を進んで務めるので、人間と獣人の溝が埋まりやすくなったともいえる。一見すると献身的な彼らの働きだが、実は裏がある。
ドライアンに命じられて、二の門を落とす戦いでは断崖絶壁の側面を攻略して、アルフィリースと連絡を何とか取ろうとしていた。結果として失敗には終わったが、雪さえなければ側面の登攀経路を彼らは開発できることがわかった。
さらに、彼らはその空を飛べるだけではなく、中にはセンサーのように気配を察することができる者や、特殊な視力、あるいは聴力を備えている者が多数いた。彼らは敵に対する斥候だけではなく、味方に対する間諜としてもその役割を担っていたのだ。なおニェスの場合は、相手の疲労度や筋肉のつき方、体重までも寸分狂わず鎧の上からでも見て取ることができる。
そしてカプルがかねがね目をつけていたのは、シェーンセレノの側近たち。合従軍の兵士がどこからともなく補充が来ること。そして大した打ち合わせもなくその息がぴたりと合うことを訝しまないわけがない。いかに彼らがサイレンスの人形と言えど、シェーンセレノだけではその動きは不可能なのではないかとドライアンは睨み、カプルに内偵を進めさせていた。
カプルが考えた可能性は、シェーンセレノが本当の指揮官ではない。あるいはシェーンセレノと同等の指揮能力を有する個体がいるのではないかということだった。今まで見ていてその気配や存在を感じることはついになかったが、ここにきて潮目が変わっていた。シェーンセレノの護衛が2体、姿を消したのだ。
その報告を受けたカプルは、吹雪で多くの仲間の身動きが取れなくなったことを受けて、子飼いの精鋭たちにひっそりとシェーンセレノの陣営を監視させていた。二の門が陥落してから以後の攻城戦にグルーザルドが召集されていないこともあるが、ドライアンは一言、
「尻を叩かれない限り、奴らのことは放っておけ」
と言い放つと、天幕で座り込んで瞑想を始めていた。そして周囲警戒の名目で少し離れた岩だなに陣取り、シェーンセレノの本陣の様子を監視し始めて20日目。異変を部下が感じ取ったのだ。
「どうした、ニェス。動きがあったのか?」
「あった、あったが――そんな馬鹿な?」
自らの目を疑うように何度も擦るニェスの行動は、彼らの仲間をして始めて見るものだった。
「報告は端的に、明瞭にだぞニェス。最初の報告では求められない限り、感情は排除だ」
「あ、ああ。それはわかっているが――なぁ、お前ら信じるか? シェーンセレノが2人いるって言っても」
ニェスの言葉に全員が唖然としたが、そこにカプルが丁度やってきた。
「信じるも何も、まず事実があり、そこから理由を考えればいいだけだ。違うかね?」
「あ、カプル様」
「私はお前の目を信じている、ニェスよ。他には何がある? いや、誰がいる?」
「他にもフードをかぶった人物が一人――あれも見覚えがあるな。誰だったかな」
「見覚え? シェーンセレノの近侍ではなく?」
カプルの疑問に、ニェスは首を振った。
「ええ、他にもどこかで見たような・・・まいったな、人間の顔はどれも同じに見えるからな」
「だからもうちょっと人間と仲良くしとけって言っただろ」
「うるせぇ! あいつはたしかそう、護衛じゃなくて――連絡役で俺たちの陣地もうろうろしていることがあったような――」
ニェスが自分の記憶を手繰ろうとして、別の者があっと声を上げた。体温を感知する特殊な目を持つ、ワシ族のセレンが声を上げたのだ。
「中にいた女がやられた! さっき入っていった奴にだ!」
「何!? まさかシェーンセレノか?」
「それはわからないが――立ち位置的にそうだ」
カプルの精鋭をもってしても、場は混乱した。白昼堂々と、合従軍の司令官が暗殺されたのだ。人間の中の出来事とはいえ、混乱しない方がおかしい。
「待て待て、そんな馬鹿な話があるか。影武者なんじゃないのか? それにシェーンセレノが2人いるってのなら、外から来た方が本物で――」
「だからって、体つきまで全く同じってことがあるのか? ニェスが見間違うなんて、ないだろう。なぁ、ニェス――」
そう言って仲間がニェスの方を振り返ると、ニェスの目から上がなくなっていた。斬られたことすらわかていないように、ニェスが声のした同僚の方にくるりと振り向こうとして倒れた。それから忘れたように血が噴き出したが、寒さのあまり血があまり出ないにしても、見事なまでに美しい切断面だった。
続く
次回投稿は、8/3(水)9:00です。