開戦、その51~消耗戦⑥~
「なんだと・・・?」
トランケルが目にしたのは、門をくぐった瞬間に弱まった吹雪と、少し高い場所に佇むアルフィリース。剣を雪氷に突き刺し、堂々とした佇まいでこちらを見て嘲笑する女剣士だった。
その姿を見た時、トランケルの内心に湧き上がったのは覚えのない感情。その感情の名前が怒りだということを、彼は知らなかった。
「あの人間・・・!」
トランケルは大剣を抜き放ち、走りながら命令を下した。
「全軍突撃! あの傲慢な人間の首を獲れ・・・?」
だが命令と同時に動き出したトランケルの声は、崩れた地面の底へと消えていった。彼が10歩も進まぬぬうちに、先頭のトランケルと兵士たちが落とし穴へと落ちたのだ。
雪で隠れた十分な深さの落とし穴。背丈の10倍はあろうかという陥穽に落下したトランケルは、底に溜まった黒い水に着水した。膝がつかるくらいの浅さの水だが、底が雪でなければ落下の衝撃で身動きが取れなかっただろう。溺れさせられるか、串刺しを考えていたがそのいずれでもない。
空からは次々人形兵が降ってきていて、側面には、発破が満載されている。それはサイレンスという人形である自分をして、なんという悪夢のような光景だろうかと思った。そしてぬるりとしたその水が油の類だと気付いた時には、トランケルはまたしても覚えのない感情を抱いた。そう、恐怖という感情を。
そして兵士の間を縫うようにして、きらりと光る宝石のような輝きが落ちて来て、それが魔術による消えない火種だと気付いた時には、思わずサイレンスとしてあるまじき暴言を吐いてしまった。
「・・・クソがっ」
瞬間、大爆発が起きた。その油がただ燃えるのではなく、燃える水と呼ばれる揮発性の爆発する油だとはトランケルも知らなかった。周囲の発破も交えて大爆発した落とし穴には、さらに側面の穴が作成されていた。
相手の地下坑道に対する対策として、側溝を作成して水を満たしておき、水攻めにするという常套手段がある。アルフィリースは敵の地下坑道が思わぬ速度で完成した場合のことも考えてこの縦穴を作成していたのだが、地下坑道を浸水させて倒せるのは一般兵士や工兵であって、敵の大将格ではない。ならばさらに大物が連れることを期待して、縦穴を別の罠に切り替えた。
果たしてその罠は予想外に強力な一撃となり、合従軍に襲いかかった。縦穴は敵の坑道側に掘っておいた側面に爆発の勢いを逃がし、ついでに開通しかけていた地下坑道へも到達した。トレヴィーの目算はあくまで相手が何もしていなかった場合の話で、ローマンズランド側からも掘ったことで、実はあと数刻で地下坑道は開通していたのだ。そして地下坑道から爆炎が逃げたことで、丁度地下坑道に設置しようとしていた発破にさらに火が付いた。
もし地下坑道が有効でなかった場合、この台地ごと二の門を吹き飛ばす算段をしていた合従軍とシェーンセレノ。その策がまもなく成りそうだということで、発破を持ち込んでいたのがまずかった。
アルフィリースの想像おも上回る衝撃と、大爆発が二の門の基礎を崩した。二の門はゆっくりと合従軍の方に傾き始め、まるで泣くような音をたてながら、門の前に展開していた人形兵を押し潰した。
一糸乱れぬ統率を誇る人形兵たちも、天が落ちるような巨大な門の崩落に巻き込まれることを悟ると、右往左往し醜態を晒した。それを見たシェーンセレノは激昂し、いつも優雅さと冷静さを忘れぬために持っていた扇をへし折り、雪に叩きつけた。
「アルフィリース!」
指揮官たるシェーンセレノが激昂するのを見て、残りの戦闘用人形2体が互いに顔を見合わせた。余計な思考と感情を持たぬ彼らをして、尋常ではない事態だということはわかっている。
だからといって、彼らが自発的に何をするわけではなく、ただただ目的のために下された命令を守るだけなので、彼らは数瞬顔を見合わせただけで、崩れて下敷きになった人形たちに向けて、無感情に視線を戻していた。
驚いたのは、合従軍だけではない。ローマンズランド側も、想像以上の戦果に動転していた。既に二の門を破棄するつもりだったので崩れても困らないとはいえ、想像以上の衝撃と光景に動揺は隠せない。
「・・・ここまでの大掛かりな罠だったのか?」
「いや、そこまでじゃあなかった。予定ではある程度敵を押し返してから、二の門の内門を再度下ろす手筈だったような」
「門にもまだ仲間がいたろ? 巻き込まれたんじゃないか」
「それはそうだが、この惨状じゃあどうしろって・・・?」
その時、茫然とするローマンズランドの兵士の目には信じられないものが飛び込んできた。大爆発したはずの落とし穴から、飛び出してきた一人の人間。それが大剣と大盾を構えていることを認識し、敵だと理解するまでの間に10近い首が宙を舞った。
続く
次回投稿は、7/7(木)11:00です。