開戦、その45~世界の真実⑩~
「二位よ」
「はい」
「意見は受け賜りました。その上で言い渡しますが、決着は必要です。そうでなければ、我々の妄執の行き場がない」
「そのために、貴女が犠牲になると? それだけの力、何の代償もなく行使できるとお思いですか?」
二位の表情が初めて揺れた。ああ、この男は娘を好いているのか、とラ・ミリシャーにはわかってしまった。母だから、あるいは自らも恋愛の真似事のようなものを経験したからわかることなのか。ラ・フォーゼはそこまで気付けないのか、少し困惑しながら、いつもと様子の違う二位の態度に困っている様子だった。
「それが使命とあれば、そうなることもあるでしょう」
「ですが、しかし!」
「その時はあなたが新たな一位です、二位よ。私たちの血統とは別の可能性を模索するにはよい機会でしょう」
「・・・それは」
「何より、私がお姉さまと戦ってみたい。御子だとか、オリュンパスだとか、大陸がどうだとか関係なく、あのお姉さまと戦ってみたいのです。私の最初で最後の我儘。何があっても、私が一位である限り聞き届けてもらいます。よいですか?」
二位はその言葉に沈黙した。避けられぬ戦いを、ラ・フォーゼは期待している。本人が望むのであれば、どうあってもその時は来るだろう。二位は力なく項垂れた。こんな無防備な彼の姿を見るのは、ラ・ミリシャーも初めてだった。
二位がこれ以上言葉を持たないことを知ると、ラ・フォーゼは再び瞑想を始めた。まだ自分もアルフィリースも、完成には程遠い。蜜月とでもいうべき戦いの時が来ることを夢見て、ラ・フォーゼは瞑想はさらに深まっていった。
***
「ウィスパー、ローマンズランド城内の様子はいかがかしら?」
「悪くはない。策士クラウゼルを始め、第一皇子アウグストと、王弟ドニフェストが多くの軍を引き連れて城を出たのがよかったのだろう。精鋭を失ったが、物資と兵糧には余裕が出た。それにイェーガーを始めとした傭兵が健闘しているせいで、兵の士気も高い」
「そう、ここまでは予定通りね。引き続き、彼らの様子を探れるかしら?」
「二の門までなら可能だが、これ以上の高度と寒冷には、通常の野鳥では耐えられん。もうすぐローマンズランド三の門以上は、完全な閉鎖空間となる。春まで私もアルフィリースと連絡がとれんよ」
鳥の姿をしたウィスパーが宣言する。ミューゼはウィスパーを介してアルフィリースと連絡をとり、徐々に得体が知れなくなりつつある合従軍から距離を置き、北部商業連合や、ターラムを起点とした後方支援に徹していた。
と、いうのは表向きで、同時多発的に大陸各地で発生する戦争の行く末の情報を掴み、そちらにこそ対応すべきだとミューゼは考えていた。その方が、最終的にこの戦争が終了した時に覇権を握ることができると考えていたのだ。
ミューゼは野心深い女である。アルフィリースと同じくもっとも有用な手段は情報だということにいち早く気づき、ドライアンの『王の耳』よりも広範に、レイファンの『ブルーウィン』よりもより規模の大きい組織を既に構築していた。その情報網と、さらにアルマスの情報を照らし合わせて、ほぼアルネリアと同等の速度と範囲をもつ情報網を構築することに成功していた。
ゆえに、おおよその戦況は把握しており、その細部をウィスパーと突き合わせることができる。
「ミューゼ殿下の要望通り指揮官はそちらから派遣し、手勢はアルマスやギルドから派遣して、最少の戦力で各地の諍いと反乱を押さえている。全てではないだろうが、この喧騒が終わる頃には多くの国が貴殿に感謝するだろうな。まったく、欲深い女だ」
「何を言うの、戦争こそ好機。多くの国に恩を売り、実利を取る。私の国は消耗せず、あなたたちは生き残った国の重鎮に知己を作り、勢力を広げる。何もおかしなことではないわ。政治よ、政治」
「その政治に武器商人を取り込もうとした為政者は初めてだぞ、殿下。アルマスなど、唾棄すべき存在として忌み嫌っている為政者がほとんどだ」
「それもアルネリアの洗脳だわ。アルネリアはアルネリアで、自分たちの勢力圏を脅かされたくないだけよ」
ミューゼの言い方に、ウィスパーは好感を覚えている。アルドリュースに恋する乙女だった頃、たしかに彼女はなんら才なき小娘に過ぎなかったはずだ。彼が施した教育のおかげではあるだろうが、純真無垢だったゆえに既成の概念にとらわれず、彼女は正確に物事の本質をとらえようとする。
アルネリアは善政を敷いている。だからこそ、その影響を利用しようとしたりする者もいるだろうに、ミューゼはそれにすら影響されることなく、物事を公平に見ることができる。唯一、嫉妬という私心に影響されるのはアルフィリースだけだろうが、それも超えて協力や利用することもできるだけの知性を身につけた。
もっとも、それもアルフィリースのあの明朗快活な性格あってこそだろうが。もう少しアルフィリースに邪な心があれば、ミューゼは徹底的にアルフィリースを潰そうとしただろう。
結果的にそうならなかったことで、ウィスパーも方針を変えた。レイファンを含めた彼女たちの関係性が、新たな道を拓く可能性が出てきたからだ。ただ、大老だけがその可能性を認められないでいることが気にかかる。やはり、直に世に出て活動し、人と顔を突き合わせることでわかることもあるだろう。そう、ウィスパーは感じ始めていた。
だからといって、アルマスとしての方針や、自分の考えが変わるとも思えないのだが。そんなウィスパーの前に、ミューゼはグラスを置き、酒を注いだ。その行為が不思議で、ウィスパーは首を傾げた。
「なぜ酒を注ぐ? この体では飲めぬが」
「気分的な問題よ。ここまで思い通りに行くとは、祝杯の一つも上げたくなるというものだわ。あなたは立派な協力者よ」
「まだ計画は成っていない」
「知っているわ。でも、ここまで築いた関係が突然壊れるわけじゃない。ドライアン王がこちら側に進出するには、私の協力が不可欠よ。彼の治世も、あと10数年程度でしょう。その頃まで、関係が悪化することは考えにくいわ。
アルフィリースだって、自らの利益に聡い子よ。適切な利を提示していれば、必ずそれに応えようとする。人間としては読めなくても、やはり傭兵なのよ。そういう意味では、扱いやすいわ。
厄介だとすれば、レイファンね。クルムスはこれから成長し続ける。いまはまだ組織も国力も未熟でも、これから私たちに匹敵するかもしれない。その時、覇を争う可能性があるわ」
ミューゼは、これから先十数年後の未来を想像している。もちろん、その可能性はウィスパーとして想定している。
「十数年後、それは現実に起こり得る未来だろうな。彼女の才能は、殿下に匹敵する」
「将来性という意味では、私よりも有望よ。十数年後、私は老いていて、彼女は全盛期を迎えるわ。だからこそ、その時までに圧倒的な差をつけておく必要がある。私の国が、レイファンに飲み込まれないように。それは、この大陸が崩壊でもしない限り、確実に起こる出来事だと思っているわ」
「大陸が崩壊しない限り、か・・・」
その言葉に、ウィスパーは肯定も否定もできなかった。大老と自分は、この大陸で何が起きていて、何が起こっていくのかを予測している。いや、ほぼ確信していると言ってもいい。だからこそ長い間備えて来て、武器商人という選択をしてまで大陸の行く末に介入してきた。その方針が間違っているとは思わないが、その行く末がやや読めなくなりつつあった。その一端を、アルフィリースが確実に担っている。その行く末を見届けるためには、アルフィリースに敵対するよりは、より近く協力者であることが望ましいと考えていた。
これからどう振る舞うべきか。ウィスパーもまた揺れていた。
続く
次回投稿は、6/24(金)12:00です。