開戦、その42~世界の真実⑦~
***
「・・・今のは?」
「何かあったかい?」
オーランゼブルの近侍であるファーシルと、ドゥームから分離した闇の精霊ピートフロートは、花畑で寝転んで曇天を見上げている最中だった。
ファーシルが油断をしていたわけではないし、ピートフロートに心を開いていたわけでもないが、彼は話し相手にただただ飢えていた。オーランゼブルの近侍として仕えて千年近く。ハイエルフとしては最も年若い彼の人生は、ただオーランゼブルの偉大な行いの補助をするためだけにあった。
オーランゼブルはけっして寡黙な人間ではなく、取り立てて冷酷というほどでもない。ただ彼は壮大な計画と、途方もない目的のために己の人生を費やすと決めた。一族を犠牲にしながら目的に邁進しているため、目的を達成するまでは心を殺して行動すると決めていたので、無駄なことを話すことは一切なかった。
その補助をするように仰せつかり、どうして余談事などを話す気になろうかとファーシルも常々心に決めていた。なので、彼らはいつも彼らの任務とでもいうべき行動に関わることしか語ることがなく、挨拶すらもただ儀礼的で、もうオーランゼブルとそれ以外のことを会話したのは何百年前かも思い出せなかった。
「寂しくはないか」
かつて一度だけ問いかけられたことがある。ファーシルの本心は是、だった。だが自分の娘サーティフルーレすら術式の核に据えて活動する長オーランゼブルを前に、どうして本心が出せようかと思い直した。
「いえ、そんなことは」
「すまぬ」
答えたファーシルに短く謝罪をしたオーランゼブルだが、その言葉だけでファーシルは一生彼の補助をで人生が終わるとしても後悔はないと、決意を新たにしていた。
だがピートフロートと会話をして、その気持ちが揺らぐ自分がいることに気付く。
「その言葉はさ、誰に向けてのものだったのかなぁ?」
「え?」
ファーシルの理解が追いつかないのは、これが初めてのことだったかもしれない。ファーシルはハイエルフであるからして、聡明で、精霊の言葉を聞くことに長け、鋼のような精神を持ち合わせていると自分では思っていたし、周囲にもそう評価されていた。どんな難解な魔術理論も理解できたし、今大陸の地脈に沿って張り巡らせた術式のいくらかは、確実にファーシルが考えオーランゼブルに助言したものだ。中には、オーランゼブルの間違いを指摘したことすらある。
その自分の知性をもって理解できぬとは、ファーシルにとって初めての経験だった。その驚愕は、しばしの間をおいて怒りに変わった。
「貴様、オーランゼブル様を侮るか!? ピートフロートとはいえ、言っていいことと悪いことがあるぞ!」
「落ち着いてよ、ファーシル。僕は君の友人として、ふと思いついたことを口にしているだけさ。別に誰も貶めようとはしていないし、ただ君のことが心配なだけで。ほら、僕って口から生まれたようにおしゃべりだろう?」
「友人、とな」
ファーシルにとって、それは先ほどの衝撃を上回るほどの言葉で、そして甘美だった。ピートフロートはなんら慌てることなく、さも当然のようにファーシルに語り掛けた。
「そう、友人だ。違ったかな?」
「いや・・・私には友人というものの定義がわからぬ」
「こうして何でもないことや、感じたことを忌憚なく言い合えるのはもう友人と表現して差し支えないと思うけどなぁ?」
「そのようなものか」
「まぁ厳密な定義なんてないんだ、そういうことにしておこう。それよりだ」
ピートフロートが話を続けようとして、「それよりとは・・・私にとっては重要なことだが、いや・・・」とファーシルが呟いたのを、ピートフロートは聞き逃さなかった。
「すまぬ、とは君の逡巡や寂しさを本当に理解したものではないかもしれない、ということさ」
「つまり、どういうことだ?」
「反射的に口をついて出ることもあるし、オーランゼブル殿の罪悪感から出た言葉かもしれないし、ひょっとしたら何の意味もなかったかもね。それは本人に聞いてみなければわからないことだけど」
「・・・そのようなものか。私に他人の、ましてオーランゼブル殿の心の機微はわからぬ」
「そんなものさ。だいたいオーランゼブル殿だって、寂しさを相当我慢しているのだろう? それこそ、君の倍は。どうやって彼は紛らわせているのだろうねぇ。ひょっとすると君以外にも、誰か協力者がいるのかも」
ピートフロートの言葉に、ファーシルの心が揺れるのが手に取るようにわかる。
「本当の意味で、計画に携わっているのは私だけだ」
「もちろんそうだとも。だけど、計画には先立つものだって必要だし、駒として動かす者だっているだろう。黒の魔術士とかいう連中は、その良い例だよね? 重要度が君に及ばぬからといって、気が合う者がいないとは限らない」
「馬鹿な」
「そう、馬鹿なことだ。だけど、どんな可能性だってゼロじゃない。そうだろ? 魔術を扱い、魔法という神秘に携わる君ならわかるはずだ。魔法ってのは、この世にありえない神秘に迫るための方法だと、君自身が語ってくれたじゃないか」
ピートフロートの言葉はファーシルの心に響いた。ただファーシルがもう少し他人とのやりとりを経験していれば、それは心を揺さぶるのではなく、他人の足元を崩しかねない悪意だと理解できたかもしれない。
ピートフロートは適度にファーシルを悩ませたところで、急に話題を変えた。結論を出す暇を与えず、相手の心に棘を残す。それは放っておくほどに、最初に打った時よりも深く彼の心に刺さるだろうから。
「さっきの衝撃はなんだろうね。僕も呼ばれた気がしたんだけど」
「・・・気のせいでなければ、御子が覚醒した余波のように感じられた。だが今はその気配を感じない。覚醒しかけて、元に戻ったか」
「御子って何?」
「知らないのか、そうか。オーランゼブル様からは、自分と唯一魔術を互角に使いうる者と聞いている。いや、完全に覚醒すれば、自分よりも確実に上のはずだと。なにせ、精霊の代表のような存在なのだから、精霊ではない種族が勝てる道理はないとおっしゃっていた」
「へぇ。じゃあその御子とやらが覚醒したら、僕はその御子に服従するのかな? 君のことも忘れてしまうのかな?」
ピートフロートの言葉に、ファーシルが困惑した表情になった。これほどファーシルの表情が歪むのは、ピートフロートも初めて見たかもしれない。良い傾向だ、とピートフロートは確信した。
続く
次回投稿は、6/18(土)12:00です。