開戦、その35~二の門前の死闘⑰~
「で、既に予定の死者数は満たしたのかしら?」
「・・・あなた」
不意を衝かれたオルロワージュの表情が強張り返事に戸惑うのを見て、アルフィリースがにこりと微笑んだ。
「ようやく一本取ったわね。まさか、気付いていないと思っていた?」
「・・・いつから?」
「私でなくとも、気付いている人はたくさんいるでしょう。魔王を放ち、争いを引き起こし、人が死んで得をするとなれば、人の命を使った儀式魔術がもっとも発想しやすいわ。ただわからないのは、その規模と方法、それに目的。それもある程度は想像がついているけど」
「言ってごらんなさい」
オルロワージュが促したので、アルフィリースは説明を始めた。
「そもそも、オーランゼブルほどの魔法使いがいつから準備していたかは知らないけど、彼ほどの魔法使いが百年以上かけて準備するとなると、その規模は大陸中に及ぶものと想定される。ならば使うのは龍脈、地脈、あるいは精霊の通り道と呼ばれる、オドの流れ。あるいはそれに付随するもの。ただそれだけのものを意図的に使って儀式魔術を行うとなると、どのくらいの供物や生贄が必要になるのか、わかったものではない。
だからオーランゼブルは自ら地脈――と呼ぶことにするけど、地脈に手を加えた。それの準備に、下手をすると千年。そして大戦期で終わると思われた自然な犠牲は、戦争の終結で予定の数が集まらないことが判明した。だから、黒の魔術士を集めた。あなたたちに争いを起させて、沢山の命がなくなるように。
アルネリアとターラムの資料で、多くの戦場の経過を見たわ。それらを一つの地図に書き起こしていくと、一定の法則に沿って戦い起きているのがよくわかる」
カザスの地図、魔女と導師の地脈の話、そしてアルネリアとターラムの資料がなければ到達できなかった結論だ。確証をもって話せるのは自分くらいではないかと、アルフィリースは考えていた。
ただ別にもう一人、思いもよらない方法で正解にたどり着いている人物がいるとは、さしもの彼女にも想像できなかった。
オルロワージュは黙したまま、アルフィリースを無感情な目で見つめていた。それが何よりの答えだと、アルフィリースは納得した。
「アルネリアという装置は邪魔だが、利用できるとも考えたオーランゼブルは、人間同士で戦争をさせることにした。だから人間のような連中を使って、タチの悪い出来レースをしようと思った。それが今回の大戦争。ここでの死者数が一定に達すれば、儀式魔術は完成する。違う?」
「・・・そうね。まずもって正解だと言っておくわ」
オルロワージュが豊かな髪をかきあげた。同時に、つまらなさそうに髪をくるくるといじって遊ぶ。その指使いが器用で、アルフィリースは思わずくすりと笑っていた。
「もしかして、裁縫が得意?」
「ええ、昔そんなことがあったかもね。もう忘れたわ」
「今度、何か編んでよ」
「そんな時間があればね。それよりその推測、面白いわ。続けなさいな」
「とは言っても、これ以上は私にもわからない。もし地脈を利用する儀式魔術だとしたら、規模が大きすぎてもう発動を阻止することは不可能に近いわ。いえ、無理に発動を阻害しようものなら、下手をすると天変地異級の災害が起きる可能性がある。だけど、その目的がわからない。かつてオーランゼブルの目的はこの大陸の滅亡などではなく、むしろ救済だと言う意味のことを聞いたことがあるわ。ならばこの魔術の目的は――」
アルフィリースが言いかけた言葉を、オルロワージュが制した。そして自ら続きを述べたのだ。
「私もまた全てを語る気はないわ。この儀式魔術を阻害することが不可能だと知っていても、あなたという御子の素質と、その自由濶達な発想を私は侮っていない。その多種多様な人脈も。それでもあえて言わせてもらう。オーランゼブルはかつて私達を精神束縛する時の合言葉として、世界の真実の解放のために、と言った。精神束縛を受けていた時は理解できていなかったけど、南の大陸から移動してきた私にはその言葉の意味がよくわかる。この儀式魔術の意味も、そして全てが終わればオーランゼブルは私を排除しようとすることも」
「それは――」
「精神束縛が解けた今、私がオーランゼブルの計画成就に協力するのは、単に私にとって利益があるから。儀式魔術は私に有利に働くわ」
その言葉を最後に、アルフィリースががたりと突然立ち上がった。出されたカップから茶がこぼれるのも気にしない。蒼白になったアルフィリースは、それでも気丈に質問した。
「1つだけ教えて。サイレンスはなぜ協力をしているの?」
「サイレンスの事情は知らないわ。あれは、人間が苦しむ様を眺めていたいだけかもしれないから。ドゥームはオーランゼブルを見返したいと思っているはず。それ以外の連中のことは、私だって知らないのよ」
「十分だわ、もうわかった」
アルフィリースが大股で踵を返してオルロワージュの私室を出て行こうとする間際、オルロワージュがその背後から声をかけた。
「アルフィリース、こちらからもいいかしら? いえ、アルフィと呼ばせていただくわ。親愛の情を込めてね」
「・・・何?」
「あなた、オーランゼブルが私を排除しようとしたら、私の味方を最後までしてくださるかしら?」
その言葉は静かで、そして穏やかで。棘のある言い方でも、威圧するような言い方でも、まして縋るような言い方でもなかった。ただただ、純粋な感情から出た言葉だと、背後を振り返らなくてもアルフィリースには伝わっていた。
だからこそ、アルフィリースは首を横に振った。
「・・・わからないわ。ただ、あなたが人間に仇成すなら、私がきっと止めてみせる」
「私の味方ではないの?」
「いつも傍にいるだけが友達や味方だとは思わない。間違えた道を歩むなら、ひっぱたいてでも止めるのが友の役目だと思っている」
「そう。私のことを友と呼んでくださるの」
「私はそうあってもいいと思っている。だけど、そういられるかどうかはここから先、まだわからない。ただ、こんな風に穏やかな午後を過ごせた巡り合わせに感謝を」
ぱたりと静かに戸を閉めて出て行ったアルフィリースの背後で、オルロワージュがどんな表情をしていたか、彼女はついに見ることはなかった。オルロワージュ本人ですら、自分の表情をわかっていなかったかもしれない。ただ一言、自然と口から言葉がこぼれていた。
「振り返りもしない、か・・・人間とは生き急ぐものね」
オルロワージュは彼女にしては珍しく、どさりと崩れ落ちるようにソファーに腰かけていた。
続く
次回投稿は、6/4(土)13:00です。