開戦、その17~魔都⑥~
「量が少ないのではないか?」
「まぁ、急ごしらえではこのようなものでしょう。本来月単位で準備する策です。場所も選ぶところを、強引にやるのですから。肝心なのは、相手に対する直接の損害を与えることではなく、足止めです」
「そうですね。冬が深まるほどに、我々に有利になるのですから」
クラウゼルがアルフィリースを弁護したが、ブラウガルドはどこか納得ができない表情だ。
「なら、よいがな。忘れるな、我々とて真冬になれば身動きはとれぬ。飛竜の羽は寒冷では動きが鈍り、一つ間違えれば墜落するのだ。無理はさせられない」
「肝に銘じておきましょう」
クラウゼルは慇懃に礼をしたが、アルフィリースはそんなやりとりには興味がないのか、仕掛けを作った工兵に確認を取る。
「どうかしら、様子は」
「順調ですけど、関を開けて水を流してもたかがしれてますね。本格的に水浸しにするなら、関は壊しちまった方がいいですよ。それでもあいつら全軍を水浸しにするほどじゃないでしょう。下の方じゃ、足先が濡れるくらいじゃないかなぁ」
「それで十分だわ、やって頂戴。住人と味方の避難も終了しているはずよ」
「了解ですぜ、団長。いやぁ、水攻めは久しぶりだなぁ」
どこか喜々とした表情で槌を振り上げ、水を堰き止めている木製の関を壊し始める工兵たち。その少し上、水の流れる様子を一望できる高台に鎮座しているクローゼスの元にもアルフィリースは足を向けた。
既にクローゼスは瞑想に入っているのか、虚ろな目をしたままゆらゆらと頭を揺らしている。その傍にはラーナ。クローゼスが瞑想に入りやすいように、傍らで補助をしていた。
アルフィリースはクローゼスの瞑想を妨げないように、そっとその傍に腰を下ろす。
「代わるわ、ラーナ」
「はい、お願いします。既にクローゼスは長呪詠唱に入っています。ご存じとは思いますが、瞑想状態なので急激に引っ張り戻したりしないようにお願いしますね。そうしないと自我が大流に拡散して、戻ってこれなくなる時もありますから」
「わかっているわ、この時季だからできる大魔術ね。私も追いかけてみるわ」
「追いかける? そんなことができるのですか?」
「多分ね」
アルフィリースはさらりと述べたが、それは雪原を滑り降りる相手に山頂から追いつき、その背中に跳び乗るような所業。半信半疑のラーナが見ている中、アルフィリースはクローゼスの肩に手を置き、その魔力の流れに同調するようにオドを練り始めた。
しばらくしてアルフィリースがじわりと汗をかきはじめたが、やがて周囲の空気が一段と冷え始めた。アルフィリースの吐く息は最初白く輝いていたが、彼女自身の髪色がクローゼスと同じく青白く変化するに従い、それもなくなっていった。彼女自身が、大流の中の雪の精霊に同調していっている証拠だ。
ラーナはその様子を見ながら、思わずはっとして周囲を見回した。この一帯はリサが気配を遮断しており、中にいるのはアルフィリース、ラーナ、クローゼスの3人だけだった。クローゼスが瞑想状態に入るのはわかっていたことなので、そうするべきだとアルフィリースが提案したのだが、それ以上にアルフィリースのこの変化を周囲に見せるわけにはいかなかった。
「こ、この短時間でクローゼスの大魔術に同調するのですか? それともこれが御子の力? いえ、だとしてその力を自在に使い始めているとでも? 氷や雪の精霊は、下手をすれば闇の精霊以上に扱いが難しい。アルフィリース、雪国育ちでもない貴女がどうしてこんなに上手に同調できるのですか」
小さな声で発せられるラーナの疑問は、降り注ぎ始めた雪に溶けるように消されていった。
クローゼスとアルフィリースの詠唱と唱和が、進む。
「「小さく――降り注いで――白く――輝き――消えて――怒りは――溶けて――積もり――包めよ――静寂を――悲しみは――」」
その時、ごぉんと音がして関が決壊した。堰き止めていた木材ごと濁流となった水が低い方へ流れ出ていくが、元が雪解け水の小川を堰き止めていたので、水量が少なくなった冬ではそれもたかが知れている。
工兵たちもやや不満足そうではあったが、それはクローゼスとアルフィリースが魔術の詠唱を終えた瞬間までだった。
うっすらと目を開けたクローゼスとアルフィリースが、静かに良く通る声で大地に広がるように詠唱した。
《凍る大地の創成》
続く
次回投稿は、4/29(金)16:00です。