開戦、その8~城門前⑧~
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「う~、馬鹿みたいに冷える。暖かい飲み物の配給はないのか」
第一の門の城壁で守備につく兵士が、誰となく不満を漏らした。凍てつく夜、白い月は新月の夜。青い月だけが薄ぼんやりと一帯を照らし出し、青く降り注ぐ月光が一帯をより寒々しく演出する。
寒さの割に雪はまだ積もっていないが、ローマンズランドの兵士は知っていた。この空気に雨が重なれば雪となり、それが本格的な冬将軍の到来だと。ただ、暦の上ではやや遅かろうと思うのだ。
ローマンズランド正規軍にとっては、国土防衛戦である。士気が低いわけではないが、寒さと雪を期待せずにはいられない雰囲気が広まっていることもまた、真実だった。
「普通なら酒の一杯でも振る舞われるところだろうが。お偉いさんは、今晩夜襲があると睨んでるそうだ」
「たしかに、日中の敵の退き方はおかしいとは思うが、温まるくらいいいだろう?」
「防衛戦がぎりぎりなことくらい、誰でも実感しているさ。一人の油断でも、城壁が破られかねないと思っているのだろう」
「この堅固な城壁がか?」
「城壁は城壁にしかすぎない、守るのは人間だ」
騒ぎを聞きつけた大隊長と思しき男が、周囲を一喝する。兵士たちは思わず敬礼するが、そこには不満と疲れが隠せなかった。その表情を見て労おうと思った大隊長だが、さっと雲が青い月を遮った。彼らの表情が雲に隠れると、大隊長は心がすっと軽くなるのを感じた。自分も疲れているが、部下に負担がかかっている状態ではこれ以上の奮闘を期待した時の彼らの表情を見たくはなかったからだ。
「疲れているのはわかる、それは俺も同様だ。だが一歩敵が入り込めば、ここから先は俺たちの国土だ。蹂躙されるのは、俺たちの財産であり家族だぞ? 妻が、娘が、親が。敵に嬲られる現実を、貴様たちは指をくわえて見ていられるのか?」
「「「不可能であります!」」」
「ならば、誇りあるローマンズランド兵士として、そして男としてやるべきことはわかるな?」
「「「無論であります!」」」
「ならばつべこべ言わずに、篝火を増やして持ち場で集中していろ! 酒の件は大隊長に掛け合ってやる」
大隊長はそれだけ言い残して離れたが、傍にそっと副官が寄ると思わず本音を吐露していた。
「兵士たちの不満は強いか?」
「兵卒共も馬鹿ではありません。通常の国境線や出先の砦での任務に比べ、明らかに配給が少ないことも、交替が少ないことも彼らは自覚しています。それが何を意味するのか口にせずとも、誰もが理解しているでしょう」
「奴らでそれなら、いずれ目端の利く者が裏切るかもしれんな」
「大隊長どうしの会合では、そんな雰囲気が?」
副官の言葉に、苦笑いする大隊長。
「ブラウガルド殿下の御前でそんな雰囲気を、微塵も出せると思うか? 気配だけで首が飛ぶわ。それに殿下の言と方針に逆らった馬鹿な将軍の末路を見たろ? あれ以降、会議はブラウガルド殿下、策士クラウゼル、それにあの女傭兵アルフィリースの意見に真っ向から異論を唱える者はいないよ」
「かの女傭兵はそれほど見事でありますか」
「見事だ――と認めざるをえないな。今回の望まぬ開戦とて、彼女が指揮するイェーガーの伝達能力と撤退援護がなければ、さらに被害は広がっていただろう。城門に籠ってからも、イェーガーが間接的に連絡を取り合って情報伝達をしているから、なんとか防衛戦が決壊せずに持ちこたえているとは思わないか」
「たしかに」
ミュラーの鉄鋼兵はローマンズランド軍とともに直接の援護を行い、フリーデリンデ天馬騎士団は哨戒任務や空からの支援を行っているが、イェーガーはほとんど戦闘には参加せず、後方支援と伝令役を中心に活動している。だが防衛戦が危機に陥ると、誰よりも早く駆けつけその穴を埋める。働きぶりとしては、見事としかいいようがなかった。
「竜騎士団がもっと空から援護してくれれば、戦いも楽なのでしょうが」
「何度かは敵を横切るように炎で薙ぎ払ってくれたがね。その度にグルーザルドの獣人部隊から空を飛ぶ連中が出て来て、竜騎士の何人もが叩き落とされた。それに魔術士が連中にも多数いるようだが、風の魔術などで防壁を張って炎を防いでいる。相手を押せていない状況で竜騎士だけを突撃させるのも、被害が大きいだろう」
「相手を撤退に追い込むか、随伴歩兵がいてこその竜騎士団ですか」
「元々そういう運用方法だ。飛竜とて、相手に攻撃したり炎を吐く時には地面すれすれを飛ぶんだ。当然、相手の反撃もある。加えて、上空から石を落とすなどという軟弱な行動を、プライドの高い奴らが許容すると思うか?」
「ありえませんね」
副官が肩を竦めたのを見て、大隊長もはぁとため息をついた。その時、篝火が一斉に増えて夜の闇を照らし出す。城門の外には合従軍の死体が累々と積み重なっている。遺体の回収をする際には手を出さないのが慣例だが、今回の合従軍はさほど仲間の遺体を弔うつもりがないらしい。それだけ必至だということだが、ローマンズランドに恨みを募らせているのが彼らも信じられなかった。
「・・・奴らの恨みをそこまで買った覚えはないのだがな」
「ええ、自国民の遺体もこれでは埋葬できません」
「放置すると、いずれアンデットとして動き出しそうだな。浄化もしたいところだが、アルネリアの連中は何をしているのか」
「最後方で支援をしているようですが、まったく姿を見ていませんね。この戦をどうするか、まだ決めかねているかもしれません」
「禍根を残さねば良いが。ローマンズランド出身というだけで、どこの国に行っても肩身が狭い思いだけはしたくないものだな」
その言葉に、副官が怪訝そうな顔をした。その意図を察して、大隊長が慌てて取り繕う。
「裏切るつもりはないぞ?」
「知っていますよ、ローマンズランドの貴族と結婚したあなたですからね。ですが、私以外に聞かれたら忠誠心を疑われますよ?」
「互いに妻子のいる身だ。敗戦時、どうするべきかを考えておくことは必要だろう。負けたとて、連座で首を落とされるほどの身分でもない」
「いっそ、イェーガーにでも雇ってもらいますか」
「それはいいな。彼の傭兵団の内務を取り仕切っているのは、イーディオド宰相の娘だそうだ。その他にも貴族が多数いるらしいし、ぞんざいな扱いを受けはすまい」
副官が冗談で言った言葉だったが、思いのほか大隊長は正面から受け止めたようだ。何を言うべきかと悩んだ副官がふと合従軍の陣営の方に目をやると、妙な光景が目に入った。
続く
次回投稿は、4/11(月)17:00です。