開戦、その5~城門前⑤~
地を這う赤い目が、ぎゅる、と回転した。
「・・・っ!」
「初手で反応するかァ、やるなッ!」
何が起きたかはほとんど誰にもわからなかった。唯一、アルフィリースの中にいる影だけが、アルフィリースの知覚を通して何が起きたかを察していた。
「(あの獣人、地を這うようにして腕を支えに蹴り上げた。しかも4連撃から、反撃しやすい一撃を選らんでルナティカが相打ちにした。半端に迎撃すれば、腕を取られるか足を取られるかで引きずり込まれて骨を折られていたな。後の先を咄嗟に選ぶとは、ルナティカめ、腕を上げている)」
影が舌を巻く一瞬の攻防に、さらに勢いがつく。ルナティカがマチェットを振るうところに、何の躊躇もなく素足と素手を放り込むミレイユ。気功である程度強化してあるとはいえ、全く傷つかないわけではないのに、躊躇する様子は微塵もない。
一見イカレたようにも見えるその行動が、ルナティカの攻撃のタイミングを微妙にずらし、深手を回避する。ルナティカは新しい武器を取り出すでも、また間合いを取り直すでもなく、その場で高速の攻防を展開していた。
膠着しているように見えるが、一瞬でも引いた方が負ける。それだけは確かだった。
「何がなんやら・・・互角なのか?」
「戦いを目で追う必要はありません。追うのは結果を見据えた過程です」
傭兵の一人が呟いた言葉に、リサが即座に反論する。
「(互角? とんでもない。強くなったルナティカと互角にやれることには驚きですが、常に有利なのはこちらです。単騎でイェーガーの陣に飛びこんできた愚かさを、存分に思い知らせてやりましょう。ああ、ただ・・・ブラックホークとこんなところで揉めるとは思いませんでしたが。あのミレイユとやらは、ヴァルサスやベッツでも完全に制御はできないのでしたか。いつの時も不確定要素は度し難いものですが、それにしても単独で戦術や戦略をひっくり返しうる個人というものは、やめていただきたいものですね)」
その言葉、自分が戦術や戦略の核となるリサ本人にも当てはまる言葉なのだが、その自覚は彼女にはないのだった。ただ淡々とイェーガーの敵を排除すべく、リサが舌打ちしながら合図をすると、周囲を魔術士部隊が取り囲む。
ミレイユはルナティカから瞬間たりとも眼を離したわけではないが、周囲の空気が一変したのは感じ取っていた。
「・・・失敗カァ」
ミレイユはルナティカのマチェットを蹴ると同時に、一歩飛びずさる。そのまま後転しながら下がると、驚く魔術士部隊の囲みをいともたやすく突破した。
囲みを突破したミレイユの眼は元に戻っており、冷静にイェーガーの面子を見回している。その背後から、グルーザルドの部隊が迫っていることも遠目に見えていた。戦闘にはドライアンとリュンカの姿も見える。
「もうちょっと遊べると思ったんだけどなぁ」
「逃げるつもり?」
「そっちこそ。撤退しないと、もうここの戦線はもたないよ。キレて機嫌の悪いドライアンが先頭で突っ込んでくるからね。アルフィリースがいようがいまいが、もちこたえられるものか」
ミレイユが教えるまでもなく、リサは既に戦場の流れを感知していた。既に後陣には撤退命令を出している所だ。
ルナティカが半身でリサの意見を求め、リサが頷いた隙にミレイユは脱兎のごとく逃げだしていた。その変わり身の早さに、呆れるリサ。
「・・・なんだったのですか、彼女は。とりあえず、アルフィリースの様子を見に私たちも下がるとしましょう」
だがリサは本陣に下がって、その異常事態にようやく気付いた。ラーナが治療を行うアルフィリースは指揮が執れないほどではなかったが、彼女が治療を行っていた四半刻の間、戦線を維持するための命令を出すイェーガーの動きが鈍ったせいで、致命的な打撃を負っていた。突出したグルーザルドと、避難民の犠牲を厭わない合従軍の強硬策に成す術もなく陣は瓦解していたのだ。
そもそも防衛ための陣地を完璧に敷いたとして、半月も持ちこたえればよい方だろうというのがアルフィリースとクラウゼルの見解だった。それがものの見事に一日で崩壊してしまった。その日数をどこで取り戻すのかが懸念事項だが、今は首脳部を守りながら城内に撤退するのが精一杯というのが現実だった。
治療を終えたアルフィリースが、渋い表情でイェーガーの幹部に説明した。
「相手の構成から考えると、おそらくはローマンズランドの地上軍の被害は一万ではとまらないはず。スカイガーデン内の仕掛けもまだ不十分だわ」
「そうなると、城門で消耗戦をすることになるのか」
ロゼッタはいつもと違い、その表情に遊びはない。戦場の空気を読む彼女だからこそ、まずいことがわかるようだった。
「そう、予想外にね。それでも、あれだけ広大な城門となると、守れて7日。それ以上はもたないでしょう。敵には、城攻め屋の本隊も来ているそうだし」
「我々の防衛兵器も出しますか?」
「いえ、まだよ。使ってもどのみち陥落は免れない。魔女の魔術もまだ使わない。魔女が敵対していることが明確になったら、彼女たちは現代社会において、よりその生活の幅を狭めてしまうわ」
「じゃあ、どうする?」
「工兵部隊を増やす。しばらく、寝る時間がほとんどないかもしれないわよ。覚悟してね」
アルフィリースが薄く微笑んだことで、嫌な予感が背筋を走った幹部たちだった。
一方脱出したミレイユは、逃げる途中で突然ベッツに尻をひっぱたかれていた。
続く
本日中にもう一度投稿予定です。