開戦、その2~城門前②~
リサが不満や忠告もなくいち早く動いたのはわけがある。アルフィリースの指示がなくとも常にリサとセンサーの一団は周囲の警戒を続けていたが、見る間に死者が増えていることは把握していた。両軍ともに使者が増えていることは間違いがないが、一番犠牲になっているのはスカイガーデンを離脱しようとしている平民たちだった。元スラムの孤児であるリサにとって、他人ごととは思えない出来事である。
「(あの日、アルフィリースと出会ったかどうかで、運命が変わったかもしれませんね。だからといって今も明日をも知れぬ身。同情はしませんが、一人でも犠牲者を減らせるように立ち回れるかどうか)」
リサが杖で地面を叩いてセンサーをリズムに乗せて飛ばすごとに、その意味を理解した部下のセンサーが続けて指示を飛ばす。混乱する指揮系統を立て直し、どこに防衛戦を引き、どこに退却させ、どこの敵を撃破するかを次々と伝えていく。
それらの指示を受けたセンサーたちは、巡回兵に行き渡るように、間断なく伝令を飛ばした。俄にイェーガーが慌ただしく動き始める。
同時に、アルフィリースが考えた防衛戦にローマンズランドの重騎士たちが防衛戦を構築する。土嚢を積んで簡素な防御陣地とし、それを目印に横列を重装騎士で作成。彼らを目印に、巡回兵を撤退させ、平民たちを逃がしていく。
その一連の流れを練習したわけではないのだが、川がいくつも集まって激流となるように、加速度的にローマンズランドは対応を始めていた。
「・・・速い」
合従軍の本陣にいたシェーンセレノが呟いた。民衆が邪魔となり思ったような攻撃も防御もできていなかったのは、ローマンズランドの方だった。最悪、合従軍は敵国の協力者として攻撃命令を下した部隊長までいたが、ローマンズランドは誤射以外ではそうもいかない。
躊躇いがちな行動、中途半端な攻撃と防御――それらがローマンズランドの勢いを削いだために好機だと判断したシェーンセレノは密かに自国の兵士には攻撃を命令したのだが、四分の一刻もない間にローマンズランドは陣形を立て直し始めていた。
それを本陣から見ていたシェーンセレノは、ふぅとため息をついて呟いた。
「・・・頃合いね」
「撤退の合図ですか」
合従軍の諸侯がほっと胸を撫で下ろしかけた。いかに戦いが勃発したとはいえ、このままでは悲惨な戦争になることは確定的だ。武功を上げたくとも、平民の首をとったところで何の栄光にもなりはしない。ただただ汚名を被る合従軍の一翼を担ったとして、誰が祖国で名誉を語れようか。
だがシェーンセレノは違った。
「全軍攻撃の合図を。相手の体制が完全に整わないうちに数で押し切ります」
「は? それでは流民たちを巻き込むことになります! それはあまりに非道では!?」
「自国の民ではない、敵国の民です。なぜゆえに心を痛めることがありましょう。それに、どうせ占領下では平民など物のように扱われるのが戦の常。我々がローマンズランドを占領すれば、どのみち同じ運命を辿る連中です。死ぬのが嫌なら、さっさと脱出しておけばよかったものを、敵軍を前に見逃してもらえると思っているのが甘い。対価は命で払ってもらいましょう」
「そ、そんな・・・」
一部の諸侯が躊躇いかけたところで、シェーンセレノがにこりと微笑み、親密にしている諸侯を促した。彼らは頷くと、勢いよく天幕を離れて自軍に向かう。
「総大将のご命令だ、総員戦闘準備!」
「騎馬部隊の準備ができ次第、蜂矢の陣で仕掛けるぞ。準備しろ!」
「数で勝るのは我らだ。一息に押し切るぞ!」
「急げ、遅れるな! 一番槍は我々の軍がいただく!」
合従軍の半数以上が、一斉に攻撃態勢を整え始めた。シェーンセレノの考えに賛同できていなかった諸侯も、ここで明確な叛意を示すほどの度胸がある者はいなかった。ただドライアンと、ミューゼだけが最後までシェーンセレノの前に残り、その考えに異を唱えた。
「どういうつもりだ? この戦いは暴走するローマンズランド首脳陣を叩き、戦争を止めるための戦いではないのか?」
「このやり方では、いたずらに民衆の不満を買うだけです。これではローマンズランドを占領しても、統治することは難しくなる」
「統治する必要があるのですか?」
さらりと言い放ったシェーンセレノの言い様に、さしものドライアンも目を剥いた。
「なん・・・だと?」
「つまりあなたは、ローマンズランドを殲滅して終わりだと言いたい? 首都スカイガーデンの人口150万人と、その国土500万人の人命が失われてもよいと?」
「どのみちローマンズランドそのものが枯れゆく土地なのです。この土地では餓死者や凍死者も多く、年々産業も先細っている国。今年、戦がなくとも死者は増え、ローマンズランドから脱出する民衆は増えたでしょうね。どのみち今の王族がいなくなってしまえば、国は混乱してもっと酷い事になるでしょう。国家再生の方法はありません」
「だからといって!」
「それに」
ミューゼの口を塞ぐように指を差し出したシェーンセレノ。たたえる微笑みに背筋が寒くなったのは、ドライアンだった。
「弱きが滅ぶのは世の理。あなたがたも為政者なら、よく存じていることでは?」
「それはそうだが、道義とやり方というものはある。そんなことでは貴殿はいつか寝首をかかれるぞ?」
「ふふ、当然備えはしていますよ。そう簡単に私の根首をかける者はいません。まぁ、かいても意味がないとでもいいましょうか」
「どういうことだ?」
自信たっぷりに言い放ったシェーンセレノは一言も発さず、これ以上の議論は無意味と悟ったドライアン。
なおも納得できず何かを言おうとしたミューゼの肩に手を置き、首を横に振った。
「――我々は側面を突かせてもらう。そのくらいの裁量はもらうぞ」
「ええ、もちろん。戦そのものに参加しないと思いましたが」
「合従軍なのだ、それでは義理が立たぬ。だが、やり方は俺の好きにする」
「構いませんよ、戦果さえ上げてくれるのならば」
にこりと微笑んだシェーンセレノをきっと睨み、ミューゼは踵を返した。そしてドライアンは怒るではなく、無表情にシェーンセレノに尋ねた。傍にいたチェリオは、そのドライアンの表情にぎくりとした。ただ怒鳴るよりも本気で王が怒っていると悟ったからだ。あふれだす殺気を必死に押さえているのを感じ取って、チェリオは距離を取りたいほどだった。
「一つだけ聞く。シェーンセレノ殿よ、この戦とその後に何を望む?」
「ただ戦争の鎮静化と、その後の安寧を。そして人が安心して暮らせる世の中を」
「その手段はいかに」
「王よ、質問は一つだけでは?」
揚げ足を取るような発言に、諦めたようにため息をついたドライアンも陣頭指揮を執るため、シェーンセレノの下を離れた。
それをうすら笑いを浮かべながら見守るシェーンセレノが不気味で、チェリオは初めて人間のことを空恐ろしいと感じていた。安寧を謳う為政者が、虐殺に近い軍事行動を指示する。そんな馬鹿なことが起こるのが人間の世界なのかと、寒気がしたのだった。
続く
次回投稿は、3/30(水)18:00です。