開戦、その1~城門前①~
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戦争が始まるきっかけをさかのぼると、本当に些細な事なのだと歴史家たちは語る。歴史書では後継者争いなどと述べられても、兄弟仲が悪くなかった王族の方が多いわけで。仲違いしたのは、狩りでどちらが大きい獲物を仕留めたかで言い合いになった、どちらの方が武芸や学問の覚えが良かった、あるいは欲しい食べ物を取られた。そんな競争での優劣を煽られたとか、そういった理由。愛憎劇や復讐譚は結果論であって、最初の一つはつまらないことであることの方が多いのだと彼らは述べる。
今回の戦争も多分に漏れなかった。スカイガーデンを脱出した民衆たちは、大人しく南へと下っていった。西にはほとんど未開の針葉樹林地帯しかないし、北や東はピレボスでももっとも峻険な山々が連なり、民衆は豊かな南の土地を求めて合従軍の進行方向を遡るように脱出した。
あまりの数の多さに合従軍は誘導することもままならず、遅々として進まない民衆に囲まれるように、あるいは分断されるようにして進軍もままならなくなった合従軍はやむなく平地で陣を敷くことになり、スカイガーデンの場外で陣を敷いていたローマンズランド陸軍と、民衆を挟むようにして相対することとなった。
軍を展開すれば民衆に被害が出ることは明らかで、自国民を傷つけるわけにはいかないローマンズランド陸軍と、敵国の国民とはいえ正義を前提にする合従軍は打つ手がなくなり、とりあえず交渉しようという消極的な戦争が始まった。
ローマンズランドは交渉を少しでも引き延ばそうとし、合従軍は冬が来る前に少しでも早く切り上げたかったが、次々にスカイガーデンから出て来る民衆のせいで、もういっそ講和してしまえよいのではないかという厭戦気分すら流れ出した矢先、それは起こった。
現場を見ていた兵士の証言によると、最初は疎開をすることに駄々をこねる子どもに、老婆が焼き菓子を分け与えようとしたことがきっかけだったらしい。焼き菓子は2つあったが、子どもが実は3人いたのだ。うまく分けられなかった焼き菓子は子どもが取り合いになり、それを宥めようとした老婆が突き飛ばされ、石で頭を打って血を流した。
血を流してぐったりとする老婆の息子が駆け寄ると、老婆に礼も言わず一瞥もすることもなく、なお焼き菓子を取り合う子どもを見て息子は逆上した。こんなものがあるから争いの元になるし、それくらいならない方がよいと。焼き菓子を取り上げると、地面に叩きつけて足で踏みにじり、子どもを怒鳴りつけた。お前たちは目の前で倒れて血を流す自分の母を見て、何も思わないのかと。その剣幕に、子どもたちは三人とも泣き叫んだ。
折悪く、そこに子どもたちの親が居合わせた。その場面だけ見ていれば、子どもから菓子を取り上げて怒鳴り散らす大人が一人。今にも殴りかかりそうだと勘違いした父親は駆け寄ると、老婆の息子を突き飛ばした。
それを見ていたのは、老婆の息子の友人たちだった。老婆の息子は行商を営みそれなりに成功していたが、体を悪くした母親の世話にために腰を据えてスカイガーデンで商いを営み、慎ましい生活をしていることを知っていた。老婆の息子は行商をしている時には多くの下働きを世話していたが、奴隷のように扱うのではなく友人として接していた。この友人たちも、そうして友となった者たちだった。
友人たちは子どもたちの父親を取り囲んだ。子どもの躾がなってないから、奴の母親が怪我をした。子どもに親切で菓子をあげようとしたのに、恩人の息子を突き飛ばすとは何事だと。剣呑な雰囲気ではあったが、事情を察した子どもの父親が謝罪して、それで終わりになると誰もが思っていた。
剣呑な雰囲気を察した合従軍の巡回数名が、事情を聞いて仲裁をしようと馬で近寄ってきた。曲がりなりにも敵国の兵士が正式な装備で近寄ってきたことで、場の緊張感がさらに高まった。そして雰囲気が変わったことを感じた一番下の子どもが、さらに甲高い鳴き声を出した。子ども泣き声が五月蠅いと、足を悪くして強制的に退役させられスラム街で浮浪者のような暮らしを強いられた男が、石を投げた。その石が、運悪く巡回の馬に当たると、上に乗っていた兵士が落馬して頭を打ち付け、動かなくなった。
巡回の兵士が男を取り押さえようと動く。兵士の手には武器があり、男は反射的に杖で兵士の足を払ってしまった。それを抵抗と受け取った兵士は、男に武器を突きつけようとして、誤って男を傷つけた。
騒ぎを聞きつけたローマンズランドの軍の巡回が、その場面に出くわす。その巡回の兵士の一人が、腐ってしまう前の、生真面目で通っていた浮浪者を知っていた。我が友に何をすると声高に叫びながら、武器を抜く。一度高まり、一線を越えた緊張と喧騒は大きなうねりとなり、瞬く間に彼らの間に、そして流民となったスカイガーデンの住人の間に広がっていった。
不運は坂を転がる雪玉のように重なると、弾けて戦いへと様相を変えた。巡回の兵士から小隊へ、そして中隊へ。流れ矢が民衆に当たったころから民衆も石を合従軍の兵士に投げ始め、陣形も何もない泥沼の戦いが誰も意図しないところで始まった。
「申し上げます!」
「報告します!」
伝令が互いの陣営に到着したのは、奇しくも同時だった。合従軍の諸将たちは揃って目を丸くして驚き、しばし何を報告されているのか理解できなかった。ドライアンだけが腕組みをして難しい顔で報告を聞いていたが、ふとシェーンセレノの方を見ると、シェーンセレノもまでもが目を丸くして驚いていた。
それを見たドライアンは、思わず天を仰いでため息をついた。
「(ああ、ここには実戦を知っている者が少なすぎる)」
戦場では何でも起こる。裏切りも、だまし討ちも、予想外のことも。ドライアンは若い頃から何度も体験をしてきたことだが、東の諸国は血で血を洗う本格的な戦を体験してきていないことが、大きな違いとなることをドライアンは悟った。これではどれほど有利にことを進めようと、決して勝てはしないだろうと。
一方、陣頭指揮のためにローマンズランド地上軍の本陣にいたクラウゼルとアルフィリース、それにブラウガルド皇子は、どこか悟りきったようにその報告を聞いていた。そして伝令の兵士が下がると、アルフィリースはおもむろにクラウゼルに聞いた。
「ここまで、策士さんの予想通りかしら?」
「まさか。起きてもおかしくない可能性の一つとして考えてはいましたが、些か早すぎますね」
「想像より民衆は愚かだったかしら」
「そこまで言ってはいませんが、そのような気分です。ですが、えてして大衆は愚かなもの。そこまで織り込んで戦略を立てなければいけません」
そう告げるクラウゼルに、落胆の色はない。ただ冷静に、戦況と戦略を練るだけだ。アルフィリースがばさりと陣容の地図を広げた。
「取り返せる?」
「取り換えしはしません。必要な部分を残し、それ以外を切り捨てると言った方が妥当でしょう」
「ならば、ここかしらね?」
アルフィリースが指で引いた線を見て、クラウゼルは頷いた。
「もう少し欲張れそうな気もしますが、現実的な選択でしょうか。ブラウガルド皇子、裁可を」
「・・・よかろう、任せる」
神妙な表情で返事をしたブラウガルド皇子を見て、アルフィリースと他の将軍たちが天幕を急ぎ足で出て行った。外には、当然イェーガーの仲間が控えている。アルフィリースの表情を見て、リサが察した。
「出陣ですか?」
「ええ、いきなり厳しい戦いになるわ」
「準備させます」
リサが杖からセンサーを飛ばすと、一斉にイェーガーは動き出した。
続く
次回投稿は、3/28(月)18:00です。