大戦の始まり、その56~西部戦線㉑~
「大人しく、耳をそばだてねば聞こえぬほどか細い声の女だったが、芯はどの側妃よりも強かった。ただ心を痛めすぎたのと、無理をしてウィラニアの産んだのがまずかった。あの時ばかりはアルネリアの比護も受けたくなったが、こればかりはどうしようもない。俺からアルネリアにすり寄るなど、ありえぬ」
「そんなにアルネリア教は信用できない?」
「正直、ミリアザールの女狐は信用できなくもない。あの大司教アノルンとかいう、お前の友人もまぁ信用できるだろう。だが、大きすぎる組織というものはえてして腐るものだ。紛争地帯のアルネリアの支部を見たことはあるか?」
「あ・・・ええ」
レイヤーが仲間になった街での出来事は、後程聞かされている。もちろんどんなことがあったかは知っていた。
「それ以上に、ローマンズランド建国時よりしばらくして、アルネリアは我々の協力を断っている。それはミリアザールではなく、おそらくはその配下の者が原因だと睨んではいるが、少なくとも当時のローマンズランドと関係が悪化したのは事実だ。それに、あの回復魔術というものが、どうもな・・・」
「おかしいって?」
「思わぬか? 俺は魔術に詳しくないし、直感でしかないがそう感じた。あんな便利なものが世の中にあってたまるかとな。傷が治るのはわかる。だが疫病も腑の病も、果ては家系に特有な病気すら治すのだぞ? 快癒に至る理屈が違うのは、俺でも想像がつく。なのに、どうして同じように治る? それに奴らは医術の進歩に興味がない。いつぞや貴様がアンネクローゼの竜にやってのけたような医術を、なぜ並行して進歩させないのか。魔術を秘匿するだけではない、それが気に食わぬ」
「それは・・・そうかも」
「ほかならぬ、俺自身がアルネリアの魔術そのものを信用できない。お前はどうだ、アルフィリース。あの回復魔術を、魔術士としてのお前は信用できるのか?」
アルフィリースもいつか質問したことがある。アルネリアの回復魔術について、その理論はなんなのかと。アノルンをもってして、その修得は秘中の秘だと伝えられた。そしてほかならぬミリアザール自身が、理論を理解していなかった。
最初の使用者は、聖女アルネリア本人。彼女は生来不思議な力を使えたらしいが、その力を使用できるように教え、継承できる形で残した『何か』があることは聞き出すことができた。だがその『何か』を、アルフィリースは見せてもらうことができなかった。こればかりはアルネリアのシスターだけの専売特許と言われた。
その時は冗談めかして「アルフィに解読されたら、歴代のアルネリア関係者の嘆く顔が目に浮かぶから駄目だよ」とミランダに言われたが、もう少し問い詰めるべきだったのか。だが自分にすら教えてもらえないとなると、当然ローマンズランドの王たるスウェンドルに教えるはずもない。
「間者を放ったのだ」
スウェンドルの言葉にはっとするアルフィリース。
「俺に限らず、歴代の王は同じことをしていた。当然だな、諜報戦は国家間の基本だ。身分を偽って、グローリアを卒業させた者も多くいる。だが、その全てが『たどり着けない』か『よくわからない』か『連絡が取れなくなった』か『裏切った』かのどれかだった。誰も正解にはたどり着けなかった」
「それは――」
「魔術協会も同じことをしただろうな。もちろん、他の国も。回復魔術がなければ、アルネリアの優位性はゆらぐ。だがあれだけ使用者がいるにも関わらず、その修得方法が一切わからない。アルネリアのシスターやクレリックといった回復魔術の使用者は堅く守られ、所在不明になることは終生ない。もし所在が知れなくなれば、奴らは血眼になって探し回る。かつてアルネリアのシスターが攫われたことがあった。行方不明から発見まで、数日が経過していた」
「・・・どうなったの?」
「攫った連中ごとシスターも殺された。跡形なく、周囲一帯焼き払われた。執念としかいいようのない、念の入れようだった。いったい、何なのだろうな? 情報が漏れた可能性があるだけで、そこまでやるのかと思ったよ」
スウェンドルの言葉にアルフィリースは愕然とした。そこまでのアルネリアの忠誠心を、アルフィリースは見たことがない。かつてリサは、「ジェイクにはどうやら回復魔術の適性はないようです」と語ったことがあるが、もっと重要なことだったのか。リサが面倒を見ていた子どもの中には、回復魔術の使い手がいなかったか。彼女から事情をもっと聴いておくべきだったのか。
アルフィリースが唸る様を見て、スウェンドルもまた真剣に悩んでいた。
「そうか、お前もとっかかりすら掴んでいないのか。それは由々しき事態だな」
「ごめんなさい、迂闊だったかもしれないわ。もちろん、知っていても言えない可能性もあるけど」
「いや、いい。その表情はより信用に値する。さて、下の連中もそろそろ飛び立つだろう。真竜の子よ、姿を見せよ」
「え?」
アルフィリースはどきりとしたが、スウェンドルは真面目な表情でドゥフェストの近くを睨んでいた。
「俺もドゥフェストも、一人分の重みが増えて気付かぬほど愚かではないぞ? どさくさに紛れて、王宮に潜入しようとしたな? それとも、アルフィリースにすら内緒か?」
「・・・ばれちゃった」
イルマタルが隠形を解いて姿を現す。その表情は悪戯がばれた少女のものでしかなかった。アルフィリースはなんとなく気付いていたが呆れた表情となり、同時にスウェンドルの表情を窺った。怒っているのかと思ったスウェンドルは、思いのほか優しい表情だった。
続く
次回投稿は、2/28(月)20:00です。