大戦の始まり、その54~西部戦線⑲~
「俺は王位継承権としては6位だった。兄弟は多く、俺の序列は高くなかった。今ではもう、覚えている者は多くないがな」
「最初から皇太子だったのではなく?」
「違う。自分の能力には自信があったが、兄たちもまた優秀だった。年功序列で王位継承権があることに、多くの重臣は疑問を抱かなかった。父王だけは惰弱な輩だったがな。尚武の国ローマンズランドとはいえ、宮殿はどこに行っても魔窟だ。権謀術数と、裏切り、暗殺の風が吹き荒んでいることに変わりはない。いや、ローマンズランドの王宮内は閉鎖空間であることも相まって、特に酷かったかもしれぬ。俺はそんな謀略の渦から逃げるように軍での作戦に自ら志願し、王位継承権とは別のところで、実績を積み上げていった。王になれぬのではあれば、自らの有用性を示す必要があると思っていた。血気盛んでもあるが、やや厭世的でもあったな。自らが当事者とは、一つも考えていなかった。
数年が経つ頃、俺の序列は2位になっていた。互いに争った結果、兄たちが自滅したせいだ。その頃から、否応にでも俺は権謀術数に巻き込まれることになった。俺が何もしておらずとも、謀略は進み、次々と人は死んだ。だから、軍部を率いて粛清を行うことにした。反抗する者は残らず死刑、残った兄には軍の視察中に事故を装って死んでもらい、争いを治める力のない父王にはゆっくりと毒で弱ってもらった。残った弟や妹、親族は国外追放とした。ローマンズランドの権力にしがみつく者には、暗殺者を差し向けた。そうして俺は国内で絶対的な権力を握り、国外からは暴君として知られるようになった。アルネリアの支部すらないローマンズランドでは、そのような政変があっても知られることは少なかったし、そもそもどこも似たようなものだ。興味もなかったかもしれないな」
「聡明な皇太子だったと聞いていたけど?」
「皇太子への就任当初の評価だろう。外交にも力を入れていたから下らぬ夜会にも積極的に出た時期もあるし、軍を率いるだけではいかぬとメイヤーから教師を招いて学問も多く学んだ。父王を毒殺したのは10年かけてのことだ。皇太子の期間は長く、その間に俺の体制を浸透させた。逆らう者には死を、服従する者には庇護を。そうやって専制政治をしない限り、国内の膿は出し切れないと思ったのだ。今思えば、若かった」
凶暴に笑う表情に、一抹の寂寥が滲み出るのは隠せなかった。
「絶対的な権力を得たが、一方で多くを失った。身内は全て追い払ったせいで、信用できる者は軍部にわずかしかおらず、文官は次々と官位を辞して優秀な者がいなくなった。
財政面からも結局有力貴族を無視するわけにもいかず、正妃や側室の縁談を受けた結果として同じような権謀術数が繰り返される。若き時に好いた女はフリーデリンデの天馬騎士団の総隊長に推薦され、傍に置くことは叶わなくなった。次にその行く末を聞いたのは、どこぞの戦場で辱められて無残に殺されたということだけだ。ミストナの2代前の出来事だ。
その腹いせに侵攻した小国で戦利品として奪った、虫も殺せぬような姫が生んだ女児が、俺と同じく竜の紋章を宿した。宮殿内の権力闘争に心身の調子を崩して、あっけなく死んでしまったがな」
「それがアンネクローゼの母君?」
「そうだ。もう少し早く第一王女として生まれていれば、後継者にも悩まなかったろう。上手くいかないことばかりだ、俺の人生は。そうするうちに、オルロワージュという名のカラミティが出現した。
ヴォッフという、身分ばかりが高く何の能力もない男の遠縁として宮殿に入り込み、いつの間にかその美貌で有名になり、勢力を伸ばしていった。正妃も側妃も、今思えば奴が何らかの手を回して処分していた可能性もあるが、気付いた時は遅かった。宮殿内の権力闘争がすっきりしたと思ったら、なんのことはない。カラミティに中身を挿げ替えられていただけだ。俺の畏怖や威光なぞ、微々たるものだったのさ。人間より虫の方が争わぬとは、なんとも皮肉な話だ」
スウェンドルが冷笑しながら何とも言えない表情をしたので、アルフィリースは一度彼から視線を外すと、雲の切れ間に飛竜たちが第一層に下っていくのが見えた。本来の迎えが出発したのだろう。
スウェンドルは直垂を翻した。
「あまり時間がなさそうだな、俺の話に付き合ってくれて感謝する」
「まさか礼を言われるとはね。でも、どうして私に?」
「お前は、何にもとらわれることなく、いつも自由な視点から世の中を眺めることができると思ったからだ。大地にも、空にも、人の世の常識にも、精霊にすら縛られることがない。それこそが、お前の本当の才と思う。生来の気質、そして迫害された生い立ちと、お前を育てた者、今いる周囲の者。全てがお前の財産だ、大切にするがいい。俺には決してない物だ。いや、為政者全般にいえることかもしれないな」
「言われるまでもないわ」
「そして、こんな俺がいたことも覚えておくがいい。俺のようにはなってくれるな」
「スウェンドル王、貴方は――」
アルフィリースもその先を口にすることは憚られた。この王は自らの宿命を悟っているのだろう。その上で何を為すべきか、結論を出して自分に託そうとしていると、アルフィリースは察した。その上で、自らを何を言うべきか、為すべきか。アルフィリースをして、考えあぐねていた。
スウェンドルはそんなアルフィリースを見て、ようやく微笑んだ。
「ふっ、お前でも困ることがあるのか」
「悩み通しだわ。やりたいことも、やらなきゃいけないことも多すぎるから」
「そうだな。本当にやりたいことをできる人間など、一握りだ。悩めるお前に、少しだけ助言をやろう。俺は本国から動けない。ならば、誰が全体の指揮を執るか。そいつが今回の戦争の全体像を描いている」
「策士クラウゼルじゃないの?」
「明言はできぬ、そういう誓約だからな。警戒すべき者は他にもいるだろう。王族も貴族も、まことに度し難いものだ。一見信用できても、裏では野心に燃えている者が多い。対して、フリーデリンデ天馬騎士団とは国家建設の時からの付き合いだ。奴ら程信用できる連中もいまい。まともな王族や軍人が生きている限り、彼らとの友誼が失われることはない。逆に言えば、それらがなくなった時は俺ですら信用するな。容赦も躊躇もするな。躊躇うほどに、お前の仲間が失われるぞ」
「・・・わかったわ」
「あとは、2人の人物に気を付けろ。カラミティと『軍団』だ」
「軍団? そして今更カラミティ?」
スウェンドルの言葉が奇妙に思えた。今更カラミティに気を付けろとは、どういうことか。スウェンドルは言葉を選びながら話した。
「最初は黒の魔術士に雇われていたのだろうが、今は違う。カラミティですら、黒の魔術士の洗脳下にはもはやないのだ。クラウゼルは、奴の欲望にのみ従って動いている。そのクラウゼルを誰も排除できない理由として、傍にいる仲間のせいということが大きい。重騎士ガイスト、軍団、それに勇者ゼムス」
「ゼムス! ゼムスがここにいるの?」
「ああ、奴こそはうってつけだからな。宮殿に奴がいれば、どんな敵が押し寄せたとしても、この宮殿が陥落することはない。奴一人で、万の軍勢も押し返して見せるだろう」
「・・・何か理由があるのね?」
そこまでスウェンドルがゼムスを評価することに違和感を覚えたアルフィリースの疑問に、スウェンドルは頷いた。
「宮殿に来ればわかる。なぜあの場所をオーランゼブルが選んだのか、そしてカラミティが派遣されたのか。そしてゼムスの特性も」
「ゼムスの特性?」
「あんなものが勇者として他国から推挙されたとはな――げにおぞましき戦士よ。いや、能力だけなら誰よりも勇者足り得るかもしれないが。奴には決して心を許すなよ?」
「だ、誰が」
アルフィリースは一度ターラムで彼を見かけたことがあったので、妙に気になったことを思い出した。顔の造形は、正直好みだった。だがなぜか、それ以上に惹かれた自分がいたことは否定しなかった。ただそれが、女として惹かれたかどうかはアルフィリースにはわからない。
そんな様子を察したのか、スウェンドルはふっと笑ってアルフィリースに諭した。
続く
次回投稿は、2/24(木)21:00です。