大戦の始まり、その53~西部戦線⑱~
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翌日、陽が登ると同時にアンネクローゼがイェーガーを出迎えに来た。そしてドードーやミストナ、カトライアも既に起床していた。
どうやら宮殿からの迎えが来るらしく、それまでには閲兵しておく必要があるとのことらしい。傭兵は軍人ではないが、ローマンズランドの宮殿は、登殿だけでも本来なら厳重な審査と身分調査が行われ、一度登殿すると数年は出ることができない、あるいは一生をそこで終える者もいるとのことだった。
将軍たちですら、出入りには厳重な身体検査が行われ、自由に出入りできるのは王族だけ。他国の要人もこの第一層でもてなすことがほとんどだという。そんな中枢に外部から人を招くのは、代々のフリーデリンデの天馬騎士団総隊長のみとのことだった。
そこに傭兵を登殿させるというのは異例中の異例であり、ミュラーの鉄鋼兵からはドードーのみ。フリーデリンデの天馬騎士団からはミストナ、カトライア、ヴェルフラ、マルグリッテ、エマージュ、そしてなぜかターシャが選抜されていた。
首をかしげるアルフィリースに向けて、本来なら6名の登殿が許可されたが、ドードーが他の者を登殿させることを拒否したと説明され、アルフィリースもイェーガーから6名を選抜するようにアンネクローゼが要請した。
アルフィリースが選んだのは、リサ、ルナティカ、ダロン、クローゼス、ラーナ。ローマンズランドへの縁と、戦力で考えた時にこうなった。ルナティカがしれっと合流していたのには驚きだったが、どうやらレイヤーもここに至る道筋だけを確認すると、その足で別の場所に向かったらしい。
「道筋って・・・階段じゃないよね?」
「門に邪魔されない、潜入経路を確認した。私たちのやるべきことでしょう」
こともなげに言い放つルナティカの方が首をかしげると、改めて彼らの凄さを実感するアルフィリース。正規の経路以外は、あらゆる侵入者を防ぐ天嶮の要塞であるはずなのだが。指をかけるとはがれるほど脆く、磨いたように滑る岩肌を、どうやってこの高さまで登ってきたのだろうか。どのみち彼ら以外は実行できないだろうから、詳細は聞かないでおいた。
そしてレイヤーの向かった先を聞いて、丁度気になっていたのでそのまま放置することにした。今のレイヤーなら、彼の直感に従って動く方が良い成果を出すだろう。
そしてアルフィリースがイェーガーの正装を彼らに用意させていると、閲兵の時刻の前に突然見事な飛竜が降り立った。その飛竜を操るのは、なんとスウェンドル国王本人だ。
「ち、父上? まだ時刻までは余裕が――」
慌てふためくアンネクローゼの頭を撫でて宥める様子は、まるで子どもをあやすようにも見える。
「上の連中がもたもたしているから、まだ散歩の時間くらいはあると思ってな。俺なりの遊び心というやつだ。それに最近こいつを乗り回してやっていない。高齢にはなったが、運動をさせておかないと鈍るだろうと思ってな」
スウェンドルは愛竜の首筋を叩く。一際大きな体躯を誇る竜は高齢なのか、長距離を跳ぶには適してなさそうだが、知性の光を灯した目はゆっくりと人間たちを見極めているように動いていた。
そうするうちにアルフィリースを見ると、竜の動きが止まる。それを見て、スウェンドルがふっと笑う。
「やはりお前も興味があるか、あの女に」
「なんでしょうか?」
アルフィリースがやや緊張した表情で前に出ると、スウェンドルは意外なことに手を差し伸べた。
「少し付き合え、アルフィリースよ。朝の散歩だ」
「はぁ、お断りします。手籠めにされたくありませんので」
あっさりと断ったアルフィリースに顔色が赤くなったり青くなったりするアンネクローゼが何かを言いかけたが、スウェンドルは大笑いして強引にアルフィリースの手を引いた。
「はっはっは、俺の誘いを断る女はお前くらいのものだ。案ずるな、空の岩橋でことに及ぶほど俺も堕ちてはいない。あそこはローマンズランドの竜騎士にとって、精神的支柱だからな」
「そういうことでしたら、少しだけ」
「時刻になったら、そのまま宮殿に送ってやる。お前たち、団長を借りるぞ!」
流石にのリサも反論できずに呆然と見送る中、そしてアルフィリースを飛竜の背に乗せる時、スウェンドルが小声で囁いた。
「少し話しておきたいことがある」
アルフィリースは表情を変えずスウェンドルの背中につかまり、上で合流することを告げてスウェンドルとそのまま飛び立った。
そして天の岩橋の上に来ると、丁度そこで朝陽が昇るのを2人で眺めることになった。飛竜が止まるほどの幅はあるが、風は強く岩肌は滑る。一つ間違えれば、遥か下まで墜落する中で、アルフィリースは怯えることもなくしっかりと立ち、強風にたなびく自分の黒髪をかき上げていた。
「絶景ですね」
「そうだな。ここは完全に自然の産物だが、竜騎士たちは何かあるとここに来る。泣きたいこと、悲しい事、嬉しい事。建国以来、全てこの岩橋は見てきたはずだ。今では逢引やプロポーズも行うこともあるそうだが、時代の流れだろうな。俺は悩み事があるとここに来るくらいだが、久しぶりにここに来た」
「あるいは、密談ですか?」
アルフィリースの堂々とした質問に、スウェンドルは小さく頷いた。
「この周囲は気流が不安定でな。特に明け方、霧や雲の多い時間帯にここに近づくのは自殺行為だ。こいつ――ドゥフェストの羽なら少々煽られても耐えられるが、普通の飛竜では羽が折れて岩橋にぶつかって墜落、なんてことになりかねん。実際ここに来ることができるのは、それなりに熟練した竜騎士だけだ。一人前の証明だな」
「なるほど。訪れる人も少なく、センサーの聴力でも風の音で遮られると」
「そして、余計な虫も近寄れん。知ったのは最近だがな」
スウェンドルの言葉に、アルフィリースは怪訝な顔をした。
「オルロワージュ――いえ、カラミティと貴方の関係はどうなっているのですか?」
「お前はどう思っているのだ?」
「カラミティの傀儡だとばかり」
アルフィリースの歯に衣着せぬ言い方に、スウェンドルは薄く笑う。
「奴はそうしたかったようだが、そうではない。奴に改造はされたが、精神的に支配し返した。奴も呆れていたよ、体を乗っ取られながら自分の意志で動ける者は初めてだと。ただ代償はある。奴から遠く離れると、この体は衰弱を始める。精神的には対等でも、肉体的にはカラミティに依存せざるをえない。俺は奴から離れられぬ。国元から離れる時には、オルロワージュの同伴が必要だ」
「やはり――カラミティの本体はここにあるのね?」
「そうだ、俺が生まれた時にはもうここにあったようだ。本格的な支配が始まったのは、俺が皇太子に正式に選ばれる前後だったようだがな。少し俺と奴、そしてこの国のことを話しておこう、お前には重要なことになるだろうからな」
そうしてスウェンドルは少し懐かしい顔をしながら、かつての時分と、国のことを話し始めた。
続く
次回投稿は2/22(火)21:00です。