魔王討伐の裏で、その2~忍び寄る影~
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――そして、30秒後には首領らしき忍者の首を締め上げるミリアザールがいた。月に照らされた彼女の姿は、人間ではないかのごとき美しさを放っていた。いや、実際に人間の姿をしていなかった。彼女の髪や目の色こそ元のままだが、口は耳近くまで裂け、耳は天を衝かんばかりの大きさに尖っていた。手足には黄金の毛並みが逆立ち、彼女の後ろには豊かな太さの5本の尾が生えていた。なぜか一本だけは短かったが。
そしてもはや忍者は抵抗しようにも、どうしようもない。なぜなら、彼の両手両足はミリアザールが引きちぎってしまった。彼女の周囲は既に赤い海と化しており、彼女自身も深紅に染まっている。それでもその表情は普段と変わらず、むしろ穏やかに忍者に話しかけた。
「なぜワシがこんなにも長い間生きていると思う? それはワシが強すぎて、誰もワシを殺せなかったからじゃ。大魔王のバカたれどもはワシといい勝負ができたが・・・まぁワシも最初からここまで強かったわけではないし、運もあるがの。それにワシは自ら好んで戦いに赴いたことはほとんどない。暗殺は何度もされかかっとるがな」
忍者の口からなにかひゅー、ひゅー、と音が漏れる。何か言おうとしているらしい。
「ん、なんじゃ? 遺言があるなら聞いてやろう」
「・・・ば・・・ばけ・・・もの・・」
「なんじゃそんなことも知らなんだのか。今さらじゃわい。だいたい実際、人間ではないしの」
全く落ち込む様子もなく、答え返すミリアザール。
「さて、お主が死ぬ前にもう少し付き合ってもらおう。お主の雇い主を調べんといかん。きちんと手順をふまぬと相手の脳を壊しかねん危険な魔術じゃが、死にゆくお主には関係あるまい。詫びといってはなんじゃが、お主の名前もついでに調べて覚えておこうぞ」
「!」
瞬間忍者の体がガクガクと痙攣し始め、口から泡を吹き始めた。そのまま5秒ほどして、痙攣が一層激しいものへと変わり、今度は完全に動かなくなってしまった。
「ふむぅ・・・有益な情報はなしか。釣れるには釣れたが、まさに雑魚じゃったな。どうも釣りは苦手じゃ」
ミリアザールは「あーあ」という顔をして、自分に襲いかかってきた刺客に全ての興味を失ったようであった。そのまま忍者の亡骸をぽいっと放り捨て、自分の思索に耽る。
「まあでも今回の敵はしぶとそうじゃ。ワシにここまでさせておいて、大した情報も得られんからの。さて誰が黒幕か・・・また手を考えねばなるまいな。全く人間はワシを飽きさせんわい、そんなに最高教主の権力が魅力的に見えるのかのぅ。あるいはワシに対する挑戦か? まあどっちにしても無謀じゃが」
ミリアザールが自分の命を狙われたのは何度目か、もはや覚えていない。30回目くらいまでは数えていたが、面倒臭くなって数えるのを辞めたのは500年前か、400年前かすら定かでない。敵対する勢力の時もあったし、魔物の時もあった。自分の腹心の時もあった。その全てを叩き潰して、彼女は今ここにいる。極力犠牲が出ない方法を取ってきたつもりではあったが、どれほど上手くやったつもりでも、どうしても犠牲が出てしまう。そのたびに自問自答を繰り返してきた。
「(アルネリアならどうするか・・・いや、まずアレならば戦うという選択肢がないのであろうな)」
答えはいつも明白である。アルネリアならば敵と戦わない、いや、敵という識別すらしないのであろう。もはやアルネリアの真似ごともできなくなっている自分の状況がミリアザールは腹立たしいが、今さら自分の行っている役者を降りるわけにもいかない。自分がいなくなれば、空いた権力の座を巡りさらなる混乱が起こるのは明白である。自分ではいかほどに考えても良い答えは出ないが、考えるのを止めればそれこそ自分はただの化け物になってしまうとも思っていた。そんな考えに耽っていると、ふと後ろでぱしゃりと水音、いや血音とでも言うべき足音がした。
「・・・梔子か」
「申し訳ありません、そろそろ防音の魔術が切れるかと思いまして。差し出がましくも、お声をかけねばと」
「いや、よい」
返事をしたのは黒装束に身を包んだ女忍者である。顔を仮面で隠しているため表情はわからないが、静かで凛とした声であった。背恰好も普通の女性と変わらない程度だが、体つきだけでなく仕草にまで一切無駄がない。かなりの使い手であることは明白である。
それもそのはず、彼女は「口無し」と呼ばれる、教主ミリアザールが個人的に抱える暗殺部隊の長である。その存在はラザール家の者ですら知らない。教会本部からほとんど出ることのない教主の目となり耳となり、各地で諜報活動を行うのが主な任務であるが、何人かは女官にまぎれて自分の身の回りの世話をしている。使い魔を同時に沢山扱うことはミリアザールは不得手としているため、このような者をもう何百年も傍に置いている。今回も刺客の上忍にすら気付かれず、いつの間にか防音の魔術を張っていた。もっとも屋上まで刺客達をおびき出したのは、予め決めた作戦通りなのだが。
「すまぬが後始末は任せる」
「は」
「で、今ミーシアに何人来ておる?」
「私を含めて即座に動かせるのが7人。予備に4人。ミーシアに元々潜伏しているのが14人おります」
「明日の夕方にはミランダ達が帰ってくるだろう。ワシは一度奴らの顔を見てから、アルベルトを連れてアルネリアに戻る。一つやっておきたいこともあるしの。念のためワシの手元に3人残せ。後の連中には探ってもらいたいことがある。潜伏中の連中は現状維持でよい」
「御意に」
てきぱきと指示をするミリアザールに、梔子が礼をする。
「ワシは宿に帰る。何か新しい報告があれば今聞いておこう」
「は、では。まず一週間ほど前に、西方オリュンパス教会の中で何らかの動きがあった模様です。具体的には一両日中には報告ができるかと」
「オリュンパスか、面倒くさそうじゃの。報告が上がり次第、夜でもいいから起こせ。他には?」
「この大陸各地で新たに確認された魔王ですが、このひと月で既に7体を超えました。内5体まではラザール殿達が狩った者も含め、征伐が確認されております。後の2体は未確認ですが、片方は大魔王級の可能性があるとの報告が先ほどありました。その出現地点、西方連合諸国の国々から、我々に支援を求める動きが見られます」
「・・・戦争になるか?」
「高い確率で」
梔子の澱みない返答に、ミリアザールが目を伏せる。
「わかった。ここに潜伏中の連中を使い、各地区の教会に遠征軍の可能性を伝達。詳細は追って伝えると言え。あと東方の大陸に使いを出す。状況によってはワシが直接出向こう」
「御意に」
「念のため魔術教会にも連絡しておくかな・・・まあ、あ奴らなら既に知っておろうが」
「他に御用は」
「もうよい、行け・・・あ、そうじゃ。先ほど菓子を食い損ねてな。その辺の駄菓子屋で適当なものを買って、ワシの寝室まで届けておいてくれ」
「・・・夜のお菓子は太ります、虫歯になります。ちゃんと歯を磨いてから寝るように、ミリアザール様」
「ほっとけ! ってもうおらんがな!!」
足音もなく梔子は消えた。入れ替わりに他のくの一達がやってきて後始末を始める。
「なんでワシの周りはミランダといい、代々のラザール家といい・・・ワシはお子ちゃまか?」
ミリアザールの嗜好と容姿はお子様なのだが・・・ともあれ、彼女がややむくれながら部屋に戻ると既に駄菓子が置いてある。仕事だけは早い女だ。
「って綿菓子か! 飴くらいでよかったのじゃが。というか綿菓子はやめいと言うておるのに・・・」
事情を知る初代の梔子であれば、決してこのようなことはしなかったであろう。瞬間ミリアザールの顔が暗く翳る。
「ミランダ、ワシはそなたが羨ましい・・・・・・」
大粒の涙が一筋、彼女の頬を伝う。だが彼女が流す涙の真の意味を知る者は、もはやこの世に誰一人として生きてはいない。
***
場所は代わり、ここはアルフィリース達が魔王と戦った森である。
魔王が死んだ今、ここには本来の生態系を脅かすものはなく、土地の属性もあるべき状態に戻るはずであった。だが、森には生命が徐々に満ちてくるはずなのに、その様子が全くなかった。相変わらず土地の全てが死んだように静かである。いや、命あるものがこの場所を嫌ったとでも言えばいいのか。
さらに勘の強い者や、魔術の修練を積んだものであれば気付いたであろう、まだこの土地の結界が消えてないことに。いや、今この場所にのみ、新たに結界が張られたと言えばよいのか。またはその者達が現れたから、結界が出現したのか。ともあれ、見る者が見ればこんな場所には一瞬たりともいたくないと述べたであろう。ここには、先の魔王など比べ物にならないほどの不吉で邪悪なモノが満ちていた。そして風も無いのに木が、草が、いやここにある全てのモノ達がざわめき始めている。
その中に木の葉のすれ合う音に混じり、囁くように聞こえる声。かすかに聞こえるその会話は――
「見たか?」
「ええ」
「あの魔王を一ひねりとは、なかなかだ」
「しかもまだ余裕があるでしょう」
「もったいないね、あの魔王には名前を考えていたのに」
「なにせ、生まれたてのレベル1だったもんね」
「・・・お気に入りだったのか・・・?」
「だって、恰好良かったよね、あいつ」
「趣味悪いんじゃない?」
「・・・だが・・・あれが町に現れていたら・・・楽しかっただろう・・・」
「それは同意見だね」
「楽しい光景が見れたかもしれないね」
「静かに・・・」
ざわめいていた木々達がぴたりと止まる。
「現状をもう少しの間維持する。各々計画はあるな?」
「御意にございます」
「任せてよ」
「良い素材をみつけております」
「・・・あの女剣士は放っておいていいのか?・・・」
「今はまだよい。待つことも必要だ」
「了解で~す」
「ここに来てない奴もいるけど・・・いいんですか?」
「ほうっておけ。やることをやっておればそれでいい」
「もしやってなかったら『折檻じゃ!』どう? 似てる?」
「・・・君は・・・センスが無い・・・」
「寒いなぁ」
「ちぇ」
誰かの舌打ちと共に、木々が争うように大きく揺れた。
「次は三回目に月が満ちた時に集まることとする。忘れるな」
「御意」
「忘れそう」
「おまえは寝坊するなよ」
「・・・君こそ女遊びが過ぎないように・・・」
「ボクの女遊びなんて、アイツの遊び方よりよっぽどマシさ」
「・・・うふふ・・・違いない・・・」
「ここに来ていない者には私が連絡をしておく。それぞれ聞いておきたいこともあるしな」
「わかりました」
「では諸君、我ら『世界の真実の解放のために』」
「「「「『世界の真実の解放のために』」」」」
そしてぴたりと全てが止んだ。精霊が、虫達が、夜の闇を動くモンスター達が、色々な生命が森に戻ってくる。だが、先ほどまで聞こえていた声が何かなど、気にするものは何一ついなかった。
続く
次回は10/26(火)12:00に投稿です。