大戦の始まり、その35~南部戦線⑥~
***
「敵陣に動きがありました!」
見張りの報告は朝のことだった。この時点でのグルーザルド軍の感想は、なぜこの時間帯に、である。既に陽は登り、夜番からの交代の時間を迎えて食事を済ませている状態の兵士が多い。
気力、体力共に充実し、そして最も多くの兵士が起きている時間帯。夜の闇に紛れることもできず、一番襲撃には適さないはずの時間帯だった。現に、天幕には食事を終えた幹部たちが勢ぞろいしていた。当然、対応も早い。
「数は?」
ロンが質問をすると、斥候は躊躇いがちに答えた。
「それが・・・100人ばかりしか」
「100人? そんな小勢で何ができるんだ」
「それが馬もなく、武装も覇気もない状態です。ゆっくりとまるでゾンビか何かのように、森を通過してこちらに向かってきているので、どうしたものかと」
「どうしたこもこうしたもあるか。敵なら倒す、それだけだ。容赦するな、森から出たら敵意ありとみなして殲滅しろ!」
「はっ」
ヴァーゴの喝を受けて斥候は伝令に走ったが、妙な動きといえば妙である。山間に柵をしいて防備としたはよいが、地の利や食料・物資の調達を考えるのなら前面の森にもある程度の陣を敷く方がよいはずだ。それが地の利を捨てて山間にだけ陣取ったということは、体力を回復したら玉砕覚悟の出撃をするとばかり、幹部たちは思っていたのだが。
その地の利を捨てながら、今更森を通って小勢で襲撃など、まったく想定にない戦術だった。そこに、丁度レイファンが入ってきた。髪を結い上げ、いざとなれば走り回れるような恰好で入ってきた彼女は、戦支度を既に終えているようだった。鎧はつけていないが、胸当てなどを装備していることからも、自分が戦場で指揮を直接執る可能性を考慮しているのだろう。
彼女がお飾りではないことは誰しも承知していたが、前線で指揮を執ることすら考えているのかと、その勇敢さには敬服した。レイファンはちらりと斥候の背中に視線を送る。
「斥候の方が走っていったようですが、何かありましたか?」
「レイファン王女、敵の襲撃です」
ロッハの言葉に、レイファンが妙な表情で反応した。その割に緊張感がないと思ったのだろう。
「それにしては皆様、困り顔ですね?」
「それが――」
幹部の一人が説明する。すると、レイファンの表情が俄に青ざめた。
「・・・それは、よくないかもしれません」
「レイファン王女、何がよくないのでしょうか?」
「いえ、杞憂ならよいのですが。念のため備えた方がよいでしょう」
レイファンは自らの側近に耳打ちして、すぐに伝令に走らせた。その様子をロンが見咎める。
「レイファン王女、何か我々に隠し事でも?」
「万一の備えではありますが、それなりに代償を払う可能性がある手段です。できればグルーザルドの皆様は、知らぬ存ぜぬで押し通した方がよいでしょう。使わぬにことしたことはない手札ですから。それより、我々も前線に出向いた方がよいでしょうね」
「我々も?」
「はい。何が起きるかによっては、我々が前線で指揮を直接執って兵士を鼓舞した方がよいでしょうから」
レイファンの真剣な表情を見て、ロンは何が起きるかを想定したようだ。
「――なるほど、貴女が懸念し、意図していることがわかった気がします。敵は第二陣、第三陣と出してくるでしょうか?」
「どのくらい予備があるかによっては、当然考えるべき可能性でしょう。同時に出て来る騎馬部隊にも注意した方がよいかもしれませんね。随行する兵士がいなければ、それほど脅威ではないかもしれませんから」
「承知しました。私たちは何も知らないということで、万が一の際は貴女様に対処を任せてもようございますね?」
「ええ、そのつもりで準備しています」
恐ろしい人だ。度胸と交渉力だけでなく、戦局を読む視点も持ち合わせているのかと、ロンはレイファンの慧眼に恐れ入った。
そして彼らが前線に丁度出て、陣の前の森を見るために柵に近づいた時点でそれは起きた。森の中で彼らの動向を観察していた斥候が、血相を変えて走り帰って来たからだ。
「た、大変だ!」
斥候は獣人の中でも、特に冷静で知恵の回る者が指名されることが多い。それがここまで血相を変えるとなれば、尋常ではなかった。
「で、出てきます! 奴らが!」
「何を慌てることがある。たかが百体の敵兵――」
「敵兵じゃない、魔王だ!」
斥候が叫んだ瞬間、森の木々を押し倒しながら、木よりも大きな巨人のような魔王が地面を揺らしながら出現した。
その数は一体、二体、三体と増え続け、まだまだ森の奥の木々が揺れていることを考えれば、何が起こるかは想像に易かった。
続く
次回投稿は、1/17(月)23:00です。