大戦の始まり、その34~南部戦線⑤~
「敵の様子はどうか」
「はい。敵は簡素な柵を立て陣に籠っております。反対側のファイファー殿からも同様の報告を受けておりますので、まずは休息を取っているのでありましょう」
「そりゃあ三日三晩、俺らに挟まれて追い回されりゃなぁ」
ヴァーゴが呆れるように言ったが、その間の戦いの悲惨さを思いだし、諸将は思わず大きく息を吐いた。グルーザルドの獣人たちの間には敵の殺し過ぎで爪の油が取れず、それが理由で戦線を一時離脱する者すらいた。
捕えた将兵の処刑はクルムス軍が請け負ったが、その数の多さに首を落とす処刑人たちが疲弊して処刑が進まなくなったため、最後は捕虜たち自身に穴を掘らせ、その中に突き落として生き埋めにした。奪った首、実に25000。現代の戦において、最大の戦死者数がこの戦で記録された。
その惨憺たる有様に、クルムスの将兵には悪夢にうなされる者や、任務を離れるたいと自己申告する者すらいたが、レイファンは彼らを厳罰に処した。苛烈な態度で戦に臨む小王女にこの戦の本気度を感じ取り、また殺した将兵の一部が溶けて人形であることがわかると、クルムス軍にもやらねばならないことなのだという覚悟が生まれ、いまや数千のクルムス軍は暗くぎらつく光を宿してこの戦に臨んでいた。
獣将バハイアの副官が報告を続ける。
「陣内では敵は既に疲弊し、士気は低く。我々が寄せても、弓矢を射かける気力すらないようでした。食料もそのほとんどを奪うか焼くかしたため、もって数日かと」
「ならば一両日の間には出て来るでしょうね。その時が最後の戦いでしょう」
「方針には変更なしですな、レイファン王女」
「無論」
ロッハの言葉に即答するレイファン。その態度を見て、ロンがため息をついた。
「では本日夜は休まれよ、王女殿下。警戒はグルーザルド軍が引き受けましょう」
「いえ、それはしかし」
「少し鏡か水面で自らの顔を御覧じなされ。中原一の美姫が台無しとなっておられる。何もかも、一人で背負われずともよろしい」
ロンの進言に少し悩んだレイファンだが、それほどまでにひどい表情なら逆に将兵に不安を与えかねない。レイファンはぐっと拳を握ると、肩の力を抜いた。
「では今夜はお任せします。ですがクルムスの将兵は一部、巡回にお使いください」
「ですが」
「将兵は今完全に緊張を解くと、明日以降戦えないでしょう。激戦を経験していない彼らは、悲惨な戦争の体験が足りません。今はなんとか耐えていますが、もって数日。実は我々の方も限界に近い。
それに、まだ敵が何か隠し持っている可能性もあるのです。一部だけでも駆り出しておく方が、より十全に戦えるでしょう」
「では、そのように」
レイファンはそれだけ言い残すと、その場を素直にあとにした。自分の天幕に入ると間もなく灯りが消えたことからも、相当に疲労していたことは間違いがない。
グルーザルドの獣将たちを中心とした幹部は、ロンの指示を再度確認していた。
「どちらから突破を図るだろうな?」
「普通に考えれば、クライア軍の方だ。帰る方向だしな」
「だが奴らに常識が通じるとは限らない。人間ですらない死兵なら、全滅も厭わない可能性がある。その場合、もっとも価値の高い首を取りに来るだろう」
「そうなると、レイファン殿下か」
「以前も魔王に狙われたことがあるそうだ。黒の魔術士の意向を受けて動いているなら、そうなる可能性は高い」
「何としてもお守りせねばなるまい」
不思議と獣人たちも、いつの間にかレイファンを大将として守るような発言をする者が増えていた。彼らは忠義に厚い者が多いが、ドライアンの同盟者であること以上に、レイファンの為政者としての才覚と心遣いに感じるところがあったようだ。
いつの間にかグルーザルドの軍人たちも魅了する人間の王女と共に戦いながら、ヴァーゴがロッハに考えを述べた。
「ちょっと気負い過ぎかな、あの姫様は」
「だな。トラガスロンにとってはひょっとしたら不運なことかもしれないが、自らの内に潜む獅子身中の虫を排除できなかったツケをこの数日で支払うことになっただけだ」
ロッハの辛辣な意見に、ロンが頷く。
「ここで躊躇することが、結果的に我々にもトラガスロンのためにもならないことには賛成です。ですが、我々とて自らの内に潜む不安要素を排除できているかどうかは怪しい」
「宰相、明日は我が身だってことか?」
「どこの国とてそうでしょう。我々とて、今自国を攻められているのですから」
「誰も彼もが無関係ではいられないということか」
「だからこその、大戦争です」
ロッハの言葉に、一同がしん、となった。重苦しい雰囲気を、ヴァーゴが手を叩いて打ち払う。
「やめだやめだ、戦いの前に辛気臭いのはなしだぜ。やることは一つ、人形交じりのトラガスロン軍を無慈悲に殲滅する。どうあれ、奴らは民間人じゃなく軍人なんだ。戦って死ぬ覚悟がなければ、軍人になんてならなきゃいいんだ。必要以上に心を痛める必要はねぇ。もし心を痛める必要があるってぇのなら、その責務は俺ら獣将が一番に負ってやる。一般兵には伝えておけ、何かあったら俺らのせいにしろってな。明日以降は良心を俺ら軍に預けて、非情になれと伝えろ。いいな!」
ヴァーゴの喝と共に軍議は解散となった。こういう時にヴァーゴの存在は頼もしいと、ロンは感動していた。良き現場の指揮官が多いからこそ、グルーザルドは強いと確信できる。だがこのままこの戦いが何事もなく終わるとは、どうしても思えなかった。
その懸念は果たして、悪夢のような形をもって顕現することになる。
続く
次回投稿は、1/15(土)23:00です。