大戦の始まり、その30~南部戦線①~
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「道中の護衛、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ正直に申し上げて、クルムス公国と親しくなることに益がある。互いに持ちつ持たれつだと思っていただければ結構です」
「では、これからもよしなに」
「そうありたいと考えています」
クルムス公国のレイファン小王女と、クライアのファイファー遠征軍総司令官が並んで遠征軍の指揮を執っていた。
指揮を執るといっても、彼らはクルムスに向けての帰国途中で、道中にはほとんど不安はない。レイファンは馬車で移動し、その隣でファイファーがゆっくりと馬を歩かせていた。
もちろん、実際はかなり急ぐ旅のはずだ。現在トラガスロンはクルムスに向けて進行中であり、レイファンは留守を急襲された形である。王女がいない間、しかも合従軍の最中に本国を宣戦布告もなく襲撃するなど、現在の国際感覚を著しく逸脱しており、誹りを免れない非道な行為である。
だが、これは全てレイファンが想定した出来事だった。アルフィリースも忠告はしてくれたが、その前からレイファンは既にトラガスロンの動きを掴んでいた。
レイファンがトラガスロンの動きをどうやって掴んでいたのか。それはレイファンにとってみれば至極当然のことで、レイファンが王女を継承してから注力した結果が出たに過ぎなかった。
レイファンの馬車の反対側から、小さなノックが聞こえる。レイファンは一度ファイファーに断り小窓を閉めると、反対側の近衛に話かけた。
「何用ですか?」
「レイファン様、例の者たちから報告が」
「聞きましょう」
「レイファン様の読み通り、トラガスロン軍はクルムスとの国境線を一度越えるも、ガニエスタ砦が簡単に陥落しないことを悟ると、国境線の向こうに引き返して以後は示威行動のみを行っているようです。クルムス、トラガスロン共に実質的な被害はほぼなし」
「なるほど。他には?」
「グルーザルドから進軍してくるドリストル王国の報告もあります。聞かれますか?」
「そちらは報告書にまとめ上げておきなさい、後で目を通します。彼らには予定より三割増しの報酬を」
「はっ」
レイファンが反対側の小窓を開けると、小高い丘に羊飼いたちが数名、レイファンの方に礼をしながら立っているのが見えた。レイファンは満足そうに彼らに微笑み、そして小窓を閉めて、小さくほくそ笑んだ。
「ふふ、上手く機能しているようですね。アルフィリースの助言もありましたが、それにしても読み通り」
レイファンが王位継承より力を入れた情報収集専用の部隊の他に、羊飼いの協力者が多くいる。彼らは放牧地を求めて複数の国境線を移動することを慣習的に認められている者もおり、非公認ながら羊飼いのギルドも存在するそうだ。
レイファンはムスターに対抗する以前から彼らの協力を仰いでいたが、クルムス内の領地を一部彼らに優先的に割譲することで、彼らと強い結びつきを得ることに成功した。クルムス近郊、特にクルムスより南西の領域において、羊飼いの行動範囲は広い。
なぜレイファンが彼らの協力を取り付けることに成功したか。羊飼いとは人間だけでなく、小人族やそのほかのゴブリンやオークと人間の混血で構成される。忌み嫌われる運命にあった羊飼いたちは、どちらかというと獣人の生活圏を中心に動いている。一つには彼らをレイファンは差別せず、人間社会の土地まで与えたのは史上初の試みだ。
領地の割譲が完成している大陸中央部において、新たに自分たちの土地を得ることがどれほど破格の待遇であるか。レイファンに対する羊飼いたちの感謝と畏敬の念は、レイファンが想像した以上だった。
「私にしてみれば、扱い切れない土地を切り離しただけですけどね」
クルムスの官僚が育ち、貴族から没収した土地や財産の再配分が十分に行き届くまで、十数年はかかる計算である。経済は想定より早く軌道に乗っているが、その間持て余す土地や不採算となる領地はさっさと手放すに限るとレイファンは考えた。
同様に、クルムスのファイファーにも取引を持ち掛けた。クルムス側の土地をファイファーとの交渉で譲った形にすることで、ファイファーは王位継承権の順位を大幅に引き揚げた。この時代において、人的被害なく他国の領土を得ることが、どのくらいの意味と功績になるか。
ファイファーは得た土地に対する初期投与で自領の運営が傾くとしても、この申し出を受けた。結果として彼の王位継承権は現太子に次ぐ2番となり、かつてヴィーゼルとの戦いで見せた能力と、以後の魔物討伐の実績から軍部の実権も握ることに成功した。ファイファーの元に、イェーガーが多数の傭兵を割安で送り込んで成果を上げていることは、ファイファーとアルフィリースの繋がりありきのことである。既にクライア内での権勢は太子を上回りつつあり、そのせいで今後太子と派閥争い、下手をすれば内戦に発展する可能性もあるが、ファイファーはそうなるとしても、現在の選択を後悔していない。あの凡庸な太子を王と仰いで一生を終えるくらいなら、生きるか死ぬかの賭けをするつもりだった。
そのような動きがありつつ、レイファンは再びファイファー側の小窓を開けた。そのレイファンの表情を見て、ファイファーも察するところがある。
「良い連絡でしたか」
「ええ、予定通りでございますわ、殿下」
「では私たちの護衛はここまでですな。予定通り、我々はトラガスロンの首都を急襲させていただく」
「お願いいたします。それに呼応する形で、クルムスとグルーザルド連合軍がトラガスロン遠征軍の背後を突きます。遠征軍を失ったトラガスロンが降伏した後は、奪った土地は予定通り2分割で」
「腕が鳴りますな。では!」
ファイファーが自信に満ちて馬を走らせ、その動きに従ってクルムスの軍隊が向きを変えていく。その統率の見事さに、ファイファーの指揮官としての能力が現れており、同盟は間違いではなかろうとレイファンは安堵した。
続く
次回投稿は、1/7(金)24:00です。