大戦の始まり、その22~北部戦線⑩~
「あー、やばかった」
ドゥームは短距離転移を連続で使用し、今度こそレイヤーの追撃がないことを確認してから長距離転移で拠点に戻った。短距離とはいえ、3人での転移はかなり魔力を消耗する。加えて最後は長距離を跳んだ。遺跡での知識がなければできない芸当だったが、ドゥームは今や涼しい顔でそれらをこなす。
以前より全てにおいて自分の実力が向上していることを感じている。だが黒の魔術士を含めて、まだまだ化け物揃いなのが事実で、とても十分とは言えないことも知っている。事実、先ほどレイヤーを前にしても、転移で逃げるという手段が通用しない場合があることを知らされた。レイヤーが規格外とはいえ、剣であんなことができるとは想定もしていない方法だった。
今までなら、ただ苛立って終わりだった。だが今はどこかでそんな相手の出方すら楽しんでいる自分がいる。
「剣で魔術を妨害するなんてね、やるもんだ。転移の魔術を相手に悟られず発動する方法はないものか」
「旦那、俺たちは――」
「ああ、勝手に休んでいるといい。僕は行くところがある」
「すまねぇ」
「ドゥーム」
グンツがミルネーを抱えて逃げるように去っていくと、オシリアが滑るようにドゥームの下に寄ってきた。ドゥームは彼らの耳に届かぬように、そっとオシリアに耳打ちする。
「彼ら――裏切らないとは思うけど、デザイアに伝えてそれとなく見ておいてくれ。馬鹿な連中だけに、それだけにどんな行動に出るかわからない」
「それはいいけど、いっそ殺してしまっては?」
「ミルネーは最悪それでもいいけど、グンツは困る。僕がリサちゃんと遊ぶ時には、彼の指示があった方が便利―ーというより、ほぼ必須だ。いまだに人間と繋がりがあって、僕が安全に頼める相手は彼だけだからね」
「ああ、あの連中――」
オシリアがターラムでグンツが集めた面子の事を思い出す。だがオシリアをもってして、不快な表情を隠さなかった。オシリアとて悪徳の限りを尽くしてゼアを滅ぼしたが、あの連中はそれと比較しても負けぬほどには狂っている連中だった。
人間の皮に悪意だけを詰めたような連中。それが「スリーズバグ」と呼ばれる、グンツの新たな仲間の呼称だった。ただグンツが一声かければ集まってくるのに、普段はどこにいるのかわからないような連中だ。それが逆に不気味で、オシリアやデザイアにすら無差別に悪意を向けるような連中だから、ドゥームも積極的には関わっていない。
オシリアはそんな連中を操ってまで、リサに関わる意義が見いだせなかった。ひょっとすると、それは嫉妬も関係するのかもしれない。
「ねぇ、そこまでしてあのリサという女にこだわる必要がある? ジェイクだってたしかにあなたに傷をつけたけど、今はそれどころじゃ――」
「リサちゃんの特性、教えたろ?」
「『聖母』、だったかしら?」
「そう」
ドゥームの口調が一際真剣みを帯びる。ドゥームはオシリアを伴って、拠点を歩きながら続きを話した。灯りすらろくにない通路だが、彼らにはそれが心地よい。
「聖母のような人格者には見えないわ」
「それは単なる呼称で、本当の意味で聖母だとは僕も思わないさ。ただあの特性は古い。おそらくは人間の歴史そのものと、同じくらいに」
「特性を持つのがそもそも人間だけ――そう言っていたかしら?」
「正確には、そもそも人間には際立って特性持ちが多いのさ。他の生物でも特性持ちはいるそうだが、人間よりも極めて稀だ。特性ってのは、それだけで大きな身体能力の差や、種族間にある能力の差を埋める。いわゆるズルだね。特性一つで、人間には本来なんともならないはずの相手を倒すことができる。そして桃色の髪の持ち主は、代々一つの特性持ちを表す」
「それが聖母。その特性は、周囲の人間の能力を底上げするのね?」
「その程度なら問題ない。だけど、遺跡から得た知識を改めて整頓していると、どうやらそれだけに限らないことがわかってきた」
ドゥームは遺跡から得た知識をゆっくりと整頓した。遺跡から半ば強制的に落とし込まれた知識はあまりに膨大で、ドゥームはそれを箱にしまうような形で一度保存し、時間があるときに取り出すような形で整頓していた。ここ最近はそれに集中していたせいで、活動が大人しくなっていたという事情もある。
遺跡から得た知識の目的は、オーランゼブルを始めとしたハイエルフ打倒を成し遂げるための知識の収集。その中にリサの特性に関する知識があったのも驚きだったが、その性質を知った時にもっとドゥームは驚いた。
リサの能力は、遺跡すら危険視する能力だったからだ。
「あの能力は、他人の能力を底上げ、開花し、成長率さえも向上させる――つまり、人間という種の限界値を超えてすら、周囲の者を成長させることが可能だ。だからジェイクなんぞが僕に傷をつけることができた。そうじゃなきゃあ、あんなガキはただの夢見がちなスラムの孤児で人生を終えていたはずだからね。それが今や最年少で神殿騎士団の中隊長だ。笑えるだろ?」
「・・・まさか、今のイェーガーの躍進は・・・」
「アルフィリースの指導だけじゃなく、リサちゃんの影響力が日増しに強くなっているんだろうね。もしそれが真実だとしたら、あの傭兵団の行き着く先はどこになるのか。オーランゼブルは自分でも知らないうちに、とんでもないものを相手にしているのかもしれない」
「なら、リサをいち早く殺すべきだわ」
「ところが、そう事情は簡単でもないんだ」
ドゥームは自分の部屋にたどり着くと、そこには不思議な球体が青光りしながらいくつも浮いていた。オシリアはそれらの球体が以前見た時よりも数を増していることに気付いたが、それらが意味することについては何も理解できないでいた。
球体は互いにぶつかり、色を変え、ぽぉんと優し気な音色を奏でながらくすぐったそうに震えていた。それがドゥームが遺跡の最深部で見た光景を自ら再現しようとしている過程であることを、オシリアは知らない。
続く
次回投稿は、2/20(月)6:00です。