大戦の始まり、その20~北部戦線⑧~
「やれよ」
「・・・は?」
レイヤーの歩みが止まる。相当に狡い手を使う奴だと聞いていたのに、思わぬしおらしさ。近づく一歩にも最大の警戒心を込めていたのに、無抵抗では自分の方が悪者ではないか。抵抗した瞬間に斬るつもりでいたのに、無抵抗な者を殺すことに一瞬の躊躇いが生まれてしまった。
それが隙といえるのか、あるいは目の前の2人に集中していたせいか。高まったレイヤーの集中力を上回る一撃を放つのは容易でないからこそ、気配も殺気も薄いその一撃が有効となった。
突然何も「なくなった」と感じた背後に、レイヤーは咄嗟にシェンペェスを突き出した。
「うあっ!?」
「ちっ、勘の良い奴だな。だが期待通りだ」
背後には転移の魔法陣が浮き上がっていた。そこに剣を突っ込んだものだから、出て来る者とぶつかって弾かれたのだ。
中から飛び出たのは魔術を放ちかけたドゥーム。魔術を相殺されてドゥーム自身も傷を負うが、威力の低い魔術の傷などすぐに回復できる。元々レイヤーを傷つけることが目的ではない。ただ反応させることだけが目的だったのだ。殺気を伴う一撃はより大きな反撃を受けるだけだと、ドゥームはティタニアとの手合せで知っていた。
対するレイヤーは威力を殺すことなく吹き飛ばされ、大きくグンツを通り越して着地した。20歩ほどは開いた隙に、ドゥームが短距離転移魔術を発動する。
「あばよ」
「チィ!」
レイヤーの悔しがる表情を見て満足そうにドゥームはほくそ笑み、そのままその場から離れた場所に出現した。まだ先ほどの場所が遠目にほどの距離だが、すぐにばれることはあるまいと考え、ドゥームはミルネーの様子を確認し、まだ息があることに気付いた。
「なんだ、生きているじゃんか。悪運尽きたかと思ったのに、さすがしぶとさだけは一級品。つーか、君たちはそんなに仲が良かったっけ?」
「・・・るせぇ。俺にもよくわからねーんだ」
「まぁ自分の行動が自分でもよくわからないことはあるよね。若いっていいもんだ、青春だねグンツ」
けらけらと笑うドゥームを前に、グンツはミルネーの様子を見ながらその脈が弱くなっていくことに気付いた。
「この歳になって青春も糞もあるかよ。旦那、なんとかならねーのか? こりゃあ流石に死ぬぜ?」
「こんなナリでも君たちよりだいぶ年長なんですけどね。元々ミルネーなんて壊れた玩具なんだし、正直、君ほどの存在意義を感じないから死んでもいいんだけど。助けてほしい?」
「・・・頼むわ」
正直にドゥームに頼むほど愚かしいことはないと考えたグンツだが、素直な要求は口を突いて出た。ドゥームは少し不満そうにしながらも、自らの懐から水薬を取り出し、それをアノーマリーが使っていたような器具に吸い取らせると、ミルネーの首に無造作に打ち込んだ。
ミルネーがびくりと跳ねてその後しばらく何度か痙攣し、そして落ち着く。
「エクスペリオンか?」
「忘れているかもしれないが、今でも定期的に与えているよ? ミルネーの才能はエクスペリオンの大量摂取に耐えられることだ。普通の人間が死ぬ量の千倍にも容易に耐えうる。でなきゃ、そんな才能のない女が仮にも僕たちと行動できるほどの魔王たる格を備えはしないだろう。妄執があると良い魔王になるといっても、熟成にはそれなりに時間がかかるからね」
「・・・これで助かるんだな?」
「多分ね。ただこんな人間を魔王に変える薬にどっぷり浸かって生きているというのを、助かっていると表現するかどうかは別だけど」
グンツがほっとしたような表情となったので、ドゥームが呆れたように息を吐いた。
「グンツがそんな表情をするのを初めて見たね。それはそれで興味深いけど」
「・・・どんな表情だ?」
「子どもか愛しい人でも見るような目だ。僕らのような存在には、一生無縁なはずなんだけど」
「マジか。鏡ねーか、鏡」
「ないよ。まぁ珍しいものを見れたからまぁいいさ。だけどさー」
ドゥームの姿が靄となって急にグンツの息のかかる距離に出現しなおす。思わずのぞき込んだ瞳の奥には、底知れない怒りと怨念が渦巻いていた。
「勝手に諦めて死んだりしたら、永遠に僕の悪霊の列に加わってもらうよ? 僕が満足するまで遊ぶのは、仲間となった君たちの義務だ。いいかい?」
「・・・了解だ、旦那。それが契約だもんな」
「わかればいいのさ、わかれば。それで――うん?」
思わずレイヤーがいた方向を見つめたドゥームが唸った。突然消えた自分たちを捜してまごつく間抜けっぷりを観察してから帰ろうと思っていたのに、その姿がいつの間にか消えていた。
そして今度はドゥームが背後に悪霊の槍を突き出した。だがそれはなにも捉えることはなく、ドゥームはレイヤーにすれ違いざまに袈裟掛けに斬られていた。
続く
次回投稿は、12/16(木)6:00です。