大戦の始まり、その18~北部戦線⑥~
困ったように眉をひそめたリディルの表情を見て、蛇竜ネフェニーが提案をする。リディルの指がぴくりと動き、剣の柄に手をかけようとしたからだ。
「なら、交渉のための手札が必要よね?」
「それはそうだが、我々に何の手札が?」
「こういうのはどうかしら?」
ネフェニーが幻身で人間の姿に変身する。ネフェニーだけでなく、知恵ある竜の中には他にも幻身できる個体がいるが、ほとんどの竜は人間などに幻身することを嫌っていた。躊躇いなく、そして即座に幻身できるところからも、ネフェニーは人間の姿に幻身することに慣れているのだと他の竜たちは察した。
美しく、艶やかな人間の姿に幻身したネフェニーはリディルに提案した。
「我々のうち、何体かがあの傭兵団に協力する。上手くいけばスパイだけど、もちろん人質の扱いを受けるかもしれないし、屈辱的な扱いを受けるかもしれない。それでもいい者は同行しない? そうね、3体もいれば戦力としては交渉できると思うけど」
「馬鹿な、人間と共に暮らすだと? そんなことができるわけ――」
「天空竜と旋空竜」
ネフェニーがマイアとラキアの名を出す。その意味を知らぬ者はここにはいない。
「あのイェーガーに所属しているそうよ? それどころかグウェンドルフの加護もあるとか」
「馬鹿な! あの誇り高い真竜が協力するだと?」
「だからといって我々が従う必要はないが――」
「興味深くはあるでしょう?」
屍竜レギレンドの言葉に反応したネフェニーの言葉に、何体かの竜が頷く。ネフェニーは企み深く笑いながらも、彼らの前でくるりと楽しそうに回って見せた。
「もちろん竜の巣に戻ってもいい。肥沃な大地という理想郷を目指してもいい。だけど、選択肢がそれだけである必要はない。どのみち大地は人間であふれかえっているし、我々がまるごと住めるほどの辺境には、我々をもしのぐ強力な魔獣や神獣が大抵存在するわ。どの土地にいっても諍いが起きるのなら、人の世に溶け込むのも一手。そのとっかかりを探りに行くのは、悪い事ではないはず。違うかしら?」
「・・・」
知恵ある竜たちの反論はなかった。彼らは互いに顔を見合わせながら、ネフェニーの思想に合意した者が何体か幻身を行った。そしてリディルも少し驚きながら、ネフェニーの方を見た。
「心配しないで、主。きっとうまくやってみせるわ」
「それはいいが・・・何を企んでいる?」
「いやぁね、そんなに信用ないの?」
「信用はない。だが信用するしかないのだろう?」
「わかっているじゃない」
ネフェニーは蛇の下を思わせる二股の下をちろりとのぞかせ、企み深く笑って返した。
***
「おい、こりゃあどうなってんだ?」
「私に聞くな」
「竜ども、イェーガーと和平を結びやがった」
リディルとラインがそれぞれの代表を引き連れ交渉する様子を、遠目にグンツとミルネーが眺めながら、呆然としていた。
「何のためにここまでお膳立てしたんだぁ? あいつらの進路で襲ってもいいような町を残し、食料を選び、水を確保し・・・どれだけ俺が苦労したと?」
「何を言う、準備をしたのはほとんど私ではないか。お前はついでに住民を襲っていただけだろう?」
「うるせー」
グンツが不貞腐れるように寝転んだのを、呆れるようにミルネーが横目で見てため息をついた。
「まぁ、全て無駄になったな。まさかイェーガーにここまでの戦力があるとは思わなかった」
「ドゥームの想定じゃ、イェーガーやアルネルアが出てくる可能性はあるが、アレクサンドリアまでは竜たちは到達するってことだったよな? こうなった場合、次はどうしたらいいんだ?」
「知らんよ。我々はどちらも頭がよくない。余計なことを考えずに、ドゥームにさっさと連絡をしたらどうだ」
「お前がしろよ、面倒くせぇ」
「私はドゥームと連絡する方法を知らん」
ミルネーがぷいっと横を向いたので、グンツはそれを見て小馬鹿にしたように笑った。
「ははっ。お前、仲間と思われてねぇんじゃないの?」
「だろうな。奴にとって私は壊れかけの玩具以上の価値はなかろう。私もあいつを仲間と思ってはいないしな。あんな悪霊の趣味嗜好など、一つも理解できそうにない」
「俺にとっちゃあ結構いい旦那なんだけどな。お前、なんであいつの言うことに従ってんだよ?」
「お前じゃない、ミルネーだ。それでも死にかけの所を助けてもらった恩はある。そのくらいは返してから去るつもりだ」
「はっ、義理堅いこって」
グンツが馬鹿にしたように笑って背を向けたが、ミルネーは真面目に会談の様子を観察していた。かなり遠くから眺めているので、見つかることはないだろう。しばらくして退屈したグンツがミルネーに質問する。
「よぅ、お前。その糞真面目っぷりとくらぁ、そういやどこかの武家の家系だったな? どこの出身だよ?」
「だからお前じゃない、ミルネーだ。カイアス公国のサバラモント伯爵家だ」
「それ、俺でも知ってくらいの家柄じゃねーの。なんで傭兵なんぞになったよ?」
「姉上たちが美しくてな。政略結婚に使われるのは姉上で十分だったし、養子縁組で取られる年齢も過ぎていた。割と自由に育ててもらったが、無駄に勝気な性格だったせいで、衝突は多かったと思う。騎士としての叙勲も受けたが、兄上たちが優秀でそれには及ばず。女は余程優秀でないと、騎士としては出世できぬ。公女殿下の親衛隊になる話もあったが、粗野な性格が災いして合わなかった。今ではもったいないことをしたと思っている」
「冷静に分析できてるじゃねーの。その謙虚さが10年前にあればなぁ?」
「貴様に同意するのは癪だが、その通りだ。今ならアルフィリースの言ったことがよくわかる気がする」
ミルネーがふっと遠い目になったので、グンツはまずいことを聞いたかと、渋い表情になった。ミルネーに配慮したのではない。辛気臭い話が嫌いなだけなのだ。
だがそんなグンツに気付くことなく、ミルネーは独り言のように続けた。
続く
次回投稿は、12/12(日)6:00です。