大戦の始まり、その12~西部戦線⑨~
「ジェイク中隊長、報告をよろしいでしょうか」
「デュートヒルデ支援隊長補佐か、なんだろう」
グローリアの同級生、『くるくる』ことデュートヒルデ=オルフェリア=リヒテンシュタイン公爵令嬢は、ジェイク率いる中隊の支援隊長補佐を務めていた。
年若く実績もない彼女がこの立場に抜擢されるのはひとえに家柄のおかげだが、彼女は学園でのジェイクが知る彼女とは違い、文句の一つも述べることなく献身的に負傷者の手当てにあたっていた。
夜の番も嫌がらず、怪我人が苦痛を訴えれば駆けて行き、重労働にも耐えた。支援隊長は神殿騎士団のシスターだが、その彼女をしてよくやっていると褒めるほどには。ジェイクとしては労いの一つでもかけてやりたいところだが、本人を目の前にするとどうも調子が狂うのだ。
デュートヒルデはあえて半身となり表情を見せようとしないジェイクに向けて、真摯な瞳で述べた。
「長雨になりそうだと風水士が申しておりました。天幕の数が足りませんが負傷者を風雨に晒すわけにもいかないため、我々の天幕を貸し出すつもりでいます。よろしいでしょうか」
「君たちの分はどうする?」
「許可をいただければ、予備の衣服を縫い合わせ臨時の天幕といたします」
「近くの民家を貸し出してくれないかと頼んでいる。許可がおりればそちらも使おう。数日もすれば予備の天幕も届くはずだ。だが無理に接収するわけにもいかない。しばらく不便をかけるかもしれないが、我慢してくれ」
「もちろんですわ。人員の追加ももうすぐですし」
「いや、おそらくそれはない」
「え?」
デュートヒルデの表情が強張った。半数近くの兵員がここで交代となるはずで、ターラムや周辺のアルネリア支部で休息をとる予定だった。当然、デュートヒルデもその予定だったのだが、ジェイクは彼女の期待を打ち砕く発言をせざるをえなかった。
「期待に沿えなくて申し訳ないが、中隊長以上の連絡会で通達があった。大陸各所で起きた一斉蜂起の鎮圧に向けて、こちらからも戦力を割くそうだ。そのため交代はしばらくないと思った方がいいだろう。耐える時間が長くなりそうだから、あまり無理をしないでほしい。必要な支援物資は随時追加させる」
「どのくらいの期間でしょうか」
「少なくとも冬まで。長ければ春が来るまで交代が来ない可能性もある」
ジェイクは連絡会で告げられた通りのことを隠さず述べた。彼女には誠実であった方がよいと思ったし、正直に告げて不満や体調不良がある者はグローリアに帰すという選択肢もあったからだ。
もちろん現場の負担は増えるが、そのくらいの権利と権力は自分も有しているとジェイクは考えた。どう考えても学生が経験するには規模も意義も大きすぎる戦いで、そして何より嫌な予感しかしない。これからが本番になるというのなら、少なくとも自衛の手段や覚悟すら持たない者は、離脱させるべきだと考えていた。
「と、いうことだ。戦いの規模が大きくなれば、我々だけではどうにもならない負傷者も増えるだろう。政治的な判断も絡めば、我々がここにいてはならない可能性も出てくるだろう。それ以上に戦火がここまで及べば、意地を張ってここに留まる必要はなくなるかもしれない」
「・・・それは中隊長のご意見でしょうか」
「そう思ってくれて結構だ」
「よければ根拠を聞かせていただけますか?」
当然だが、デュートヒルデの祖国であるリストリア公国も出兵している。かの国はアレクサンドリアと並ぶほどに歴史が古く、アルネリアとも懇意にしている。リヒテンシュタイン公爵家は武家ではないため直接の肉親が出兵しているわけではないそうだが、降家した一族の者は何名か戦場に赴いたようだった。デュートヒルデが心配でないわけがない。
いたずらに不安を煽るのは感心しないことだが、ジェイクはそれでも隠さず述べた。
「あくまで俺の勘だ。そのつもりで聞いてくれ」
「はい」
「・・・首筋がちりちりするんだ」
「首筋が、ですか?」
「そうだ。戦場にいて強敵と相対する時、部隊が危険な目に遭う時。恐れではなく、経験として同じような感触を何度も味わっている。そして、それが日に日に強くなる。この戦いは荒れる。きっとこの程度では終わらない」
「それは確信ですね?」
「俺はそう思っている。だから最優先すべきは自らの命だ。それを間違えないように」
「わかりました、信じます。そのつもりでいるように、皆には心構えを説いておきましょう」
デュートヒルデがあっさりと頷いたので、ジェイクはついにびっくりして目を丸くしてしまった。
逆にデュートヒルデが不思議そうな表情となる。
「隊長、何か?」
「いやにあっさりと信じるなぁって・・・」
「口調が素ですわ、隊長」
「あ、いや、すまない」
取り繕うジェイクに、デュートヒルデが溜め息をついた。
「我々の負担は小さい方で。ネリィほどでの才能はありませんから」
「ネリィが? どうした?」
「ジェイクさん、まさか知らないのですか?」
呆れたついでに、デュートヒルデも素の口調となる。
「ネリィは聖属性の魔術の使い手としては、ここ数十年で一番と言われていますわ。既に配置されている正規のシスターの誰よりも高位の魔術を行使できますの。噂では五人と使い手のいない、範囲回復魔術である回復魔法陣の使い手でもありますわ。切断肢をつなげることはできないけど、それ以外の傷ならほとんど一人でなんとかしてしまうくらいの使い手ですの」
「知らなかった・・・あいつ、何も言わないから」
「負担をかけたくないのですわ。本来なら前線に赴くはずの貴方を後方支援に引き留めているのは我々だと、鈍くない者は全員理解していますわ。特別扱いする必要はありませんけど、幼馴染みの妹分でしょう? 声くらいかけておあげなさいな」
「そうだな・・・ネリィに変わった様子はなかったか?」
ジェイクの問いかけに、デュートヒルデは一瞬戸惑った。ネリィがドーラを好いていたことは誰しも知っている。だが彼が黒の魔術士の手先であり、アルネリアの門衛たちを何人も斬り捨てて逃走したこと、そしてクルーダスを殺したことを同時に忘れている者は一人もいない。
それを知ったネリィの失意は誰が見ても痛ましいほどだった。同時に、ネリィがドーラの居場所を失くした運命と、そしてアルネリアに対する呪いの言葉を吐いたことは身近な女子数名しか知らないことだった。
そして彼女はドーラのことを忘れるように勉学と魔術の研鑽に明け暮れ――聖属性の回復魔術の継承儀式にまでこぎつけ、そして習得に成功した。それからの彼女の活躍が、今である。それからあまり笑わなくなったことも、滅多にお茶会に来なくなったことも、デュートヒルデはロッテと共に心配していたが、何かに打ち込むことでつらい記憶を打ち消せるならそれはそれで――と思っていたのだが。
少なくとも、今ジェイクにそれらの事実を伝えるべきではないと、デュートヒルデは考えた。
「なくはありませんが・・・今は気にかけるべきではないでしょう。それよりも、いち部下として彼女の疲労度を気にかけてあげてください」
「了解した。忠告、痛み入る」
騎士然とした口調に戻ったジェイクの口調と整った礼の美しさに、デュートヒルデの顔がさっと上気する。ジェイクが目を伏せていなければ、顔を見られるところだった。
デュートヒルデは顔を背けながらぱたぱたと走り出した。
「で、では私は仕事に戻りますわね! ごきげん、よろしゅうあそばせ!」
「ああ・・・変な口調」
ジェイクがぽそりと呟くと、デュートヒルデが人足の運ぶ木材に額をぶつけてこけた。互いに詫びながらやり取りをする様子を見てふっと笑ったジェイクは、なんだか随分と久しぶりに笑った気がしていた。
続く
次回投稿は、11/30(火)7:00です。