大戦の始まり、その10~東部戦線②~
「精霊騎士は殺した方が、大地にとっては得だ」
「は? なんですって?」
「その精霊騎士の存在した年数が長いほど、溜め込んだマナが大地に還元される。なにせ、その上位精霊ごと大地に還るのだそうだ。骨一つ残らず、塵となった後も役に立つのさ。私が死ねば、おそらくはその近隣の土地は向こう50年は大豊作だろう。ひょっとすると、アレクサンドリア以上に広範の土地――大陸東側が全てそうなるかもしれない」
「そんなに・・・」
「ピグノムに聞いただけさ。そのピグノムとても、精霊たちの中の言い伝えから得た知識らしい。私も他の精霊騎士に――ましてその死に際に立ち会ったことはないのだから。ただグレーストーン近辺の活火山は、炎の精霊騎士の死によるものだという言い伝えはあるがな」
ディオーレもこれ以上は知らないとばかりに両手を広げてみせた。ミランダも長い人生の中で、精霊騎士と間近に接して会話するのはディオーレくらいで、その多くは大戦期に死んだと言われている。ひょっとすると知られることなく存命しているような者もいるのかもしれないが、ミランダの知るところではない。
だがこの知識を他の者が知ったら。特に土地の不作にあえぐ土地では、ディオーレのことを何としても殺害しようと考える者まで出てくる可能性はある。
ディオーレは自らのことを、冷たく言い放った。
「と、言うわけだ。精霊騎士など死んだ方がいい。そう考えている輩がいないとも限らんな」
「そんな・・・」
「何もおかしくはない。アレクサンドリアの土地は徐々に枯れつつある。気付いているだろうか?」
「え?」
「アレクサンドリアに限らず、大陸東側の土地は全てそうだ。増える人口、それに追いつかない開墾、農業政策。私は200年生きていてアレクサンドリアの内政にも関わっているから、国内の農作物の収穫状況はおおよそ頭に入っている。かつて中心だった穀倉地帯は、今はほとんど使い物にならなくなった。現在、農作物を収穫している土地は全てこの100年で開墾した土地だが、それでも少しずつ収穫が減っている。このことに気付いている者は内政に携わる一部の大臣だけだろうが、その中心がバロテリ公だった。次代の内政について、もっとも見識豊かな者だったはずなのだがな。近年、アレクサンドリアが他国の内乱の鎮圧に関わったものも、その多くは不作が原因の反乱だ。バロテリ公は、その研究と他国の事情を一手に引き受けていた」
「そのバロテリ公が、亡くなった」
「アレクサンドリアは国として詰みかけている。この流れを起こした者が、黒の魔術士でないとなぜ言える? そしてドライアン王やミューゼ殿下とも話してみてわかったが、あらゆる国で妙な反乱や戦乱が多すぎる。これは以前他国との協議に参加した参加した数十年前ではなかったことだ。アルフィリースが明確に黒の魔術士と戦っていなければ、誰もその危険性と存在に気付かなかったろうな。聞けば、オーランゼブルなる者を見て生きている人間は、アルフィリースとその仲間だけではないのか? 私も黒の魔術士なる存在を知らなければ、反乱を思い立たなかったろう」
「それは・・・そうかも」
「ミランダ大司教。アルネリアの大司教であるそなたとして以上に、アルフィリースの友人であり、旅を共にしたそなたに問う。アレクサンドリアの中に黒の魔術士の一党がいる可能性が非常に高い場合、私の反乱は不穏当だと言えるかね?」
ディオーレの言葉に、ミランダは詰まった。もしディオーレの言い分が正当なら、アルネリアはディオーレに肩入れする必要すらあるように感じさえする。
戦の仲裁に来たつもりが、とんだ話を聞かされてミランダは項垂れた。この戦を止めることはできない。止めてはいけない気さえする。そして、どちらかを援助することすらできなくなったろう。
ディオーレはミランダの肩に優しく手を置いた。
「ミランダ大司教よ、本来なら貴殿は国としてのアレクサンドリアを援護する義務があるだろう。アレクサンドリアはその成立からアルネリアと深く関わってきた国だ。共に立ち上がり魔王と戦い、初代の王はアルネリアの聖女の元で学んだとすら記録にある。だから私もアルネリアとことを構えたくはない。だからせめて我々の邪魔をしてくれるな」
「・・・アルネリアは、アレクサンドリアそのものと契約をしている。契約はいかなる条件があろうとも、不履行にされることはない。そうでなくては契約の意味がない」
「そうか、残念だ」
「だけど、契約が執行されるまでには猶予があって当然でしょう。アタシたちは停戦を呼びかけ続けるけど、それにディオーレ率いる反乱軍が応じるかどうかは不明だわ。そして同時多発的に起きている反乱によって、アルネリアの対応力が飽和状態になれば、当然神殿騎士団も周辺騎士団も機能不全に陥るでしょう。アタシたちも、これほどの戦は経験しなくなって久しい。指揮官の数が足りないという台所事情もあったりする。あ、これは秘密で」
「ほう、それはいいことを聞いた」
ディオーレがにまりと企み深く笑った。そしてキャビネットから葡萄酒を取り出すと、グラスを2つ用意した。
「飲むか? ここの領主が置いていたものだが、中々の値打ちものだ」
「いや、さすがにそんな気分じゃ――いえ、やはりいただくわ」
ディオーレの意図を察したミランダが、懐から停戦の合意を得るための書簡を取り出した。そして目の前に置かれた停戦の合意書の傍で、わざとらしくディオーレが酒瓶をぶちまけたのだ。そしてミランダもまた、その酒瓶を拾おうともしない。
「あああ、大変! 同意書の内容を説明する前に、葡萄酒で合意書が真っ赤に!」
「なんということだ、これでは同意書にサインしようもない! しかも内容の再確認もできないぞ!」
「急いでここに来たから、アルネリアの正式な印璽もないわ。あら、懐にあるこれはなにかしら?」
ミランダが取り出した印璽を思い切り握り込み、べきりという音とともに破損させた。
「大変! 複製はあったけど壊れているみたい。きっと強行軍のせいね! 懐で蒸れて、転んだ時に壊れていたんだわ、きっと!」
「それは残念だ。新たな合意書を作成し、印璽を押して持ってくるまでにどのくらい時間がかかるんだ?」
「飛竜で急いだとしても、往復一月近く。だけど途中で周辺の状況も確認したりするから、三か月はかかるかもしれないわ」
「三か月か・・・反乱の決着がついているかもしれないな」
「そうなったらせっかく書類を作っても無駄になるのね・・・いっそ作るのを止めようかしら?」
「おいおい、停戦の調停をしてくれないのか?」
「だって、面倒なんだもの」
「本音が出過ぎだ」
そこまで茶番を演じ合って、2人は盛大に笑い合った。何事かと外で控えていたアルベルトやアレクサンドリアの騎士が入ってきたが、そこには珍しく涙を流して笑うディオーレと、肩を抱き合って笑うミランダがいた。
何が起きたかを彼らには理解できなかったが、会談がまずい方向で終わったわけではなさそうなことだけは理解できた。アルベルトは薄く笑い、アレクサンドリアの騎士たちは互いに顔を見合わせて、不思議そうに首をかしげていた。
***
「で、実際のところはいかがだったのですか?」
「何が?」
「ディオーレ殿です。脅威ですか?」
「ああ、いたってまともに苦しんでいたわね。正気も正気、おかしいのはアレクサンドリア本国の方で決定」
ミランダはディオーレとの会見後、その仲裁の失敗したことをアレクサンドリアに詫びに向かった。ディオーレと直接会ったことで結論はもう出ていたのだが、最低限の義務を果たそうとしたのである。
だがすげなく面会の申し出は断られた。アルネリアの大司教が直接出向いたのにそれを門前払いにするとは驚きだが、ミランダにとっては手間が省けたので、これ幸いとばかりに嫌味を盛大に並べ立て、取り次いだアレクサンドリアの文官が呆然とする間にその場を辞した。
今は後を追われないように、飛竜でさっさとお暇しているところだった。
続く
次回投稿は、11/26(金)8:00です。