大戦の始まり、その8~西部戦線⑧~
「だから、ここでもう一つなのだ。我々は相手も想定しない愚策にしか見えない無茶な作戦を立て、それを確実に完璧に仕立て上げて遂行することが肝要だとかの女傭兵は告げた。その策を完遂できるかどうかで、全ては決まるだろうと」
「愚策にしか見えない作戦ですと? それはいったい?」
「兵を分ける。ロッハ、ロンはヴァーゴとバハイアを連れてグルーザルドに戻れ。そして通り道で転身してクルムスに加勢し、トラガスロンの遠征軍を潰せ。必要なら攻め滅ぼしてしまって構わん。ここには俺とチェリオ、リュンカ、カプル、そして5000の兵だけ残せ」
「そ、そんなことをすれば我が国の首都グランバレーが陥落してしまいます! ドリストルとの間にはまともな防衛ができる土地などはないのですよ? それは25000もあればトラガスロンを落とすことも可能かもしれませんが、5000の兵で王は何ができるのです!?」
ロンの訴えにも、ドライアンはかぶりを振った。
「ロン、それは前提が違う。我々に首都など本来はない。民がいるところが国であり、グランバレーはたまたま人が集まっただけだ。俺はそれらを守るための装置に過ぎない。いざとなれば首都など捨てればよいのだ、民と兵が生きていれば、なんとでもなる。人間のように土地にこだわる必要なぞない」
「ですが、国としての体面というものが」
「それこそ無用だ。おそらくは、そういう戦にはならない。捨てるもの、残すものを間違えると、それこそ奴らの思い通りになってしまう。俺はグルーザルドにはしばらく帰れぬ。お前たちに任せる。いいな?」
ドライアンが言い含めたことに対し、ロッハが確認する。
「王はこのままここに残られるので?」
「見届けてほしいとのことだ。最後の最後で、俺の力が必要になるかもしれないと」
「それもあの女傭兵ですか」
「そうだ」
アルフィリースの言を信じているドライアンにロンは言葉に詰まったが、カプルは逆に冷静にドライアンに尋ねた。
「随分とあの女傭兵を気に入られたようで」
「そうだな、かつて共に旅をしたラペンティをはじめとした仲間ほどには気に入っている。あの頃は次に待ち受ける光景に日々胸が躍ったものだが、それに近い感覚だ。どうやら俺の感情はまだ錆びておらぬらしい」
「見通しはあるので?」
「案ずるな、無謀はせぬ。俺の勘が告げるのだ、この方法が一番勝ち筋があると。先のオーク共の戦いでも、あの女の戦い方は見ただろう。信じろ」
「そういえば、我々の前で啖呵を切ったあの副長が大人しく従っている相手ですからね。それだけでも信じる価値はありそうですが」
「ロッハはあの男をかっているからな」
「それは、まぁ」
ドライアンの指摘に肩を竦めるロッハ。そしてロンの肩をカプルが叩いた。
「諦めるがいい、宰相。王は一度言い出したら聞かぬ。そしてそんな王に我々は従い、ここまで来たのだ。此度もそうするしかない」
「それはゼルドス殿がいた頃の話。我々だけで無謀な賭けに出るのは、両輪のない馬車に乗るようなもの。どこに向かうことやら」
「それを楽しめるようでなければな」
「知っておりますが、せめて転倒だけは避けたいものですな」
ロンは盛大なため息とともに諦めたように項垂れた。そしてドライアンの天幕を出ると、ロンが口を開いた。
「王にも困ったものですな。もう少し事前に心構えと準備をさせてほしいものです」
「だが無茶は言うが、無理を言う御方ではない。貴殿の頭の中では既に撤退の準備が始まっているのだろう?」
「ええ、もちろん。軍を分割するのなら残す方を少数に、とは思っていましたが。5000とは思い切りました。ただ、一つだけわかったことが」
「なんだ?」
「5000という数は、事前に準備できた寒冷装備の数です。王は冬をローマンズランドで越すつもりですよ」
「ローマンズランドの極寒と戦うのか?」
「まぁそうでしょう。レイファン殿下が協力して準備したものですが、そこまで戦いが長期化したことを見込んでいたのでしょうが、アルフィリース殿の意見があったとすると、最初から考えていたのかもしれませんね・・・おや?」
ロンが陣中を行く黒衣の人間を見た。遠目にてロンの瞳には定かではないが、カプルの視力なら問題なく捉えられたようだ。
「あれは・・・ブラックホークでしょうか。シェーンセレノ側にいるのですか?」
「聞けば、ブラックホークは全体を部隊ごとに分けて活動しているようだ。ローマンズランド側とは雇用契約を結んでいないようだが、シェーンセレノ側には何部隊かいるようだな。さほどおかしなことでもあるまい」
「我々もゼルドスと雇用契約を結んでいますし、諜報部隊として一番隊も雇い入れましたが・・・あれはどこの部隊でしょうか?」
「ふむ、あまり見たことがない部隊じゃな。人間の顔はさほど違いなく見えるからのぅ」
「それは時代遅れですよ、カプル老。最近の人間は我々の美醜すら見分けますから。もっともその基準は少々違うようですが」
「獣人と近い町では人間との混血も増えているようじゃしのぅ。時代は変わるものじゃ」
カプルとロッハはそのまま雑談を始めたが、ロンは彼らが向かっているのはシェーンセレノの天幕のような気がしたので、しばし視線で追っていた。
シェーンセレノは情報にも財力にも長けており、軍の装備も申し分がない。強いて言うなら威武が足りないと思っていたのだが、先ほどの天幕にいたのはいずれもかなりの腕前の騎士たちだった。おそらくはあの場で流血沙汰になっても、シェーンセレノを逃がすことくらいはできそうなほどの、圧を感じたのだ。自分たちを相手にそう感じさせるとなると、人間の中では相当な腕前になるはずだが、シェーンセレノがそれほどの騎士を抱えていたのかと今更疑問に思った。
その彼女がブラックホークを雇う意味は何なのか。ロンは考えようとしてその材料が足りないことに気付き、かつてアムールが提案し、アルフィリースが現在運用しているような諜報部隊の数が足りないことを嘆いたのだった。
***
「物資の流れを見ていれば、想像はつきました」
一部隊を残して撤退を始めるグルーザルド軍の報告を受けて、アルフィリースはローマンズランドの諸将に説明した。
ザガリアがグルーザルドに討たれ、地上部隊が壊滅したと聞いて慌てる将軍たちに向けて、アルフィリースは冷静に言い放った。グルーザルドはもうすぐ主戦力が撤退し、さほど脅威にならなくなると。その根拠はと問われ、グルーザルド近隣で戦乱が起きると言い放った。
アルフィリースと懇意にするフェニクス商会、その主要取引は衣食住に関連する品目が多い。特に戦支度ともなれば保存のきく食料や天幕は必須であり、大規模な戦では必ず国が大量に買い付ける。
今回さほど大きな買い付けはなかったのだが、アルフィリースはここ10年の商品の流れをジェシアと確認し、戦が起こせそうなだけの備蓄をしている国を列挙していた。そして同様の情報は大陸平和会議の段階でドライアン、レイファン、ミューゼと共有。最悪の想定として、合従軍を興した隙に諸国が戦争を起こすことを想定した。
特にトラガスロン、ドリストルなどは申し訳程度の出兵しかしていないことからも、何かを企んでいる可能性はあり、予め警戒していた。
「武器の流れを見ていれば、より確実にわかることだな」
ウィスパーがアルフィリースの天幕で告げた。諸将に説明をして一度自らの天幕に戻ったアルフィリースに、ウィスパーが補足した。アルフィリースはウィスパーと協力関係を結んだ段階で、情報の裏を取っていたことだ。
アルマスの統率を取るウィスパーだが、通常状態では事細かに命令することはなく、おおよそそれぞれの部門や傘下の商会に運営を任せて利益を上げさせているらしい。その報告は逐次上がってくるため、どの地域でどのくらい利益があがり、武器が流通しているかを見れば、次に戦が起こるのはどこかなどは報告がなくとも一目瞭然だそうだ。
アルフィリースの読みはおおよそ当たっており、南ではグルーザルドの留守を狙った挙兵が。東側の諸国では、地方領主の小規模反乱が乱発していた。同時に、魔王らしき個体を中心とした、小規模から中規模の魔物の襲撃が頻発。東側の諸国は大混乱となっており、それぞれが合従軍どころではなくなりつつあった。
その諸侯を諫めたのは、他でもないシェーンセレノ。ここで諸侯が慌てて撤退すればローマンズランドの思うつぼであり、魔物の発生にはアルネリアが対処すべきであるし、地方領主の反乱程度であればほとんどの国に対処する戦力は残しているはずだとして、自分たちは目の前のローマンズランドに集中するべきだと説いた。
その説明になんら間違っていることはないと、同席したエルザやアリストでさえ思ったが、いやにシェーンセレノが乗り気なのが気になるところではあった。
だが反論すべき明確な欠点もないため、エルザはミランダの代理として諸侯の国で発生した魔物の調査に人員を割くことを了承せざるをえなくなり、アルネリアの現在の戦力の半数を割いてそちらにあてることとした。この結果、合従軍はほぼシェーンセレノに付き従う諸侯で固められ、シェーンセレノの軍隊と言っても過言ではない集団へと変貌した。
一方ローマンズランドは――
「撤退しましょう」
アルフィリースの献策は、人的損害の少ない撤退だった。ただし、撤退の過程で周辺の町や村にはすべて火をかけ、家屋ごと焼き払った。そして砦は徹底的にうち壊した。各所で散発的に戦闘は起こったが、それも被害が広がるほどではなく、あくまで撤退や土地の廃棄が進むまでの時間稼ぎだった。
さらに流民は増え、南方へと多くは流れていった。それらの流れはアルフィリースが誘導もしたが、多くは自発的に南へと向かった。ローマンズランドの食糧事情が芳しくないことを、彼らは知っているのだろう。
そんなことをやりつつも和平の使者が互いの陣地を行き来したが、話はいつまでたっても平行線のまま互いに歩み寄ることなく、時間だけがただ過ぎていった。唯一互いに一致しているのは、そんな使者は形ばかりで何の意味もないことを理解していることか。
その間、アルフィリースは空を見ることが増えた。最初は息抜きだろうとリサは思っていたが、その表情は日に日に険しくなっている。周囲の森は徐々に緑の葉の数を減らし、風は冷たさを含み始めていた。盛夏は既に過ぎ、秋の到来が近づいている証拠だった。ただし、ローマンズランドの秋は落葉だけで、葉の色が変化することはなく殺風景な光景が少しずつ広がっていくだけだった。
「・・・よくないわね」
「何がよくないのです?」
草原のただなか、空を見上げるアルフィリースの傍で、護衛と連絡役を兼ねるリサが尋ねる。アルフィリースはその質問には答えず、クローゼスを呼ぶようにリサに伝えた。リサも一礼をしてそれに応じる。
まもなくクローゼスが来ると、アルフィリースは空を指差した。
続く
次回投稿は、11/22(火)8:00です。