大戦の始まり、その5~西部戦線⑤~
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そのあとのアルフィリースの行動は早かった。そもそもブラウガルドとの何度かの面会を通して、北部商業連合の接収はある程度決まっていたことだった。ただその体面に難色を示していたブラウガルドだったが、アルフィリースが勝手にやったことにすればよいだろうとして説得し、事前に許可を得ることに成功した。
下手をすれば汚名を一手に引き受けることになるアルフィリースだが、そのあたりの下準備も抜け目がない。周辺の流民に対しては自らの食料などから手厚く彼らを保護し、仕事を欲しがる者には仕事を与え、そしてターラムやそれ以南の都市で受け入れられるように手配した。
繰り返す魔王の専横で人がいなくなった土地も点在している。それらの場所に移民として彼らを受け入れさせることを、予めミランダとアルフィリースは検討していた。
それらの手筈が徐さらにアルフィリースの名声を高めていくのだが、アルフィリースはさらに実利をとるために動いた。6人の会頭の一人、ルングと面会していたのだ。
「即座にお会いいただき、光栄ですわ会頭」
「・・・またそなたか」
ルングの父は元大草原の部族出身らしいのだが、勢力争いに敗れて大草原を脱出。その武力と知識で成り上がった男の二代目だった。浅黒い肌は砂漠の民を思わせたが、混血のためどこの民族ということはなく、ただ猛禽のような目がただの商人ではないことを連想させる男だった。
だが厳しく苛烈なだけではなく、自らが流民だった経緯もあるせいか、他人は生かして使う方針の男だった。アルフィリースが流民の対策を持ちかけた時も、この男だけは誠実な対応をしていた。ただ、アルフィリースに良い印象は抱いていないようでもある。
アルフィリースがむくれるように頬を膨らまし、隣のシャイアがそれは失礼ではないだろうといった窘めるような視線をアルフィリースに向けていた。
「そんな厄介者のような扱いをされなくても」
「事実、厄介者だとは思うが」
「まっ! 今回はちゃんと利になる話です!」
「前回は違ったのか・・・」
ルングが呆れたように頭を抑えたが、アルフィリースはさも当然のように言い放った。
「流民の保護は益にもならず、厄介でしかない。違いますか?」
「・・・人によるだろう」
「そうですね、あるいは保護の仕方にもよるでしょうか。正当な仕事と対価を準備できれば格安の労働力にはなりますが、そこまで長期的に考えて利益を確保するのはかなり困難と下準備が伴います。そして流民は突発的に発生するものであれば、多くの為政者にとっては迷惑にしかならないかと」
「はっきり申し過ぎだ、そなた」
「流民の経験がある会頭なら、実感を伴うのでは?」
挑発的とも取れる発言に、ルングの目つきが一層鋭くなる。シャイアなどは気圧されて、出された茶を思わずすべて飲み干してしまった。
アルフィリースはその隣で優雅に茶を啜っているのが小憎らしい。
「まぁそう怒らずとも、会頭」
「・・・そなたの手管はわかっている。相手の冷静さを失わせてから、自分の調子に持ち込むのだ。戦いでもそうなのか?」
「まぁ、割と。楽に勝てるにこしたことはないですから。そして対等にこれからのことを語らうのなら、怒りなんかの感情に左右されない相手がいい」
いけしゃあしゃあと語るアルフィリースに、いつの間にか自分が試される立場にあると感じたルングは長く息を吐いた。たしかに、今をときめく傭兵団の団長はこのくらい図抜けていなければ務まらないかとも思う。
「では聞こう。我々の利とはなんだ?」
「そうですね・・・そろそろかな。シャイア」
「はい」
シャイアは突然後転してソファーを登り降りると、すたすたと歩いて窓を開け放った。すると見晴らしのよいバルコニーには、夜空に幾筋もの煙を伴って赤く燃え上がる自由都市が出現していた。
これにはさしものルングも、持っていたティーカップを落とさざるをえなかった。
「なっ・・・これをやったのは、貴様たちか!?」
「むしろ、こんなことをする大胆不敵な輩が他にいれば会ってみたいです」
「自分で言うな! なんてことをする、ここは自治を保障された自由都市だぞ! こんなことをすれば貴様たちを受け入れる都市など――」
「そうでしょうか? 受け入れられないのは、北部商業連合とイェーガー。どちらでしょうか? 本当に大陸各所で必要とされているのがどちらか、試してみますか?」
赤く燃える都市を背景に凄むアルフィリースには、とても20歳そこそことは思えないほどの威圧感があった。その自信と、おそらくはアルフィリースの言う通りになるのであろう事実に、思わずルングはごくりと唾を飲む。この女傭兵と交渉をしたのは一月前にもならぬほどだが、その間にも随分と見違えつつある。この女傭兵は、今まさに化けようとしている最中なのだとルングは気付いた。
その心の隙を突くように、アルフィリースが身を乗り出した。
「さて、ルング会頭。わかっていると思いますが、この行動は『今のところ』私が勝手にやっています。なので、火を止めるも広げるのも私の意のままです。ですが、私の思い通りにならないとなると、さらに火種をどこかから借りてこないといけません。その時上がる火の大きさは、今とは比較にならないでしょう」
「・・・ローマンズランドが介入してくると言いたいのか」
ルングの言葉に、アルフィリースは困ったように首を捻るだけである。
「さぁ? でも今なら――各会頭の屋敷につけた火を消すのは、私とあなたでできると思いませんか?」
「私にこの商業都市を独裁せよと言いたいのか?」
「あら、そうお考えではない? むしろそれをこそ望んで今の地位を手に入れたと思っていましたが、今の立場に満足されましたか? もっと男として、野望を持ちたいとお考えでない?」
ルングは即答しかねていた。それを見るわけでもなく、アルフィリースは燃える自由都市を見ながら、独り言のように述べた。
「――奥様はお綺麗ですが、睦まじい仲とは言い難いようですね。他の会頭の姪御さんだとか」
「!?」
ルングがはっと顔を上げる。そこには、薄笑いを浮かべるアルフィリースがいた。
「商売の勉強をしながら、やがてそこで出会った女性に心を許し、相談をするようになった。同志だと思っていた女に既成事実を作り上げられ、婚約していた女性とは別れさせられ、半ば強引に妻となる約束をさせられた後、女性が他の会頭の回し者だと知った。それが5年ほど前の出来事。女でハメられたことに気付いた貴方は迂闊な自分を悔やんだが、全てをないがしろにするほどにも自信がなく、以後あなたは妻とその会頭に頭が上がらない、と」
「なぜそれを・・・」
「私、ターラムには知り合いが多いので。当時何があったかを調べるのは簡単でした。それで、取り戻したいですか?」
「――何を」
「もちろん、全てを。女も、自信も、輝ける未来も」
アルフィリースがゆっくりと手を伸ばし、ルングはその手を震えながら伸ばして――その時間が永遠にも感じられる頃、突然前によろめいたルングは思わず前にバランスを崩し、その拍子でアルフィリースの手を取った。
それが何を意味するか。
「――あ」
「契約成立です。ラーナ!」
「はい」
ぬるり、と部屋の隅から闇が進み出た。それが漆黒のローブをまとった少女だとルングが認識すると、アルフィリースは微笑むようにラーナに命令した。
「ルング会頭はご決断されたわ。手筈通りに」
「承知しました」
「待て、妻に何をする!?」
「奥様ではありませんよ、もう」
そう断言して笑ったアルフィリースが非常に恐ろしい者に見え、ルングはがたがたと震えていた。その肩をぽん、と優しく叩き、アルフィリースは耳元でそっと囁いた。
「心配しなくても、朝が来る頃には全て終わっていますよ。これで貴方が全ての権力を手にします。かつての女性も、ね」
「――お前、は」
「これからもよろしくお引き回しのほど、お願いしますね?」
ルングは答えることなく、無言のまま頷いた。その視界には、アルフィリースの口角がうっすらと上がったことを収めるのが精一杯で、燃える自由都市を見ながら愕然と佇むだけった。
そしてアルフィリースがルングの屋敷から外に出ると、シャイア以外誰もいないことを確認してアルフィリースは背伸びした。
「あー、緊張した! 燃える自由都市を見せても『それがどうした』って言われたら、打つ手なしだったかも!」
「そんな人だとは思っていなかったから、仕掛けたのでは? ですが団長、さすがに脅し過ぎたのではないでしょうか」
「やりすぎかなぁ?」
シャイアが顎に手を当て、うんうんと肯定した。
「演出が怖いです。実際のところ、奥様にはラーナさんの幻術と悪夢で脅しに脅して離縁状を書かせるだけでしょう?」
「うん、もちろん。っていうか、数日前からもう仕込んでいるんだ。あと一押しで確実だと思うなぁ。無駄な殺しはなしだよ。奥様はきっととんでもない悪夢を見せられると思うけど・・・ラーナはそのあたり容赦ないからなぁ。ま、自業自得だよね。自分も流民を放っておいて、放蕩三昧に手を貸しているんだし」
「朝になったらどんな光景が待っているのやら。奥様は死んだ方がまし、と思うかもしれませんね。ルング会頭の以前の恋人は生きているのですか?」
「うん、ターラムで働いているって。黄金の純潔館って凄いね。ターラムのことなら、なんでも一晩あれば探してくれるんだから」
「それを探してもらうことができる団長が凄いと思うのですが・・・」
シャイアが呆れたように溜め息をつき、アルフィリースは笑顔で成果を確認した。無駄な殺しは控えるように言ってあるが、ルング以外の各所ではそれなりに被害が出ているだろう。住民はわあわあと騒ぎ立てているし、混乱した住民が勝手に小火を出しているのは事実だった。
夜が明ける頃には決着がついているだろうが、ルングが頷いてくれてよかったなと思うアルフィリース。もしルングが違う選択肢を取っていたら――
「本格的に燃やすことにならなくて、よかった」
「えっ?」
「なんでもないよ、独り言」
アルフィリースが寂しそうに笑ったので、その意図を測りかねたシャイアはぎゅっと手を揉み絞っていた。自分が選んだ団長は想像以上に恐ろしい。リサがよく彼女と笑いあって隣にいることができるなと、彼女たちの絆の強さを今更ながら感じていた。
逆にそこまでの決断をしなければならないこともあるのだろうと思うと、シャイアはその時になって自分の甘さを彼女のように御せるだろうかと悩み、その背を追いかけていた。
続く
次回投稿は、11/16(火)8:00です。