大戦の始まり、その4~西部戦線④~
「体の方はいいのかしら?」
「ああ。それは問題ないが、来客のようだな?」
「ウィスパーかしら?」
「・・・確認したわけでもないのに、勘の良い娘だ」
アルフィリースの天幕の机の前にある敷布にちょこんと座る、黒猫の姿のウィスパー。アルフィリースはもう一つ椅子を出すとウィスパーに勧め、執務用の机を挟んで座った。
「そろそろ来ると思っていただけよ。戦の展開は読んでいたでしょう?」
「まぁな。北部商業連合の連中は良いお得意様でもあったが、そろそろ限界だとは思っていた。6人の会頭の合議制は悪くなかったが、腐った奴が過半数を占めるとさすがに上手くいかないものだ。お前が首を挿げ替えてくれるなら手間が省ける」
「手間賃はもらうわよ?」
「結構だ。財力には困っていないし、現時点でこちらもこれ以上事業を手広くやるつもりはない」
「下準備が済んでいる、と言ったらどう?」
アルフィリースの言葉に、ウィスパーの耳がぴくりと動く。
「・・・何のことだ?」
「ローマンズランドの軍備は充実していたわ。鎧や武器だけでなく、馬の鐙、鞍にいたるまで、かなりの比率で新品だった。アルマスが提供したのでしょう?」
アルフィリースの指摘に隠しても無駄だと思ったのか、ウィスパーはため息をついて認めた。
「そのとおりだ。竜騎士に関しては何もしていないがな」
「逆にいえば、アルマスが提供するまでローマンズランドの軍備は出撃もままならないほどだった。だからオークの群れへの対処も遅れた・・・というのは、勘繰り過ぎかしら?」
「そこまでは私も事情を知らぬ。私は商人かつ暗殺者であって、政治のことまでは興味がない」
「商人は政治に詳しくなければできないでしょう? 実際にはどうなの。軍備以外で提供したものはあった?」
「それが手間賃か?」
「その一部よ」
ウィスパーはしばし悩み、小さく頷いた。
「鎧、剣の新調。馬30000頭の手配。そしてそれらに付随する飼い葉、水、食料の提供。天幕や毛布などもかなりの数を提供した。我らの提供がなければ、地上部隊はまともに動くことができなかったかもしれぬな」
「お代は?」
「そこまで答える義理はなかろう」
「ふぅん。まぁいいわ、もうすぐわかることだから」
アルフィリースの言葉にウィスパーの表情が歪んだように見えた。フォスティナは何が何やらさっぱりだったが、どうやらアルフィリースの方に分があるようだった。
「・・・やはりお前は苦手だ。まるで全てを見通しているかのようだな」
「色々な知り合いができたおかげで、想像できるようになったというだけだわ。元々、想像力は豊かだから」
「ふん、会頭は可能な限り生かしておけ。商業都市もそのまま使うつもりだ、まだ焼くな」
「もちろん。そこまで暴虐ではないわ」
「どうだか」
ウィスパーの用事は済んだのか、するりと椅子から降りて去ろうとする。そこにアルフィリースが声をかけた。
「あなたって、猫が好きなの? いつもその姿を借りているわね?」
「便利なだけだ、猫はどこにでもいるからな。野良猫が軍内部をうろついても、さほど咎められん。犬は機動性に欠け、鳥は夜使えぬ」
「なるほど。実は猫が本体だったりしない?」
「そこは大老以外誰も知らないことだ。それこそ妄想が得意なら、好きに考えればいい」
「妄想じゃなくて、想像ね」
「私にはどちらも同じようなものだ」
ウィスパーが去っていくのをアルフィリースは笑顔で見送り、フォスティナが不思議そうな表情で見送っていた。
そして完全にいなくなると、アルフィリースが誰もいない天幕の隅に向かって話しかけた。
「イル! そこにいるわね、出てきなさい」
「えっ?」
「・・・どうしてわかるの、ママ?」
イルマタルが隠形を解いて出てきた。フォスティナでさえ気配を全く感じていなかったので、ひどく驚いた。これが敵なら、刺されるまで気付かないだろう。そしてウィスパーですら、何もわかっていなかったのではないか。
アルフィリースは歩いてくるイルマタルを抱きかかえると、膝の上に座らせた。
「わかるわよ、あなたのことならね。本当の娘でなくても、私たちの間には縁があるのだから。でも無意味に隠れるのはおやめなさい。わかるのは私とリサくらいのものよ、皆が驚くわ」
「そうか・・・そうだよね!」
「イル、近々また仕事がありそうだわ。また手伝ってくれる?」
「いいよ! また飛竜さんたちをまとめて操ったらいい?」
実は先日アルフィリースが多数の飛竜を同時に操ったのは、イルマタルの能力ゆえだった。アルフィリース自身も数頭の飛竜なら操ることは可能だが、10頭ともなるとさすがに不可能だった。
だが真竜のイルマタルに反抗する飛竜はほとんどいない。彼女がお願いすると、多くの飛竜がイルマタルの命令に従った。アルフィリースが飛竜に乗っている時、その背中や懐にイルマタルがしがみついているのに気付いた者は、最後までいなかったのだった。
そしてイルマタルは、祈るようにアルフィリースにお願いする。
「ウィラニアにはいつ会えるかな?」
「まだよ。でももうすぐだわ。もうすぐローマンズランド本城に行くことになると思う」
「そこにいるの?」
「いるはずよ。ウィラニアに会いに行くんでしょう?」
「うん。あの子がね、イルを呼んでいるの。私の力が必要になるの」
イルマタルは確信をもって述べる。今回の遠征でイルマタルを連れてきたのは、アルフィリースの決断だ。
ローマンズランドの第四皇女であるウィラニアと縁を結んだイルマタルは、イェーガー内でイルマタルが攫われるように連れ戻されたことにショックを受けていた。そしてウィラニアが自分を呼んでいるのは、彼女に危機が迫っているからだと繰り返し告げるのだ。
それが何かはわからない。当初はカラミティ関連ではないかと考えていたが、どうやらカラミティと会話をしたアルフィリースの印象では、彼女はアンネクローゼやウィラニアにはさほど興味を示していなかった。また彼女たちが引きついた操竜の血筋と紋章は、カラミティが操作しても力を発揮する類のものではなさそうなのだ。
ならばウィラニアに迫る危機とはなんだろうか。アンネクローゼを守ることも含め、アルフィリースはイルマタルの同行を決断した。それに飛竜の国では、真竜らしからぬイルマタルが同行することで何らかのサポートになると考えたのだ。ラキアも傭兵に紛れて同行しているが、イルマタルの方がより他の竜への影響が強いようだった。
「イル、まだ危険な予感はしない?」
「うん、まだそれほどでもないみたい・・・でも、ずっと不安みたいなの」
「そこまでわかるのか。近くに行ったらイルに遊び相手が務まるかどうか、聞いてみましょうか」
「うん!」
イルマタルが満面の笑みで答えたので、アルフィリースも笑顔で応えた。こうして見ていると、本当の親子や姉妹にしか見えないなとフォスティナは感心したが、その一方でアルフィリースがやろうとしていることを知っているフォスティナは、その恐ろしさに身震いもするのだった。
続く
次回投稿は11/14(日)8:00です。