大戦の始まり、その2~西部戦線②~
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「アルフィリース、帰還しました」
「無事か、アルフィ」
「まぁ油断してくれてたから、楽なものだったわ」
アルネリアの食糧庫を焼き払って帰還したアルフィリースとカトライアを出迎えたのは、アンネクローゼ本人だった。名目上は決死隊のようなものだが、まるで散歩から戻ったと言わんばかりの気楽さを見せるアルフィリースには、さしも冷静なカトライアも驚きの表情を禁じ得ない。
「もう少し功を誇ってもよいのではなくて、アルフィリース。敵方の半数以上の食料と武器を焼いたのよ? どう考えても、遠征軍は一時撤退が必要になるわ」
「うーん、私の立場を利用してやったことだしなぁ・・・特に誇ることでもないというか、二度と使えない作戦というか、食料がもったいなかったというか。あ、竜に結び付けた奴はお土産ね? 流民で食糧難の子どもや老人に渡して頂戴」
アルフィリースがぱんぱん、と飛竜に固定した食料を叩くと、飛竜たちが誇らしそうに吠えた。単独で飛竜を十数匹従えるアルフィリースの様子に、ローマンズランドの竜騎兵たちもざわめいた。最高位竜騎士の位をもつ何人かの将軍でさえ、ここまでの扱いができる軍人は片手に収まるほどしかいないからだ。
そしてそんなアルフィリースに、アンネクローゼが質問する。
「しかし、どうやって一人でそれほど大量の糧秣を焼くことができたのだ? 堂々と魔術を使ったわけではあるまい?」
「それは私も気になったわ。いざという時の脱出用に随行していただけだったから、詳細は知らないのよ。アルフィリースが何かを仕込んでいることには気づいていたのだけど」
カトライアも不思議そうに頬に手を当てたので、アルフィリースは腰に下げた革袋から黒くて丸い塊を取り出した。
「一応秘密なんだけど、これを使ったの」
「え、これって・・・」
「ちょっとアルフィ、嫁入り前の女子がなんてものを握っているのです。バッチイ!」
そこにリサが合流してきて突然鼻をつまみながら臭そうな仕草をしたので、アンネクローゼとカトライアが後ずさる。
「さ、行った行った。仕事終わりにその手を洗いなさい! カトライアも、アルフィリースが腰に捕まっていたのでしょう? 服を着替えた方がよいのではないですか?」
「そ、そうね。そうさせていただこうかしら」
「う、うむ。それがよかろうな。後で私の天幕まで報告に来るがいい、アルフィリース。手をしっかりと洗った後でな!」
カトライアとアンネクローゼがそそくさと逃げ出したので、アルフィリースは呆然としていた。
「違うのに・・・黒炭と硫黄の混合物で、これを熱して火種を・・・」
「知っていますが、わざわざネタばらしをする必要もないでしょう。それよりさっさと戻りますよ、少々目立ちすぎです」
カトライアとアンネクローゼが去ったおかげで他の竜騎士たちも通常任務に戻ったが、たしかに少々目立ちすぎてはいた。十数体の飛竜を操り、単独行動で相手の兵糧と武器を半分以上焼いてしまう。その恐ろしさと功の大きさに、ローマンズランドの正規軍も注目せざるをえなかった。
リサがアルフィリースを伴い、気配を薄めて音を遮断しながら歩いて行く。以前はこんな器用なことはできなかったはずなのに、これなら堂々と密談をしながら陣中を歩くこともできそうだ。
リサが質問する。
「話には聞いていましたが、それを使ってアルネリアの食料を焼いたのですか? 使い方を聞いておいても良いですか?」
「ちょっとコツがあるんだけど・・・これって不純物も多いから火をつけてもすぐには燃え上がらないのね? 周りに乾燥した草を集めればよく燃えるけど、兵糧の中に仕込んで遅延発動の魔術でゆっくりと温めると徐々に黒い煙が出て・・・兵士が気付いて中を覗こうとする空気が入って、一気に燃え上がるという寸法」
「なんと性悪なやり口でしょうか! 兵糧や武器の中から煙が出ていれば、確認しないわけにはいかないでしょうに」
「そう。だから私が兵糧を分けてもらって陣から飛び立つと同時くらいに魔術が発動して、一気に火災になっていたわ。今頃アルネリアはおおわらわでしょうね」
そうやってくすくすと笑うアルフィリースに、リサは背筋が泡立つ思いだった。
「・・・ミランダとは一度打ち合わせ済みとはいえ、ほとんどのアルネリア幹部も今回の作戦は知りません。当事者のミランダはすでにアレクサンドリアに向けて発っていますから、今のアルネリアの神殿騎士団には本気で恨まれますよ? 平気なんですか?」
「平気ではないけども。ローマンズランドの竜騎士団に焼かれると、人的被害が大きくなるわ。それよりは穏便に済ませたつもりよ」
「これである程度時間は稼げたでしょうが、まだ冬までに時間はあります。戦列を立て直して攻めてきますよ?」
「元からそのつもりだわ。大切なのはここから先だけど、ドライアン王がどう動くかね。さて、準備を整えたらウィクトリエとウルスを伴ってアンネクローゼのところに行くわよ。多分軍議で意見が割れると思うから」
「またそんな、楽しそうにして・・・」
アルフィリースはにこりと笑い、リサはため息をつきながらアルフィリースに同行した。そしてきちんとした鎧姿に直垂をつけると、アルフィリースはアンネクローゼの元に向かう。すると当然のようにブラウガルドの元に案内され、そこでは30名近くの将軍が集まり、軍議が開催されていた。
「天翔傭兵団、アルフィリース参りました」
「入るがよい」
ブラウガルドとアンネクローゼは歓迎したが、その他の将軍たちには明らかに面白くなさそうな表情の者もいた。素直に称賛する者もいるにはいたが、中には敵愾心を抱いていることを隠そうともしない者や、傭兵だからと侮る者もいた。
アルフィリースは彼らの顔と表情を素早く確認すると、ブラウガルドに向けて一礼して軍議に加わった。そのアルフィリースにブラウガルドが賛辞の言葉を送る。
「まずは任務ご苦労だった。敵兵糧の大半を焼いたとか」
「火の手を見るに半分は焼けていると思いますが、成果のほどはアルネリアのこれからの行動でわかるでしょう」
「だが単独でそれをやりきるとなると、誰にもできなかったことだ。褒美をやらねばならんな。何がいい?」
ブラウガルドから具体的な恩賞を与えなかったのは、アルフィリースという人物を測るためでもある。ともすれば難しいこの質問にも、アルフィリースはさらりと答えた。
「予定通りの報酬がいただければ私からは何も。強いて言うなら、軍議でも他の方々と対等に発言させていただければ」
「無礼なっ! 貴様、傭兵風情が立場をわきまえよ!」
将軍の一人ががなるように叱責したのを、ブラウガルドが手で制した。
「もちろん、発言は許す。だが採用するかどうかはまた別だ」
「当然にございます。アルネリアは勝手知ったる相手。それにグルーザルドも先ほどまで共闘しておりました。私の意見が役に立つこともございましょう」
「そうだな。ザガリアもソルダムも、それでよいな?」
「・・・承知しました」
「はっ、私は皇子の命令とあらば不満はございません」
先ほど叱責した将軍と、明らかに不満そうだった将軍にブラウガルドが釘を刺した。そして他の将軍もそれに倣って黙る。
そしてブラウガルドは軍議を進めた。
「アルフィリースが相手の兵糧を焼いたことで、一度アルネリアは陣容を整え直すだろう。グルーザルド、そしてシェーンセレノ率いる軍隊も補給はアルネリアに一任していたはずだ。彼らも一度撤退すると思うが、我々は次にどう動くべきだと思う?」
「私にお聞きになっていらっしゃる?」
「そうだ、そなたの意見が聞きたい。我々としては攻勢に出るべきだという意見が多くてな。先ほどまではそなたの成果に半信半疑だった者もいたが、やり遂げたという話を聞いて、主戦派が強くなった。私も攻勢自体には反対しないが、それ以外の方法があるかどうか模索したい」
その発言に答える前に、将軍たちが矢継ぎ早に自身の意見を述べる。
「ちなみに私は反対だ。兵糧を焼いただけで相手の戦力はなんら傷ついていない。今はグルーザルドは西側に移動しているが、直接的に対立したディール公は既に成敗している。まずはシェーンセレノの出方を待つべきだと思う」
「何をいまさら。ディール公のごとき惰弱な輩が単独で動いたと思っておられますか。シェーンセレノの意図を反映して動いたに決まっています。時をおけば、グルーザルドの到着を待って陣容を整えてから宣戦布告されるでしょう。そうなるといたずらに被害が広がるだけなのですから、今のうちに叩ける相手は叩いた方がいい」
「いや、叩くのならターラムと北を繋ぐあの関所を押さえるべきだ。そうすれば奴らは補給も何もままならず敗北する。兵糧攻めも可能になるだろう」
息巻く将軍たちを見て、なるほどアンネクローゼもここではいち武官としての扱いなのだなと、アルフィリースは納得した。ローマンズランドは実力主義だが、女性蔑視の強い社会だ。アンネクローゼもただ皇族というだけでは尊敬されないのだなと、アルフィリースは理解した。
そしてアルフィリースは地図を見ながら、すぐに考えをまとめた。
「僭越ながら述べさせていただきますが、攻勢、守勢全て下策かと」
「な、なんだと?」
「生意気な! 理由を述べよ!」
これにはアンネクローゼも面喰い、主戦派の将軍たちは怒り、ブラウガルドやドードー、カトライアは面白そうにアルフィリースを見た。アルフィリースは物怖じすることなく、自分の考えを述べていく。
続く
次回更新は、11/10(水)9:00です。