大戦の始まり、その1~西部戦線①~
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「話をまとめるわ」
「ああ」
ミランダからあとを託されたエルザとラファティは、神妙な表情で額を突き合わせて報告をまとめていた。どうしてこうなったか、彼らには全く理解不能だったからだ。
隣では書記官を務めるシスターが忙しく、彼らの会話を書き留めている。
「事前の国境線に関する話し合いには我々を含めて多数のアルネリア関係者が出席し、全く問題なかったわよね?」
「ええ。西側での共同作戦の作戦立案にも関わりましたが、まったくもって問題ありませんでした」
「たしかに、国境線の具体的作成をした現地には我々はどちらも立ち会っていない。あなたは西側でのオークの殲滅を見届けたし、国境線の方にはイライザを向かわせた。私はここで全体像を俯瞰しながら、情報をまとめていたわ」
「ええ、その方針に問題はないはずです。ミランダ様がいらしても、同じことをしたでしょう。仮の国境線の製作などこれから次々と行う予定でしたから、その全てに我々が立ち会うのは非現実的です」
「ではなぜ、このような事態に?」
エルザの疑問に、ラファティは手元にある資料を再度見た。
「互いの主張する国境線の位置がずれていたそうです。シェーンセレノ側の諸侯――ディール公が向かった時には既にローマンズランドが国境線を作成しており、予定よりも半日以上分ディール公側に食い込んでいたとか。ディール公はローマンズランドの間違いを主張しましたが、ローマンズランドは一歩も譲らず。数日のうちにいがみ合いとなり、イライザの制止は何の意味もなさず、ディール公側の誰かが射た威嚇の矢が不幸にも飛竜の目にあたり、怒った飛竜が火を吹き、あとは流れのままに戦いとなり――」
「ディール公は死亡、その一軍は死者500名を出し撤退。ローマンズランドは本格的な戦闘態勢に入ったと」
「そのように報告されてますね」
ラファティが次の資料をめくる。エルザは浴びるように酒を飲みた衝動に駆られたが、自分で調合した頭痛薬を飲むにとどめた。
「被害が大きすぎるわ。この戦争が始まってから最大の死者が同士討ちで出るとか、何の冗談なの?」
「悪夢のようですが、現実です。まずは現実に目を向けないと」
「わかっている! でも、これ以上の悪夢があって!?」
「続けます――ブラウガルド皇子が直々に調査に乗り出しましたが、報告の結果はローマンズランドに非はまったくないと主張。それどころか落ち度はディール公にあるとして、負傷した兵士と飛竜分の損害賠償を申し出ました。当然のようにシェーンセレノはこれを却下。我々に相談することなく部隊を動かし、国境線を自分たちの主張する位置に移動させました。結果、領土侵犯としてローマンランドが本格的に地上軍を投入。現在ゲルゲスの丘を挟んで睨み合いが続いています」
「なんでどちらも勝手に軍を動かす!? どうして私たちに調停を求めない! その頭の中には、脳みその代わりに馬の糞が詰まっているんじゃないだろうな、あいつら!」
ダン! とテーブルを叩くエルザの口調が思わぬほど激しかったので、記録管がそのまま記述することができなかった。当該箇所を二重線で修正し、書き直そうとしてラファティが記録そのものを止めるように促した。
「落ち着けエルザ殿、スラム時代の口調になっているぞ」
「これが落ち着いていられるかっ! 我々の目の前で、人間同士の戦争だと!? これ以上ないくらいにオークの討伐が上手くいってもうすぐ終戦というところで、どうしてこんなことで互いに話し合うことができない! 理性というものが蒸発しているんだ、あいつらは!」
「だからといって、貴女の理性まで蒸発することはない。イライザが頼りなかったといえばそうかもしれないが、我々が現地にいても結果は同じだったかもしれないのだから」
「どうしてそんなにラファティ殿は冷静でいられる!? それもラザールお得意のむっつりかっ!?」
「それは兄とイライザだけが特別で、全員そのくくりにされるのは心外だが――アルフィリース殿が少し気になることを言っていたのでな」
「アルフィリース殿が?」
エルザは聞いていなかったので、不審そうな視線をラファティに向けた。
「アルフィリースどのは不穏な流れを感じると言っていた。それが何かは話してくれなかったが、どうしようもないことが多数起こるだろうと。だがその流れを少しでも変えるべく、各自が行動するべきだと言っていた」
「少しでも変えるべく?」
「山津波は起きてからは何人にも止めることはできないが、被害を少なくするために策を講じたり、救助をいち早く行うことはできると。できないことを嘆くよりは、出来ることを探した方がよいだろうと言っていた。私はその言葉を信じる」
「だが、その結果がこれだと言うのか!?」
エルザは自分の手元にある資料をずいとラファティの前に突き出した。昨日作成されたばかりの資料には、こう書いてある。
『ローマンズランドとシェーンセレノの仲裁に入ろうとしたグルーザルドの糧食を全て焼き払い、イェーガーおよそ5000名はローマンズランド側に逃走が確認された』
と。これにはラファティも困った表情となる。
「――きっと訳があるのだ。そうでなければ」
「どんな訳だ? 糧食を用意したのはアルネリアだぞ!? アルネリアにも反逆するというのか、彼らは!?」
「ミランダ様の親友だぞ? そんなことがあってたまるか!」
「申し上げます!」
「「なんだ!?」」
2人の殺気だった声に、伝令の神殿騎士がびくりと顔を上げる。書記官を務めるシスターは既に涙目となっていたが、伝令もそれどころではなかった。
「イェーガーと思しき集団が、ローマンズランドの飛竜とともに襲来。後方拠点の武器備蓄、その過半数を奪取、もしくは焼き払われました! 怪我人多数、ただいま消火活動に追われています! このままでは遠征軍を維持できません!」
「な、なんだと?」
たしかに味方だったアルフィリースはアルネリアが食料や武器をどこに備蓄しているか、おおよそ把握しているだろう。ローマンズランドには伝えていなかったが、アルフィリースはローマンズランドに雇われながらもミランダの友人ということでさも当然のようにアルネリアの陣に出入りしていたので、知っていてもおかしくない。ただあまりに自然過ぎるいつもの行動だったので、誰も疑うまでに至らなかった。
これには擁護していたラファティも真っ青になった。
「そこまでするのか? いかにローマンズランドに雇われているとはいえ、そんな・・・」
「ラファティ、今すぐ彼女の真意を聞き出してみせろ! それができるならな!」
「無茶を言うな。彼女たちがどこに布陣しているのかすら、知らないんだ!」
「できなければ、イェーガーを敵として認定せざるをえない! ミランダ様になんと報告するつもりだ!? グルーザルドはもう色めき立っている! もうすぐ彼らを交えた本格的な戦闘が始まるぞ!」
エルザの泣きそうな激昂を止めるすべを、ラファティは持っていなかった。なぜなら、彼女の言っていることはしごく正論で、もう戦いを止めるべく打てる手段に何があるのか、ラファティには即答できなかったのだ。
そして彼らがグルーザルドとシェーンセレノ、そしてローマンズランド側に停戦を求める書簡を出したところで、その夕刻、シェーンセレノがブラックホークを正式に雇い入れ、報復を開始したことを彼らは知るのだった。
続く
次回投稿は11/8(月)9:00です。