百万の魔物掃討戦、その36~追撃戦⑥~
そうこうするうちにドライアン王が時間より早く乗り込んできた。続いてほぼ時間通りにアルフィリースが、続いてブラウガルド皇子が遅れて到着する。ところがいつもは時間に几帳面なシェーンセレノが中々到着しない。ミランダは苛立ちを面に出さないように辛抱強く待っていたが、先にドライアン王が痺れを切らした。
「遅いな」
「時間には几帳面なご婦人だと思っていたが、何か問題でもあったでしょうか」
ブラウガルド皇子が冷静を装い答えたが、指がテーブルをとんとんと叩いている所を見ると、決して何も感じていないわけではないだろう。
アルフィリースはカトライアのところに遊びに行くという名目を前面に出してはいたが、当然ブラウガルド皇子とは何度も面会して今後のことを打ち合わせている。その中で気付いたのは、この皇子が見た目通りの優しい殿下ではなく、ともすれば短気で好戦的にもなりうる性格だということだった。
総司令官という立場上やむなく大人しくしているが、なるほどやはりスウェンドル王の息子だと納得するところも端々に感じ取っていた。
そうして他の者の苛立ちが頂点に到達するその僅か前に、見計らったようにシェーンセレノが到着した。良い間合いで到着するものだと、アルフィリースは内心で感心する。そして到着と同時に、シェーンセレノは従者に持たせていた大きな獣皮紙を受け取っていた。
「遅くなりまして申し訳ございません」
「・・・時間は貴重だ。あまり待たせないでほしいものだな?」
「で、その用紙の準備をしていたから遅くなったということですか?」
「はい、まさにその通りです。こちらをご覧ください」
ミランダが何かを言う前に、既にシェーンセレノは獣皮紙を開いていた。主導権を握り損ねたミランダが口をぱくぱくとする間に、次の言葉をシェーンセレノが紡いでいた。
「おそらくはミランダ殿が伝えたいこともこれでしょうと推測して、準備しましたわ。これが現在の進軍状況と、かつての衛星国だった五国の領土図です。大勢は決しておりますが、復興が進まないことが懸念事項――ということでよろしい?」
「・・・ええ、その通りです。まさにそのことを話し合おうと思っていました」
やられた、とミランダは思った。ミランダも準備をしてきていたが、この地図はミランダが用意した物よりもはるかに詳細な進軍状況と領土図が書かれていた。
前日、ひっそりとアルフィリースとミランダはこの会議に向けて準備をしていたが、それが不意になりかねないと思ったが、シェーンセレノの進め方は強引ながらもミランダの思惑とさして変わらなかった。
「これが現在の進軍状況ですが、オークに占領された土地は既に7割以上を奪回しています。ここまでに狩ったオークの首は実に40万以上。焼き討ちや魔術で吹き飛んだ首も合わせれば、50万近いかもしれません。敵軍は100万とのことでしたが、淘汰されたり増えたりで正確な数はもうつかめないでしょうが、追撃戦に移ってからのオークの分布から察するに、残り10万もいないかと」
「・・・おおよそ、アルネリアも同じ数字を想定しているわ」
「手ごたえ的にも違和感はないな。斥候からの報告でも、一大勢力がある気配はもうない。せいぜい1、2万体程度の拠点があって2、3個ということころか」
「飛竜で偵察した結果も同じく」
ミランダだけでなく、ドライアンとブラウガルドがそれに同意した。当然、アルフィリースも偵察をしているが同じような報告である。
シェーンセレノは地図上の指を進める。
「そうなると、残り一月でほぼ殲滅は完了するでしょうから、戦後処理の決定をしておくべきでしょう。すでに我が軍と行動を共にしている諸侯は戦の流れを感じ取り、論功行賞に入りました。彼らに勝手な動きをさせないためにも、褒賞の話は進めておくべきです」
「ふん。戦が終わってもいないのに、もう戦後の勘定か。机の上の勘定が好きな連中が多いようだが――」
「異議なし」
不平を口にするドライアンを無視して、真っ先に同意したのはアルフィリース。意外な後押しに、シェーンセレノがにこりと微笑む。ドライアンは少し面喰っていたが、同じく同意せざるをえなかった。
「――まぁ、方針を決めておく分には異議はない。で、そこまで話すからには既に案があるのか?」
「はい、ございます。まずはローマンズランド側の復興作業が遅れる理由として、衛星国から避難した流民の受け入れがあると思われます。彼らの食料、住居、保障などの対応で既に手一杯では? ターラムにも流民が多いことを確認が取れましたし、北部商業連合の都市にも多くが流れ着いているでしょう。ローマンズランドが単独で撃って出られなかったのも、彼らの対応に追われ北部商業連合の土地を守るので手一杯だったため。違いますか?」
「・・・否定はしない。続けてくれたまえ」
ずばりそのものだろうことはアルフィリースもミランダも、ドライアンですら掴んでいたが、あえてそこは追求せず、シェーンセレノの話をブラウガルドは促した。
「なので奪還した土地に関しましては、諸侯に割譲して統治していただこうと思います。そのために原案を既に持って参りました」
「馬鹿な! それでは侵略戦争と変わらないわ!」
ミランダが思わず立ち上がったが、誰でもないブラウガルドがそれを制した。
「ミランダ殿、落ち着かれよ・・・ローマンズランド単独では対処できなかった事態といえど、我が国の領土を切り取るとなると大義名分も必要だろう。それがあるのかな?」
「ございます。諸侯の中には5ヶ国の血縁者もございますれば、彼らに『仮の統治』をしていただき、復興の段階を経てローマンズランドに返還する、ということでいかがでしょうか?」
「その期間は?」
「まずもって10年でしょう。土地の浄化、田畑を再度耕して建物を修復するのに短くて2年、長くて5年。元の経済状況と人口を取り戻すのにそこから5年は最低かかるでしょう。その間、ローマンズランド単独が人員を出して統治するのは現実的とは思えません。既に5ヶ国の統治者、あるいは血縁者はほとんどがお亡くなりになっているはず。ローマンズランドが大陸平和会議で本当に切り出したかったのは、この事案では?」
シェーンセレノの言葉にしばらくブラウガルドは黙り込んだ。そして長い沈黙のあと、ブラウガルドは決意したように話し始めた。
「・・・スウェンドル王をして、そこまでは話していない。だがこの度の戦、そして戦後処理まで私に決定権は一任されている。そのことを踏まえたうえで、皆さんにお聞きいただきたい」
「承知しましたわ」
「シェーンセレノ殿の言う通りだ。ローマンズランドには滅ぼされた5ヶ国を復興するだけの財的余裕はなく、人員も不足している」
長いため息を吐いたブラウガルドの態度には、芯からの悩みを確かに感じさせるだけの説得力があった。
「文官の人材不足は以前から嘆かれていたが、それが顕著に出た。そもそも資源に乏しい我が国なのだ。衛星国からの資源で賄っていた部分も多かったのに、それが一挙になくなった。この冬をどうやって越すのかと文官たちはそちらにかかりきりで、5ヶ国を立て直すような策を持っている者は一人もいないだろう」
「北部商業連合は手を貸してくれませんの?」
「ローマンズランドは彼らに命令を下せるような立場にない。むしろ、彼らに借金があるくらいだ。今回の戦とて、彼らを確実に防衛するための戦力を彼らの手元に集めなければ、もう少し積極的な軍事行動がとれたのだ。それが、彼らの横やりのせいでこのていたらくだ。まったくもってお恥ずかしい事なので、この場以外では他言無用に願いたい」
ブラウガルド皇子の苦しそうな表情に、ドライアンも心痛を示すかのように静かに語り掛けた。
「・・・事情はわかった。だが我が国としてもタダ働きというわけにはいかぬ。土地の割譲は必要ないが、十分な補償と褒章はいただきたいな?」
「無論だ、獣人の王よ。何がよかろうか?」
「経済特区だろうな。獣人にも商会があり、商業を活発にしていこうという意欲的な若者が多い。彼らに商業の機会を与えてほしい。人足はこちらからも出す」
「復興につながるのなら、なんでも受け入れよう」
上手い、とアルフィリースは考えた。この考えを予めドライアンから聞いていたわけではないが、この大陸北部に獣人たちが拠点を持つとなれば、当然そこまでの獣人たちの商業勝共活発になる。
獣人に偏見のある国ではいまだ活動が制限されていることも多いが、ローマンズランドや東側の多くの諸侯が認めた経済活動であれば、これから許可しないわけにはいけなくなるだろう。当然、アルネリアも推奨するはずである。
領土は広がらずとも、グルーザルドを始めとして獣人の生活圏が一挙に広がることとなる。それは、獣人にとっても積年の悲願ではなかったか。
これだけの案が出れば、落としどころとしては充分に聞こえる。唸るミランダも認めざるをえないだろう。ただ一つ、アルフィリースには懸念事項が目の前に見えているが。
ブラウガルドとシェーンセレノがほぼ同時に口を開いた。
「では既に占領地となった部分から国境の策定に入ろう。地図のこの線に沿って、仮の国境を引くとする。ここにローマンズランドから部隊を派遣するがよろしいか?」
「ええ、もちろんですとも。我々の方からも諸侯の軍を進めますわ」
「それは結構だが、貴殿ら。まだ戦争が終わっていないことをお忘れあるな?」
「もちろんです、王よ。アルフィリース殿も、それでよろしいか?」
「国と国の国境線の争いに、いち傭兵団が口を挟むものではありません。我々は働きに応じた報酬をいただければ、それで結構」
「欲のないこと。この機会に一部領地の割譲でも申し出るくらいの功績と才覚はありましょうに。そうはなさらないの?」
シェーンセレノの意見に、アルフィリースは小さく笑いながら首を振った。
「生憎と戦うことはできても、民草を導くとなるととてもとても。傭兵は大人しく傭兵団としての立場に甘んじていますよ」
「そうかしら? 野望があるのではなくて?」
「野望はありますが、国なんて必要ありませんよ。私の求めるものは違います」
「では何をお求めかしら? 世をときめく傭兵団の団長さんが欲しがるものとなると、興味がございますわ」
「それは私も興味があるな」
「俺もだ」
ブラウガルドとドライアンが同時に相槌を打ったので、これにはアルフィリースも困ってしまった。どうやって誤魔化したものかと考えていると、ラファティが天幕に突然入ってきた。
「申し上げます!」
「何事か! 諸侯の御前なるぞ!」
「緊急事態なれば、失礼を承知でミランダ様に報告がございます!」
「それはこの戦いに関与することか?」
「はい、そう考えました」
長らくミリアザールに仕えているラファティが会議を中断してでも伝えるべきと考えたのなら、ミランダには否定することはできない。
当然、他の者も内容が気になった。
「そこまで言うのなら聞きたいですわ」
「同じくだな。我々の間で隠し事はなしですよね?」
「必要なら秘密は共有しても良いが」
「ええい、しょうがないわね。副長、報告なさい」
「はっ、アレクサンドリアで内乱が起きました。反旗を翻したのはディオーレ=ナイトロード=ブリガンディ殿にございます!」
その報告に驚かぬ者は一人もいなかった。ドライアンとミランダは席を立ちあがり、ブラウガルドも身を乗り出し、シェーンセレノも手に持っていた筆を取り落とした。ただひとり、アルフィリースだけが目を閉じ、天を仰ぐように顔を上げていた。
続く
次回投稿は、11/4(木)9:00です。