百万の魔物掃討戦、その27~前哨戦㉗~
蒼白となったのはオークの群れだけでなく、女王メルセデスである。散り散りになろうとする群れを前に、メルセデスはしばし呆然としていた。
「そ、そんな馬鹿な・・・王が・・・マクミランが」
「衝撃だった? 自分たちは負けるはずがないって?」
「話が違うではないか・・・これでは」
こぼれるように呟かれたようなその言葉を、アルフィリースは逃さず捉えた。だが振り返った次のメルセデスの表情は、思ったものと違って憤怒に燃えている。
「ふんっ、思ったより使えない男だったということか。所詮は腰を振るしか能のない雄。私とは格が違う」
「・・・ふーん、強がりじゃなさそうね。その言い方、ちょっとあの王様に同情するわ。仮にも夫婦なんじゃないの?」
「実力から番になりはしたが、弱い者が死ぬのは節理。人間はどうやら違う理由で番を選ぶようだが、それは我らオークの摂理ではない。
私は世にも貴重な雌オーク。私の生存のためなら、他の雄オークは全て犠牲になってもよい。それこそがこの群れの摂理だ」
「なるほど、傲慢ね。たしかに女王だわ、あなた」
「それは貴様が人間だからそう思うのだ。それに実際の所は傲慢でもなんでもない。今回のシャルロッテ以外の4体の将軍級は全て私が生んだ個体だ。私さえいれば、軍隊の再編は可能。既に私はそれだけの格を備えつつあるのだ」
その言葉にアルフィリースの眉がぴくりと動き、構えを取った。
「その発言を聞いて、あなたを逃すと思う?」
「貴様こそ、私につかぬか? 人間どもの国を平らげたあと、気に入った雄をくれてやるぞ? 私は人間の雄にはほとんど興味がないからな。どうせ食料にするなら、貴様にくれてやるのは一向に惜しくない」
「全然嬉しくないわ、その申し出!」
アルフィリースが猛然と前に出て牽制の拳から、中段蹴りに移行する。やや大ぶりなその蹴りを防御しようとするメルセデスだが、アルフィリースの蹴りが空中で変化して頭上から落ちた。
唐突な軌道の変化にメルセデスはついていけず、側頭部に強烈な蹴りが加わる。並みの人間の蹴りでは一撃で揺れようはずもないメルセデスの骨格と筋肉だが、アルフィリースの蹴りは風の魔術と同時に重力制御まで上乗せされている。予想もしない蹴りの重さに、思わずメルセデスもたたらを踏んだ。
追撃のアルフィリースの裏拳。メルセデスは再び頭を揺らされてはまずいと、ふらつきながらも仰け反ろうとして、その視力を失った。
「ぎゃあああっ!?」
メルセデスの悲鳴とともに、アルフィリースの小手から飛び出た仕込み剣から血が滴った。
突然視力を失ったメルセデスは足を踏み外してバランスを失う。魔獣の体を掴もうとして、その手に容赦なくアルフィリースの剣が突き刺さった。メルセデスは悲鳴を上げながらも、敗北を悟って顔色を変えた。
「ま、待て! 私を殺すよりも生かした方が得だぞ?」
「悪いけど、同情の余地は一切ないわ。命乞いも認めない。死になさい」
「き、貴様ぁ!」
剣先から放たれる炎にメルセデスが包まれ、魔獣から落下するところをアルフィリースの魔術が容赦なく追撃した。
【五精霊による葬送行進曲】
無数に舞い踊る五属性の獣たちによる暴力的な饗宴が空中で展開され、メルセデスは肉片も残さず散り散りになった。
それを戦いの最中、背中の気配で感じ取ったゲルナデスは、ふっと笑った。
「もはやこれまでか」
「最初からこうなるとわかっていたことだ。人間の数は貴様たちよりも遥かに多いのだから。貴様は知っていたはず。なぜ降参しなかった?」
「それがオークである我々に許されると思うか?」
「あの女なら、あるいは」
ヴァルサスの言葉に、ゲルナデスはふっと笑った。
「オークさえも活用するのか」
「あるいはそうかもしれん。俺たちの仲間にもオークはいるがな」
「そうか、世界は広いな。人間と共存する道もあったのか」
「いつの時も、可能性はゼロではない」
「生き延びた者がいたら、その言葉をかけてやってくれ」
「俺には言うな、俺はただの破壊者だ。だがあの女には伝えておく」
「頼む」
絞るように出したその言葉と同時にゲルナデスはヴァルサスに斬りかかり、そして散った。ヴァルサスは動かなくなったゲルナデスの首を落とすと、その首を高々と掲げる。
「勇者ゲルナデス、討ちとった!」
「ゲルナデス様まで。も、もう駄目だ」
最後まで交戦しようとしたオークの息も消沈し、ついには逃走し始めるか、覇気のない攻撃の上に散っていった。上位種たちはおおよそが戦いの中で散っていったが、忠誠心の低い通常種は散り散りに逃走しており、それらはイェーガーが中心となって追撃していった。
戦いが終わった中心部で、アルフィリース、ドライアン、ヴァルサスはそれぞれ顔を突き合わせて、まだ不満そうに互いの表情を確認していた。
「何か言いたいことがそれぞれありそうね?」
「当然だ・・・それぞれ得意な相手を選択したとはいえ、手ごたえがなさすぎる」
「同感だ。あの勇者オークは敗北を悟っていたとはいえ、もう少し手ごたえがあってもよかった。いや、違うな――奴らでは、これだけの軍を組織することが無理なのではないか?」
ヴァルサスの言葉にドライアンもはっとしたが、アルフィリースはさも当然のように頷いた。
「そうね。それぞれ実力はあったけど、軍を率いるカリスマなるものには欠けたかもね」
「つまり、こいつらが首魁ではない?」
「仕留め損ねたということか」
「その通りだと思うわ。一応確認のために私自らが乗り込んでみたけど、こいつらじゃない。ラインからの報告で軍の装備を整えた魔術士は仕留めたらしいけど、それにしてもそうさせるだけの指導をしたやつが誰かいるはず。たとえば、『元帥級』とでも呼ぶべき指揮官が不足していたわ」
「追わねば」
「その必要はないわ」
アルフィリースの説明に納得してすぐ動き出そうとしたドライアンを、アルフィリースが制して止めた。
その表情から、ヴァルサスはアルフィリースの言わんとしたことに気付いていた。
「そこまで読んでいたか」
「ええ、既に刺客は放っているわ。結果を待つだけよ」
「仕留めそこなう可能性は?」
「念には念を押したわ。この戦場の局面の、どこよりもそうしたつもりよ」
「つまり、最初からそうなると読んでいたと。この戦、どこまでお前の掌の上だったのか、アルフィリースよ」
ヴァルサスの詰問にも近い問いかけに、アルフィリースはうっすらと笑って答えた。その表情がいかにも魔女にふさわしく見えたので、ヴァルサスですら一歩後ずさりそうになった。
「さぁてね。女には秘密が多い方がいいんじゃないかしら?」
「茶化すな。言いたくないならそれでもいいが、この後の展望はあるのだろうな」
「もちろん。ただ、そこまで私に指示する権利があるかどうか。これでもローマンズランドに雇われの身なのよね」
「・・・それでも聞いておきたい。この後の展望についてだ」
ヴァルサスの表情は真剣だった。彼なりに情報や策はなくとも、感じるところがあったのかもしれない。さすが大陸一の傭兵団の団長だなと、アルフィリースは改めて感心した。
「・・・私もまだ確証はないわ。確証ができたら話すつもりよ」
「それはいつだ?」
「一月か二月か・・・そう遠くはないわ。最悪の可能性だけは回避したいからね」
「これ以上、まだ何かあると?」
ドライアンの疑問に、アルフィリースは力強く頷いていた。
「ええ、確実にね。こんなものでは済まないはずよ」
「やれやれ。その悪い予感も、これだけ見事な勝利を見ると、信じざるをえないな」
「そうだな。できれば生き残りたいものだ」
「当然よ、傭兵は生き残るのが仕事だもの」
「軍人には死ねと言うのではあるまいな」
「軍人や騎士は、死ぬのも仕事の内でしょう?」
アルフィリースが笑いながら告げたが、どこまで本気なのか判断しかねてドライアンは渋い表情になっていた。アルフィリースは彼らとの打ち合わせが終わると、飛竜アルロンを呼び寄せ、素早く本陣に戻っていったのだった。
続く
次回投稿は、10/17(日)10:00です。