百万の魔物掃討戦、その25~前哨戦㉕~
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「~~~~!」
「――凄っ!」
耳を抑え、尻尾に電気が走ったようにぶるぶる震わせながら卒倒するミレイユ。念のため地面をせりあげ防御策としていたジェミャカが、インパルスの雷鳴を見て驚嘆の声を出した。
本来は射線に何もいない状態で放つのだと聞いた。銀の戦姫であるヴァトルカとジェミャカが合流後、アルフィリースは新しい使い方を提案し、一度だけ試しで放つのを見たが、その時はエメラルドが余程威力を抑えていたのだと今知ったジェミャカ。
アルフィリースはイェーガーの切り札の一つと評価していたが、こんなものを食らって生き延びれる者がいるとは思えない。これなら敵が何だって――そうジェミャカは考え、歓声を上げた。
「ここまでやらなくって思うけど、敵の戦意を削ぐには完璧じゃない!? いやぁ、派手だなぁ。ソールカ姫様の全力の一撃にも劣らないんじゃ――」
「調子に乗らないでください。私の援護があったからこそ、被害なく撃てる一撃だったのです」
「それを言うなら、私の囮が上手くいったからじゃん? 2人の手柄っしょ」
「何言ってるの、皆の協力があってこそでしょ。私だって大隊の包囲と撤退を上手くやったわ」
リリアムが駆け寄ってきた。言い争うヴァトルカとジェミャカの傍を通り抜けると、剣を振り下ろした反動で硬直しているエメラルドに駆け寄る。振り下ろしたあと地面に刺さるインパルスからはまだ電撃が迸り、余波が見て取れた。
リリアムは予行練習よりも大きな一撃を放ったエメラルドを見て、心配で一番に様子を見に来たのだ。
「エメラルド、大丈夫!? 予定よりも大きな一撃だったようだけど」
「・・・私はへいき! それより、えるしあを追って!」
「エルシア? なんで――」
「いんぱるすのあと、雷のなかにはしっていった。しゃるろってにとどめをさすため!」
「ちょっと待って、あの雷じゃ跡形すら――」
「ちがう、まだやってない! しゃるろってののうりょく、きづいてないの!?」
まだ動けないエメラルドの必死の訴えに青ざめた3人は、まだ焼けた地面からもうもうと水蒸気が舞い上がる射線へと向かっていった。
***
シャルロッテは、耐えた。これまでただ耐えるだけの時間のなんと長かったことか。だがそれらは無駄ではなかったと、感謝している。人間は精霊に感謝するらしいが、自分は何に感謝すればよいのだろうかと、ふと思う。
王や女王には感謝したくない。さりとて神はこの世にいないらしい。そして自分に魔術の素養はないらしいから、精霊も違うだろう。ではこの体に芽生えた特性は、誰に感謝すればいいのだろうか。
新陳代謝の完全な制御。必要なら一年飲まず食わずでも活動できるだろうし、肉体の制御や硬度、回復すら思いのまま。銀の戦姫の舞はさすがに強力で、それを無効化するほどの硬度の再現は無理だったが、やられた端から回復していたことは気付かれていないようだった。
血を消すことはできないため、逆に良い擬装になったとシャルロッテは内心でほくそえんでいた。失った血すら代謝の調整である程度補うことが可能。ただの捨て駒ではなく、独立遊撃部隊として活躍するのに向いている特性。しかもこの特性は、他人にも使用することができるのだ。親衛隊の見事な筋肉も、ただの鍛錬というわけではない。もちろん、本人たちは知らないかもしれないが。
良き営巣地の候補も見つけている。もう少しすればそこで数と部下を増やし、マクミランとメルセデスをいずれ超えることも――そう考えていたの矢先のこの戦い。動けるほどに回復したら、死んだふりをしてこのまま逃げてしまうことも考えてもいいかもしれない。仲間の助けがないなら、もう仲間と思う価値もない。ただ親衛隊だけが気がかりだが、あのダンダというオークなら見逃すか、いっそついてきてくれないだろうと、ふと期待する。
そんなことを考えながら、あと3も数えれば動ける手ごたえを得た。炭化した皮膚の下には既に新しい皮膚が生え代わっており、雷のせいで蒸発して霧となった地面の水分が晴れ切る前に動くことができる。まずは親衛隊の方に向けて突進し、無事な者だけ連れてこの場を離脱。その後のことはその後考えよう――そう決めて立ち上がろうとした瞬間、左目の奥が急に熱くなった。
「――え?」
瞼も再生して左眼を空けたはず。なのに、何も見えない。右眼の再生は2つ数えるほど遅れる。思考がまとまらない、熱い、痛い。どうして、何が、力が入らない。シャルロッテはがくがくと痙攣し、その場に再び膝をついた。倒れ切ることができないのは、何かが自分の頭を貫いているせいだ。前に倒れ込んだら、本当に死んでしまう。そう考える生存本能だけが、かろうじてシャルロッテの生を繋ぎ止めていた。
「やっぱり生きていたわね、このオーク!」
「その声――ジャリ!?」
かろうじて再生した右眼で確認すると、目の前には自分の再生しかけの左眼に細剣を突き立て、頭蓋骨を貫通させたエルシアが立っていた。
高温の蒸気も、地面を余波で走る電撃をも厭わず、シャルロッテが生きているかもしれないという予想だけでここまで突撃してきたのだ。この間合いで飛びこんでくるとなれば、雷が放たれると同時に走り込んできたはずだ。
命知らず以上。目の前で発生した雷すら恐れず飛びこんでくるとなれば、イカレている。シャルロッテは脅威を感じた自分の直感が正しかったことを誇りに思った。やはりこの少女がこの場の誰よりも、危険な存在だったのだ。
「なん――で」
「あんたがあの程度でくたばるなんて、誰が決めたの? そもそもこの人数相手にあれだけ立ち回れるあんたなんだから、最初から逃げの一手だったら誰も倒せないわ! ヤバイ奴は確実に仕留める。アルフィリースはそう決めていた。私も同感だわ! 次に出会ったら今より強いかもしれない。今ここで死んだことを確認しておかないと、枕を高くして眠れないじゃないの!」
「――敵であるジャリが、私のことを一番信用していたのね――なんて、皮肉」
シャルロッテが微笑んだ。その表情に、エルシアが渋い顔をする。
「なんで笑ってんの、あんた。おかしくなった? っていうか、脳天貫いてんだから、さっさと死になさいよ。それともグリグリしてほしい? 私、嫌なんだけど」
「非情な真似はできないって?」
「単に感触が気持ち悪いだけ」
「――まっ、なんて我儘! だけど、やっぱりジャリなのね。若いわぁ」
「? まだ馬鹿にして――」
その瞬間、シャルロッテの右腕が凄まじい速さで動き、エルシアを抱き寄せた。エルシアは抵抗する暇もなかったが、剣が深く突き刺さり、その感触を嫌でも知ることになった。同時に、エルシアの体を庇ったシャルロッテの部分に深々と大きな矢が突き刺さっていた。
その傷口から肉がどろりと溶けはじめ、猛烈な毒が塗られていたのだとエルシアは気付く。シャルロッテでこれなら、人間はかすめるだけで一瞬で死ぬだろう。
エルシアが何事かを考える前に、シャルロッテが囁いた。
「――ジャリ、球ある?」
「――!」
エルシアは無言で腰の袋から銅球を取り出し、指で上に弾いた。その銅球指で挟んだシャルロッテの腕が一気に隆起し、肩から先の回転だけで鉄球を後ろに放つと、鈍い音と小さな悲鳴とともに、誰かが絶命した。
「暗殺者よ。やはり見張りがいたのね。王も王女も私を信頼していなかったのね」
「役立たずは用済みだって?」
「それもある。ただ私を倒せるくらいの相手なら、確実に仕留めておきたかったのでしょう。私を倒した後なら油断していると思ったのよ。あわよくば、私も消すつもりだったのだわ」
味方からも信頼されないその境遇に、さしものエルシアも悪態をつく気にはならなかった。
「・・・一つ貸しとは言わないわ。今の銅球でチャラよ」
「まっ、可愛くない。でも一つ貸しとくわ」
「ハァ? いらないし――」
エルシアが拒絶する前に、シャルロッテは自分の頭からエルシアの剣を引き抜いた。その返り血をもろに浴びることになるエルシア。
倒れ行くシャルロッテの姿が、とてもゆっくりに見えた。その姿を綺麗だと思ったことを、エルシアは認めたくなかった。
「――なんで?」
「・・・このまま前に倒れたら、ジャリは潰れるわよ?・・・庇い手ってやつね」
「貸しのつもり?」
「それだけじゃないけど・・・ジャリなら私のことを覚えていてくれるかもって思ったの・・・それも、とても長い間ね・・・」
「いつ戦場で死ぬかもわからないのに?」
「・・・いいえ、きっとジャリは死なないわ・・・たくさん味方がいるもの。ひょっとしたら、私も・・・」
「いらないわ」
そう言ったエルシアの表情は寂しげだった。その表情を見て、生まれて初めてシャルロッテは戦いの緊張を解いた。
「いらないわ・・・そんなものまで背負いたくない」
「強い者の責務よ、諦めなさい・・・いずれ、もっと多くの・・・」
「私、そんなに強くないし」
「これから強くなるわ・・・きっと私なんて及びもしないくらいに・・・」
「敵に言われても嬉しくな――ちょっと。こら、勝手に死ぬな! 借りっぱなしは性に合わない――」
「・・・いいわね、人間は・・・次があるなら・・・人間がいい・・・」
穏やかな表情のまま、シャルロッテはそれ以上エルシアの悪態に応えることはなかった。なぜ穏やかな表情のまま死ねたのか。エルシアがその理由に気付くのは、彼女がシャルロッテの想像以上の強さを身につけた時になるだろう。
続く
次回投稿は、10/13(水)11:00です。