百万の魔物掃討戦、その24~前哨戦㉔~
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「地槍蓮華!」
ジェミャカの舞が地面を揺らし、無数に突き出た土の槍がシャルロッテを貫く。だが鋼鉄並みの堅牢を誇るシャルロッテの肉体の前には串刺しというわけにはいかず、その皮膚を深く斬り裂くに過ぎない。
シャルロッテの服装はぼろぼろとなり、もはやどこが傷なのかもわからぬほど血まみれだった。だが武器を放すことはなく、構えからも力強さは失われていない。むしろその目はいまだ爛々と輝き、強敵との戦いを楽しんでいるようでさえあった。
対するミレイユとジェミャカは多少息切れこそしているが、気力は充分といったところ。ただ、その表情がやや疲れているのは否定できない。
「マジであの豚、しつっこい!」
「豚さんの体力は無尽蔵かな? あれだけ出血してたら息切れしそうなんだけどな」
呆れるジェミャカとミレイユを前に、シャルロッテは戦いでだいぶ乱れた金の縦ロールをばさりと払いのけると、得意気に、そして羨望の眼差しをもって言い放った。
「我々はオーク軍団遊撃隊。その任務は少数精鋭で相手の将を狩ること、その戦功は絶大――といえども、その実は決死隊よ。相手の軍に小隊程度の数で斬り込んで、何の補給戦の補償もなく体力が続く限り敵を切り刻む。囮――いえ、下手をすれば体の良い厄介払いなのかもしれない。これしきで諦めるようでは、務まらなくってよ!」
シャルロッテの言葉を聞いてあっと思った者もいれば、やはりそうかと頷いた者もいた。いかにシャルロッテとその親衛隊が屈強とはいえ、この数相手にたかだか20数名で突撃するのは自殺行為でしかない。
最初は囮で後から本体が来るのかと思われたが、その気配すらない。だからリリアムはシャルロッテの背後を塞ぎながらもさらに敵側に注意を払っていたのだが、シャルロッテに対する増援は一匹たりとも見られなかった。
ジェミャカが腹立たしげに、地面を踏み鳴らした。
「馬鹿じゃないの? そんなの捨て駒じゃない!」
「ひどい言い方をすれば、そうね」
「わかってんでしょ!? なら!」
「貴女、戦姫なのに優しいのね」
唐突に褒められ、ジェミャカが真っ赤になって照れた。
「な、な、豚なんかに褒められても嬉しかない!」
「戦姫ならわかると思ったけど。私がここで敵を引き付けるほどに、味方は多く生き延びる。そのうち、本当の英雄が現れるかもしれない。オークを救う英雄が」
「――お前、全部わかっているのか」
ミレイユの冷静な問いに、シャルロッテは頷いた。オークの進化は早い。だが、それは強さのみのことで、寿命が極端に伸びた例はほとんどないし、知性ある個体も生まれた記録がない。そうなると文化を醸成するという考えには、到底至らない。
今回、オークの軍隊は金属製の武器防具で武装していた。それは大魔導士を名乗るサルガムが金属製の魔術で時間をかけて模倣したものだが、それすら所詮は真似事にすぎなかった。新しい物を作るわけではなく、それぞれの体や特性に合った武器防具を作ることなど発想すべくもない。ただ略奪した武器防具の模倣をしたに過ぎない。
つまり、今回の戦いの結果がどうであろうが、根本的な生存戦略を考えない限りはオークの未来はないことに、シャルロッテは気付いていたのだ。でなければ今までのように、魔王と呼ばれる個体の配下として使い潰される運命しかないのだと。
シャルロッテが王ならば。そうミレイユは考えないでもなかったが、それはシャルロッテ自身も気付いていたのだろう。だから先ほど降伏勧告をした。いずれは、今の王から離れて自らの群れを率い、王国を本当に作るつもりだったのかもしれない。
だができなかった。シャルロッテは気付いたのだ。ここに集まる敵は多く、味方は誰もいないことに。まだ全滅してはいないかもしれないが、この戦は負けだと。そして自分の運命もここまでだと。
「――それでも、戦いを止める理由にはならないわ」
「なぜ?」
「なぜなら、私は戦士だから。オークであること以上に、戦士だから。惨めな豚じゃあなくて、戦士として生きて死にたいからよ!」
再び気力十分で闘志をみなぎらせるシャルロッテを見て、もう滑稽だと馬鹿にする者は一人もいない。ダンダに全員負けた親衛隊は無言で涙を流し、ミレイユもはっと息を飲むような眼でシャルロッテを見つめ、ジェミャカも何も言わず、ただヴァトルカの方を見た。
そのヴァトルカは無言でジェミャカに頷き返し、ジェミャカはただ本当に残念そうにため息を吐いた。
「あんた、凄いわ。本当に凄い。だからこそ、残念」
「?」
「これは戦争なの。私たちの傭兵団の団長が何度も言い続けたわ。これは戦争だと。傭兵の依頼でもなければ、戦いですらない。戦争なのだと。私たち、一部の戦士と隊長格は何度も戦争の心得を指導され続けた。そして、あなたのような強敵が現れた時の対処と、敵陣深く切り込んだ時のような局面を想定した策を何度も指導されている。そう、切り札――というにはあまりにひどい暴力かもしれないけど」
シャルロッテはジェミャカが何を言っているのかを判じかねて、自分の失敗に気付いた。判じる必要などなかった。必要なのは行動。そう、いつの時も行動することこそが打開策だったのに、あまりに次々と素晴らしい対戦相手が出現するせいで、闘争本能にいつの間にか引っ張られて忘れてしまっていた。
自分の背後にいるのは、イェーガーの兵士ではない。風の幻術で創られた蜃気楼や、ただの土塊。それが銀の戦姫たちが仕掛けたことだと、シャルロッテは今理解した。いつの間にか本物の兵士はいなくなっており、空には天馬が数体、列になって旗を振っている。そしてジェミャカとミレイユの背後には――
「しゃるろって、覚悟!」
先ほどまで使っていた剣ではなく、腰の剣――凄まじい存在感を発揮するようになった魔剣を振りかぶるエメラルド、が剣を振り下ろす瞬間だった。そして目の前にいたはずのジェミャカとミレイユの姿すら、蜃気楼のように掻き消えた。
シャルロッテの叫び声こそ雷鳴の轟きと良い勝負をしようとしたが、その姿は雷光の中に消えていったのだった。
***
「おう、ついに使ったか」
地面を走る雷鳴の音と光を見て、ラインはイェーガーを指揮しながら安堵とも懸念とも取れる独り言を発していた。
それを聞きとめたダロンが、すっと傍に立った。
「凄まじい轟音だ。インパルスか」
「そうだな。1回か2回は使うんじゃないかと言われていたが、思ったより遅かったな」
「3回目を使うことがあれば――」
「その時は負け戦と判断して逃げろ、だったな。まぁそこまでの敵がいなくて何よりだった」
ラインはこともなげに言ったが、おそらくは先程の強力な魔王たちが生きていればもう1、2回は使わざるをえなかったはずだとダロンは考える。その回数を減らしたのは、ライン当人である。
わかっていないはずがない。そしてこともなげに言い切る副団長を頼もしいと思いつつも、さらには戦争でインパルスを発動させて味方が巻き込まれないような方法を取っている団長がさらに素晴らしいと思う。
ラインが戦場を横断して消えゆく雷鳴を見ながら、呟いた。
「天馬で射線を誘導し、威力を調節したインパルスの発動か。1日3回撃てるように、ちょくちょく練習してたもんなぁ」
「何もない砂漠での訓練のことか?」
「ああ、時に演習と称して行ってたろ? 本当に部隊での演習もしていたけど、主な目的はインパルスの運用と練習が目的だってアルフィリースは言ってたぜ。いずれ切り札になるからと。あとはコーウェンが作っている兵器とかな」
「ああ・・・道理で中々呼ばれないと思っていたら」
ダロンが一年以上前から繰り返された演習を思い出す。隊長格が何度も呼ばれ、また度重なる演習だったはずだが、自分は一度も呼ばれたことがないからだ。
ラインはくるりと振り返ると、もう興味はなくなったとでも言いたげに動き始めた。
「ま、そういうことだ。本当は敵の本陣ごと薙ぎ払うつもりだったんだろうけど、そうするほど余裕のある相手じゃなかったようだな。こっちよりも強力なオークがいたらしい」
「本当か? 援護に行かなくていいのか?」
「今ので終わっただろ。俺やアルフィリースがいなくても、それができるくらいにイェーガーが成長したってことだよ。それに状況はセンサー経由で伝わってきている。もう俺たちの援護は必要なかろうぜ。さ、ダロンにも追撃部隊に加わってもらおうか。こっからが面倒だぞ」
「待て、そちらの戦況も状況を把握していたのか?」
「当然だ、今は俺が前線の指揮官で、コーウェンがアルフィリースの代わりに後方で指揮を執っているからな。もうすぐ後詰の元気な連中がくる。そうしたら前衛と入れ替えて追撃戦だ。可能なら陽が沈む前に終わらせようぜ。夜の戦闘はどれだけセンサーがいても、被害が出るだろうからな。できりゃあ死体となったオークを焼いて回るくらいの作業にとどめたいもんだ」
「あ、ああ」
当然のように残敵掃討をするために欠伸をしながら向かうラインを見て、イェーガーの戦のやり方は今までとはまるで違った方法を取っているのだと、ダロンも実感し始めた。アルフィリースはいったい何と戦うつもりでこの傭兵団を組織しているのか。黒の魔術士やオーランゼブルとだけではなく、それ以外の何かを想定しているのではないかと、この時ダロンはふと考えたのだった。
続く
次回投稿は、10/11(月)11:00です。