百万の魔物掃討戦、その12~前哨戦⑫~
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オークの軍を蹴散らしながら進むグルーザルド軍。既に敵陣の半ばを食い破り、後陣に襲いかからんとする勢いの中、老練の獣将カプルの毛深い眉がぴくりと反応した。
かつて若い頃より最前線ではなく、先頭の後詰として二番手を務めることが多いカプル。種族の特徴でもあるが、視野が広く夜目もきく彼は自然と偵察や全体を見渡す機会が多くなり、だからこそ暴走する仲間や若手を後方から支え、そして獣将として最古参となるほど長く務めることができた。
次の古株である宰相のロンが、新人であったころから知っているカプル。長らく戦場にいることで発達する勘が、戦場の空気の変転を告げていた。
「進軍速度が落ちるのぅ」
アルフィリースの采配だろうが、グルーザルドを主攻とした軍の動かし方は見事だった。普通は大軍を相手にすれば、左右から包囲されすり潰されるはずだが、それもなくイェーガーの後詰がグルーザルドの動きを活かすために動いてくれている。
そのおかげで被害もろくになく進撃している現状を、理解している獣将が果たして何人いるのか。だがそれほどの助力があっても進軍速度が落ちるとなると、話は単純。相手が強くなったのだ。
ドライアンが率いるグルーザルドの動きを鈍らせる連中がいる。それだけで次の行動に映るべきだと、カプルの勘が告げていた。
「さて、どこから崩すべきか」
「申し上げます!」
カプルの意図を察している烏族の偵察兵たちが、次々と舞い降りてくる。空から敵の様子を見ていたのだろうが、それにしても早かった。まだ指示は飛ばしていないはずだが。
「苦戦しておるようじゃが、何事か?」
「はい、苦戦しておりますが・・・その」
「なんじゃ」
「本陣の軍師殿から天馬騎士を使って伝令がありまして・・・そのまま難しいことを考えず後詰まで全て投入し、総力で押し切れと」
「なんと!」
まるでカプルの胸中を察したかのような間合いでの伝令と、連絡。改めてドライアンがアルフィリースに一目置く理由がわかった気がする。
そして伝令が続けた。
「さらに、注意すべきは魔術。その対策を怠らぬようにとのことでした」
「魔術とな? オークが、魔術? そう、軍師殿が申したのか?」
「はぁ・・・どうにもそのようで」
それは魔術士はいるだろうが、グルーザルドの先鋒を止めるほどの魔術士がオークの中から生まれるだろうか。ここまで来てもカプルには半信半疑だったが、アルフィリースの手腕を見た今、従わないわけにはいかなかった。
「先陣は今、バハイアだな?」
「はい、ウマ族バハイア殿が務めています」
「ならば伝令用の後陣を待機させているはずだ。彼らに伝令を送り、魔術士対策用のローブを持たせるが良い。急げよ」
「はっ!」
伝令がせわしなく飛び回るのを見ながら、カプルは順調すぎるほどのここまでの戦いに不安を隠せないでいた。
「(経験豊富なグルーザルドといえど、大魔王と対峙したことはない。それが何を意味するのか、こればかりはロンに聞いてもわかるまいな。こういうときにゼルドスがいれば頼もしいのだろうが)」
カプルは順調なはずのこの戦いに、まだ何か不吉な影がよぎっているような気がしてならない。こういう時に臨機応変に戦えるゼルドスがいないことを悔やむカプルだった。
そのゼルドスは当然、ブラックホークの4番隊を率いているわけだが。戦闘の手がぴたりと止まったことに、他の隊員が訝しむ。
「隊長、どうなさったんで?」
「・・・やめだ、やめ。ちょっと休憩するぞ。4番隊、集合!」
ゼルドスの掛け声に、血に酔いしれるが如き戦いを見せていた4番隊の狂奔がぴたりと止まる。独りだけ、副隊長のラッシャは他の者に抱えられるようにしてようやく連れてこられた以外は、素早い集合だった。
羽交い締めにされるように連れてこられたラッシャを見て、ゼルドスが苦笑いした。
「やっぱり『血まみれラッシャ』は健在だなぁ、おい」
「るせぇ、止めんじゃねぇ! あいつら全員ぶっ殺さねぇと気が済まねぇんだ! あの豚頭共のムカつく駄肉を削いで削いで、ケツと口からねじ込んだ後に腹に一撃食らわせた時のあの滑稽な悲鳴が聞きてぇんだよぅ!」
「ちょっと落ち着け、お前」
ゼルドスが遠当てでラッシャの頬を殴ると、暴れていたラッシャがはたと我に返る。
「・・・あれ、もう終わったんですかい?」
「な、こいつあぶねぇ奴だろ? 戦闘中は近寄るなよ?」
ゼルドスがラッシャのかつてを知らない新米たちに向けて説明すると、蒼ざめた獣人たちが高速で何度も頷いていた。
ゼルドスは自分たちが引いた後に宣戦を引き受けてくれたイェーガーの後詰の動きを見ながら、ふぅと一息ついていた。
「・・・半ば放棄みたいな戦闘中止をしても、咎めることなく補うのかよ。なんつー練度の高い傭兵団だ。いや、あそこにいる指揮官が優秀なのか?」
「ヴェンとか言ってましたね」
「あれが大隊長くらいなんだろうが、それにしてもそれ以下の指揮官も優秀だぜ。俺が軍にいた頃に戦った人間の国に、こんな練度の高い部隊はなかった。こいつらが相手だったらと思うと、ちょっと厳しいな」
「かといって、ヴァルサスを止められるとは思いませんがね」
「まぁそうだが」
隊員の意見にゼルドスも納得したが、その当のヴァルサスがゼルドスのところに引き返してきた。
それを予測していたかのように、ゼルドスがヴァルサスに軽食と水を放って寄越した。
「どうした、ゼルドス。突然前進を止める理由があるのか」
「まぁな。どうせ相手の中軍は壊滅だ。潰走している相手を追いかけるのは、他の連中にやらせときゃいい。俺たちのこの後の戦いに備えて力を蓄えるべきだぜ」
「この後・・・後陣の化け物共か」
「さすがに勘付いていたか」
ゼルドスが水を飲み干した。ゼルドスは手ごたえと事前の調査で相手の力を測るが、ヴァルサスは空気だけで何が起こっているか、これから起こるかを読み取る。その能力は、ほとんど未来予測にも近い精度を誇ることもあり、ヴァルサスが一度戦う手を止めたということは、やはりそういうことなのだろうとゼルドスも確信した。
ヴァルサスも水を飲み干しながら、軽食に齧りつき始めた。ヴァルサスが戦闘中に軽食を手にするのは珍しいことだ。必要なら何晩でも不眠不休で戦う男が、ここまで相当消耗しているのだろう。もうオークの首は数百を刎ねているはずなのだから。
ヴァルサスが語る。
「そういえば、西側で大魔王の逸話を聞いたのだが」
「うん、逸話?――ああ、そうか。西側には古い物語がまだ残っているんだな」
「ああ。大魔王というのは単に力ある魔物にあらず。力だけなら辺境の魔獣の方に厄介なのがいるが、軍を率いて初めてその真価を発揮するのが大魔王だそうだ」
「つまり?」
「大魔王の軍では、見たこともない亜種や進化種が出現する。しかも複数。それらをまだ一度も見ていない。おそらくは、後陣にいるのだろう」
ヴァルサスの言葉に、周囲の4番隊がごくりと唾を飲んだ。この規模の軍勢に加えて、まだ見たこともないオークたちがいる。その事実に、緊張しない傭兵は誰もいなかった。
続く
次回投稿は、9/17(金)13:00です。