ピレボスにて、その9~大戦期の真実~
だがクローゼスはゆっくりと首を横に振った。
「いや、お断りしよう。私はなんといっても修行中の身。お師匠の許可なしに勝手な事はできない。決して事態を軽く見たわけではない事を、わかって欲しい」
「ええ、それはもちろん。貴女は表情に乏しいけど、薄情な人間でないことはわかっているつもりよ」
「・・・フ」
クローゼスがまた少し笑ったので、アルフィリースは満面の笑みで返した。
「じゃあクローゼスはどうするの?」
「お師匠が返るまでは、ここで門番さ。心配しなくても、そなた達を送って行くくらいの事はしよう」
「恩に着るわ。それで、やっぱり北の大地を隔離した理由は話してもらえない?」
「それだけは無理だな」
クローゼスが言いきったので、アルフィリースは諦めたようだった。だが、グウェンドルフは納得がいっていないようだった。それは大魔王がうんぬんというよりは、自分に報告をしない者がいることに腹を立てたのかもしれない。
「若き魔女よ、問おう。テトラポリシュカは生きているのか?」
「・・・封印しております」
「それは返事になっていないぞ、若き魔女よ」
グウェンドルフが段々と苛立ちを露わにして来た。だがクローゼスの冷静さは崩れない。
「私の方から申し上げることはこれ以上ありません。私より4代前の魔女のしたことですので」
「だからといって責任を棚上げできるとは思っていまい? 私に話してまずいようなことなのか」
「恐れながら、この命断たれようとも、私が一存で話して良いことではありません」
クローゼスの言葉は静かだが、氷のように鋭さがあった。口調こそ穏やかだが、その言葉には「たとえ真竜相手でも一切話す気はない」という意味を込めたのが、アルフィリースにもはっきりとわかった。もちろんグウェンドルフにも分かっていることだろう。その言葉に、珍しくグウェンドルフが苛立ちを露わにした。
「私に話すことは一切ないということか、若き魔女よ。テトラポリシュカの存命は、これからの戦況に多少なりとも影響をもたらすだろう。不確定因子は一つでも多く知っておきたい」
「恐れ多いことですが、それは叶わぬ事かと。これ以上問われるようでしたら、私は記憶を読まれないように、頭を吹き飛ばして自決する必要があります」
「それは脅しか?」
「事実です」
「はいはい、そこまで!」
徐々に険悪な雰囲気になってきた二人に、アルフィリースが割って入る。
「グウェン、無理に問いただすのはよくないわ!」
「む・・・」
「クローゼスも。物騒な事言わないの、わかった!?」
「・・・いいだろう」
アルフィリースが割って入ったことでグウェンドルフもクローゼスも黙り、沈黙が場を包む。グウェンドルフは思わず熱くなりかけた自分の頭を冷やす。そしてクローゼスが考えている事は、また口論の内容とは別だった。
「(アルフィリースとかいうこの娘・・・グウェンドルフ様に対等の口をきくだけでも凄いのだが、色々と引っかかる点が多い。呪印を2つがかりで御しきれぬ魔力の強さといい、一体何者なのか。そして、何より・・・この私が普通に会話をしているではないか)」
これは誰も知らないことだが、クローゼスは非常に無感動な人間だった。いや、少なくとも自分ではそう思っていた。生まれてからこの方、感動した事もなければ、感謝した事もない。おいしいのものを食べれば美味しいとは思うのだが、「だからどうした」という感情が先に立つ。要するに、何をしても心がゆり動かないのだ。そしてその事を彼女は不幸だと思った事もない。ただ自分はこういった人間なのだと。
それはある意味では魔術を扱う上で、最高の素養となる。両親や周囲が何をしても無表情、無関心だった彼女は疎んじられ、半ば手放されるように魔女の元に引き取られた。それがクローゼス6歳の時である。それから15年。まだ魔女としての修業年数は非常に短いが、彼女は類い稀な才能で、既に師匠を上回る程の実力を身につけている。水や氷の精霊と相性が良いのは、自分の性格と関係しているのだろうと、クローゼスは自己分析していたのだ。
その自分が、さきほど笑ったのだ。しかも二回も。人生で笑ったことなど数えるほどしかないだろうに。さらに、クローゼスは内心ではアルフィリースともっと話してみたいと思っていた。
「(これはいったいどうしたことか、私の心がこれほどざわめくとは。私が他人に興味を抱く日が来るとはな。だが、思ったよりは悪くない)」
そのような感慨にクローゼスは耽りながら、まだ目を覚まさないアルフィリースの仲間達の様子を見に行くのだった。
***
その後全員が無事に目を覚ましたが、ほとんどの者が凍傷を負っていた。その治療にユーティ、クローゼス、ミランダはかかりっきりであり、暇を持て余すアルフィリースはイルマタルと遊んだり、クローゼスの本を読んだりして時間を過ごしていた。
全員体自体は元気なので、ゆっくりと体を休めながら会話などをして過ごしていたのだが、全員が驚いたのはアルフィリースの本を読む速度だった。
クローゼスの住処の内、一室を埋めるほどの本の量があったのだが、アルフィリースは凄まじい速度でそれを読破してゆき、ほどなくしてアルフィリースの横には本がうずたかく積まれていった。適当に読んでいるのかとミランダが本の内容ついていくつか質問してみると、アルフィリースは本を読みながら上の空で正解を返すのだった。どうやらアルフィリースは、相当に勉学の方は進んでいるらしかった。彼の師匠であるアルドリュースが大陸で有数の学者であった事を考えれば、ある意味当然だったかもしれない。アルフィリースに自覚はないが、この時代の女性において、彼女は正規の教育を施される王族以上の知識を蓄えていたのだった。
そして時間さえできれば、アルフィリースはクローゼスが趣味で作っているお茶を飲みながら、彼女と氷の魔術について語り合っていた。もちろん真面目な話から発展して、いかに自分が不遇な扱いを受けるかなどの非常にくだらない話までアルフィリースはするのだが、クローゼスはそのように合理的でない話を嫌がらない自分に驚いていた。
さらにクローゼスは他の仲間とも話が合った。ユーティとは属性が同じだし、魔女と妖精は元々縁が深い。エアリアルとは精霊のことについて聞かれるし、ラーナとはフェアトゥーセのことについて話し合う。そのようにして、彼女達の怪我が癒える実に三日間ほどの間で、クローゼスはこれまでの一生分よりも多く言葉を話したのではないかと言うほど、おしゃべりをしていたのだった。
そして全員が全快した四日後――
「全員傷は癒えたようだな」
「ええ、おかげさまですっかり」
全員、既に動くことに何の支障もなくなっていた。本来なら数週間は完治までかかるのだが、クローゼスの処置が的確だったのと、ユーティ、ラーナ、ミランダが懸命な処置を施したのは言うまでもない。
だが外はまだ吹雪である。一時期よりはましなようだが、視界が5mときかないことに変わりはない。
「どうしようかな・・・」
「急ぐのか?」
「まあ、早い方がいいよね」
アルネリア教会に報告をすることを考えると、ミランダとしてはすぐに出発したいところだった。
「この吹雪は、まだ2週間は続くな」
「その間ここに釘付けかい? それは困るな」
「だが、急ぐというなら私が送ってしんぜよう」
クローゼスは飲んでいたお茶を一気に飲み干すと、がたりと席を立つ。
「この吹雪の中、どうやって?」
「吹雪だからこそ良い。むしろ晴れた方が厄介だ。雪崩も起こるし、雪に覆われて地面か空中かもわからん部分が崩れやすくなる。地面のつもりが、谷の合間に積った雪の上を歩いていて荷物の重みで谷底に真っ逆さま、なんてこともありうる」
「・・・それはいやよ」
アルフィリースはその光景を想像して身震いした。
「慣れぬ者に雪山は厳しい。一見平坦でも、雪の下はわかったものではないからな。まあだからこそ、ここは北と南の行き来を遮断する場所足りえるのだ。実際にここから北に向かうためには、年中雪に閉ざされた山をいくつも越えないと駄目だからな」
「それはいいけど、どうやって送ってくれるの? 聞いた話だと、ここは結構北側なんだよね?」
「私は近道を知っている。歩いても一日で雪のない場所までは送れるよ。では善は急げと言う、すぐに行こうか」
そうして壁にかけてあったマントをふわりと纏うと、そのまま外に向かおうとするクローゼス。
「ちょっと、クロー? そんな恰好じゃ・・・」
「また私の名前を略したな、アルフィリースよ」
「いいじゃない、別に。そんなことより寒くないの?」
アルフィリースの質問も尤もである。クローゼスの恰好は短いスカートに足首より少し長いくらいのブーツ、どう見ても薄い生地の長袖である。それに腰までの短いマントを羽織って、何が変わるというのか。
だが心配そうなアルフィリースを見て、クローゼスは不敵に笑う。
「氷原の魔女を舐めるなよ? 吹雪ごとき御しきれぬで、どうして氷の極みに近づけようか」
「クローはよくても、私達は凍死するんじゃ・・・」
「それも心配いらん。だが、私の後ろをぴったりくっついてくるように。そうでなければ、どうなっても知らんからな」
クローゼスはそれだけ言い残すと、さっさと外に出て行った。やむなくアルフィリース達も彼女に続く。
「さ、寒い!」
「全員来たな? ではまいろうか」
全員が外に出ると、クローゼスがくるりと背を向け歩きだす。アルフィリース達も続くが、歩きだすと不思議と寒さが和らいだのだった。
「あ、あれ?」
「そなた達の周囲だけ、吹雪と寒さが届かぬようにした。だが私からあまり離れると寒いぞ?」
「わかったわ」
クローゼスの力に感心しながら、馬に乗ったり、あるいは歩いてクローゼスの後に続くアルフィリース達である。
そうして竜巻のような吹雪の中を歩くアルフィリース達。会話をしようにも風の音が凄まじく、隣のミランダの声さえ聞こえない。前を行くクローゼスの背中だけを見つめて歩くだけの時間が、いったいどれほど流れただろうか。
周囲の風の音が山や谷で反射するのか、まるで巨大な猛獣の叫び声のように聞こえる。最初はアルフィリースも気にも留めなかったが、それだけしか聞くものがなければ嫌でも気になってくる。
「(ううう、不気味だよ)」
アルフィリースがそのように思い始めたちょうどその時、クローゼスがピタリと足を止めて振り返る。
「空腹だな。食事にしよう」
不思議な事に、暴風の中でもクローゼスの声はよく通る。そしてどうしてそこにあるとわかるのか、小さな洞穴にアルフィリース達を誘導した。
「よくこんなところに洞窟があるってわかるわね」
「何、この辺はよく歩いているからな。地形くらい覚えているさ」
「それでも視界はきかないでしょ?」
「歩数で測っているんだよ」
そのようなやりとりをしながら、それぞれが軽食を腹収めていく。
「ねえ、クロー?」
「なんだ、アルフィリース」
クローゼスも、もはや自分の呼び方を訂正させることは諦めたようだった。切れ長の目をきろり、とアルフィリースに向け反応する。昔はその目つきだけでも自分を怖がった人間がいたなとクローゼスは思いだすが、アルフィリースはその程度ではクローゼスを恐れない。クローゼスがアルフィリースと話しやすいと感じる理由の一つだった。
「やっぱり私の仲間にはなってくれないかな?」
「その話は断ると言ったろう」
「そっかぁ・・・」
目に見えてアルフィリースがしょんぼりとしたので、クローゼスもさすがに不憫に思う。そのような心情の変化自体が、今までのクローゼスには無かったことだった。
「そこまで私の力が欲しいのか?」
「そうだよ?」
「なぜだ? 探せば私より優れた魔術士、魔女は沢山いるだろう。私である必要はない」
「うーん、でも私はこの出会いに、なんだか運命的なものを感じるんだよね」
アルフィリースが真剣な顔をして言ったので、クローゼスが目を見開いて驚いたような顔をした。
「臆面もなくそのような事をよく言う。口説き文句のようだな」
「仲間にするために口説くっていうなら、その通りかもね。念のために言っておくと、私にそっちの気はないわよ?」
「どっちの気だ」
「ふふふ、さあね」
笑って返すアルフィリースに、クローゼスが真剣に考える。
「(私がアルフィリースに興味を持っているのは、もはや疑いようがない。正直なところ、雪原に籠っているのは好きだ。余計な雑音もないし、氷の精霊と戯れるのは悪くない。少なくとも、人間よりは随分ましだ。だが・・・アルフィリースという存在を知ってしまった以上、人間も私が思うより悪くないのかもしれない。アルフィリースが死ぬまでは私は生きるだろうし、雪原で一人氷の精霊と戯れるのは彼女が死んでからでもいいかもしれないな。さて、どうするか・・・)」
クローゼスはアルフィリース達全員の顔を見渡しながら考える。
続く
次回投稿は5/26(木)10:00です。