大戦前夜、その29~ドードーとカトライア③~
今度はドードーがカトライアを止めるように肩を掴んだ。
「カトライアよぅ、からかってやるなよ。悪い癖が出てるぞ?」
「あらいけない、可愛い子を見るとつい」
口に手をあてる仕草すら蠱惑的。隣にいるとどうにかなりそうだと考えたアルフィリースは、ラインの背後に隠れた。
「なぜ俺を盾にする」
「得意でしょ、こういうの」
「俺のことを何だと」
ラインが頭をかきながら呆れていた。そしてブラウガルドが頃合いかと見て、声をかけた。
「なかなかに楽しい挨拶だったが、これで互いの人となりは知れたかな?」
「まぁ、上手くやっていけそうではあるぜ」
「右に同じく」
「よかろう」
ブラウガルドがアンネクローゼを目で促した。
「これからのおおよその行動を説明しておく。ミュラーの鉄鋼兵とフリーデリンデの各隊はブラウガルド兄上の指揮下で動くが、イェーガーは私の指揮下で動いてもらう。傭兵を組み込んだ軍の総勢は地上部隊30000、傭兵で20000、飛竜が2000に天馬が500と――」
「あ、先に一つだけ。私がこの合従軍の軍師に任命されましたので、そこのところよろしく」
アルフィリースがアンネクローゼの話の腰を折ったが、唐突な話にアンネクローゼも他の者も目をぱちくりとさせていた。
そして数瞬の後、アンネクローゼが不満そうにアルフィリースをなじった。
「・・・聞いてないぞ、そんな話は」
「だって、さっき決まったし。合従軍の総指揮官がドライアン王なのは知っているでしょう? 彼に任命されたわ」
任命されに行ったことは黙っているアルフィリース。リサもラインも当然、おくびにも出さない。
アンネクローゼは困ったようにブラウガルドの方を見たが、彼は表情を変えず淡々とアルフィリースに質問した。
「それでは、君が我々に指示を出す立場になるのか?」
「いえ、ドライアン王は無理に戦術を合わせるよりは、各国の特徴が活きる戦い方をすべきだと」
「つまり?」
「担当する局面を決めて、それぞれのやり方で攻略するってこと」
「なるほど。では連携はどうする?」
「副長のラインに部隊を預けてローマンズランド側につけるわ。私はドライアン王の近くで指揮を執ります」
その回答をしばし吟味したブラウガルドだが、やがてゆっくりと頷いた。
「・・・まぁそれが妥当か。いいだろう、一度諸侯が会合した段階で担当する局面を決める必要がありそうだな。合流はどこで?」
「北部商業連合を抜けた、最前線の砦カストラーダの前の平野で。その辺りの敵勢力はブラックホークやカラツェル騎兵隊が一掃していると聞いています。ローマンズランドもその辺りに布陣しているのでは?」
「よく知っている。いいだろう、そこで待つとしよう。ならばここに長居は不要だな、戦略を練り直す。アンネ、ドードー、カトライア。行くぞ」
ブラウガルドの行動は早い。ドードーは白い歯をにかりと見せて、カトライアはウィンクをしてその場を去り、アンネクローゼは少し名残惜しそうにその場を去った。
彼らが去ったあと、ラインが背後のアルフィリースを振り返るとその表情はさきほどまでの動揺が嘘のようにすとんと表情が抜け落ちており、本当に動揺していたわけではないことが見て取れた。
「・・・さっきまでのは演技か?」
「いえ、カトライアが美人過ぎて動揺したのは本当。半分は、あまりに上手くいったから思わず笑ってしまうのを堪えられそうになかったから」
「悪い顔になっていますね。何がうまくいったのですか?」
「カトライアからお遊びの約束をいただけたことよ」
リサとラインが思わず顔を見合わせる。
「アルフィ、あなたまさか・・・」
「違う違う、戦場での輜重隊のことを考えていたわ。前回の戦いでも少しそういう話は出たし、長期戦ではその・・・必要でしょう、娼婦のような役割が。私にはさっぱりわからないけども」
「ああ、いた方がいいだろう」
アルフィリースが冷めた目で話していることに、ラインは安堵を覚える。女だからとここで動揺したり突っぱねるようだと、後々面倒なことに発展しそうだと思っていたからだ。
リサがぽんと手を打って納得した。
「ああ、フォルミネーに頼んでいたのはそれですか」
「ええ。ターラムの娼館ギルドに見繕ってもらって、良さそうな女性を給仕や後方支援も兼ねて数百人借りる予定だったわ。ただ最前線までついてきてもらえる人に関しては数が少なそうで、困っていた時に向こうから話を持ってきてもらえた。どのみちフリーデリンデにはお願いするつもりだったから、渡りに船ね」
「フリーデリンデの協力が得られなかったら、どうするつもりだったのですか・・・ああ、それで」
リサがしばらく前にアルフィリースに命じられたことを思い出した。新規入団者は素行調査を事前にしている。アルフィリースが特に念入りに調査させたのは、犯罪歴がないかどうかと、苦しい時に身を投げ打ってでも稼いだかどうか。特に女の傭兵はどうしていたかを聞いたのだ。
ギルドの表には張っていないが、どうしても金銭的に苦しい女傭兵はギルドに頼むと、そういった行為込みでの依頼を斡旋してもらえることもある。そしてそういう行為が可能な傭兵に関しては、ギルドもある程度把握している。
リサは新入団員に関してそう言った経歴があるのかどうか、リサに調査を依頼していた。
「今回の人選に使いましたね? なぜそれを」
「それは――」
「俺の提案でもある。今度の戦は、相当悲惨なことになる可能性があるからな」
ラインがアルフィリースを庇うように発言した。リサは少し意外そうに問い返す。
「言い訳を聞きましょう」
「今回の遠征、最終的には5000名ほどに絞るつもりだ。選考基準は二つ。忍耐強いこと。そしてイェーガーに対する愛着、もしくは傭兵として命をかける覚悟や理由があるかどうか」
「忍耐強いとは?」
「籠城戦ができるかどうかだ」
「・・・なるほど。では後者は」
「イェーガー以外に行き場がない。たとえばイェーガー内やアルネリアの住人と結婚していたり、俺やアルフィリース、他の幹部に心酔しているような奴。そういう連中をせめて四割は入れておきたい。そうすりゃ土壇場の裏切りや脱走の可能性を最後まで減らせる」
ラインの説明は納得できるものだと思われたが、判断のしきれないリサは小さく唸った。それを見たラインはなおも続けた。
「籠城戦はイェーガーにはおろか経験のある傭兵はほとんどいないだろうが、悲惨なものだ。補給戦がしっかりしてくれるうちはいいが、主導権はいつも攻める方にある。いつ襲われるか、地下から攻めて来るのか、夜襲をかけて来るのかわからん毎日に精神が少しずつ削られていく。孤立した状態での籠城戦なんかはもっと悲惨だ、飢えとも戦うことになる。アレクサンドリアでは国を守るために戦っている軍人でさえも、長期の籠城戦では発狂する奴がいた」
「それを解決するのが娼婦だと?」
「だけ、とは限らんが一つの案ではある。酒でも賭け事でもいいがね、女の肌が落ち着くって奴は多い。ディオーレ様ですら、長期の遠征では考慮していたくらいだ。これは仲間の女騎士を守るという意味合いもある」
イェーガーの三割近くは女傭兵だった。たしかに一考の余地がある考えだとは思われる。ラインは声の調子を落とす。
「そして最後に一つだけ。たまに戦場でも女も酒も遊びもいらんと言い切る奴がいる。そう言う奴は要注意だ」
「どうしてです?」
「戦いは手段であって、目的じゃない。だが戦いそのものが目的となった奴は、どんな過酷な戦いでも耐えることができる。戦場においては頼もしいだろう。だが一度戦場を離れれば――特に平穏な時においては毒をまき散らす存在にしかならん。必ず平穏を乱す。戦争の中でそういう変化をきたす奴がいる。仲間をそうさせたくはない」
「なるほど、納得しました。アルフィリース、最後に一つだけ。フリーデリンデが駄目だった場合のことを考えて、仲間を選抜していましたね?」
リサの質問に少し間を置いて、アルフィリースが答えた。その目の光は暗く濁っており、クローゼスは思わずぞくりとしてしまった。
「当然でしょう。残酷な決断をしないのが一番だけど、そうしないといけない時もある。1を殺して9が助かるなら、私は迷わずその選択肢を取るわ。最悪、ロゼッタにその役割をさせるつもりだった。軽蔑する?」
「いえ、逆に安心しました。頭の中がお花畑よりもよほど良いでしょう」
「聞きたいことは以上か?」
「ええ」
「なら俺たは少し打ち合わせをしてから寝る。明日朝一番でターラムに戻るから、お前らも早く寝ろ」
ラインとアルフィリースはそのまま話し合いながら部屋を出て行った。残されたクローゼスが身震いするのを見て、リサがその背を優しくさする。
「怖いですか、アルフィが」
「・・・ああ、正直怖かった。だが一軍を率いる指揮官とは、あのようなものなのか」
「全員がそうではないでしょうが、そういう決断を迫られることもあるでしょう。アルフィは頭が回りますから、あらゆる残酷な想像をしているはずです。おそらくは私が死んだり、あなたが死ぬような場合のことも考えているでしょう」
「ラーナが言っていた、最近は再び夢見が悪くなっているようだと。アルフィは眠れぬ夜が続いているらしい」
「だから私たちがいます。彼女の負担を減らしてあげましょう。今アルフィの周りにいる人間は、皆そのつもりですよ。アルフィがそのことを忘れぬように、ね」
「そうか、そうだな・・・」
言い様のない不安はクローゼスの胸にわだかまったままだが、アルフィリースの不安はその比ではないだろうと思っている。早く彼女が安心して眠れる夜がくればいいとクローゼスもリサも考えていた。
続く
次回投稿は、8/20(金)15:00です。