後顧の憂い、その9~吸血種の王⑧~
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翌朝。
ブラドは常闇の宮殿の誰よりも早く起床し、朝日を浴びていた。常闇の宮殿の『城』はブラドの魔力ありきのことなので、当然ブラドの意志一つで常闇の宮殿にも朝陽は射す。
とはいえそれも数十年ぶりのことであり、ブラドは陽光のあまりの眩しさに袖で顔を隠すと、ため息をついていた。常闇の宮殿の配下には陽光で致命的な傷を負う者もいるが、ブラドは多少魔力が弱まる程度で、なんらかの実害を及ぼすことはない。ことはないが――
「君を思い出すのは、ひどく堪えるよ。レンドラ・・・」
太陽を見て思うことは一つ、太陽のような愛しき寵姫を思い出してしまうのだ。
元々太陽が好きなわけではなかったが、レンドラを失ってからは二度と見たくないほどに太陽を憎むようになった。常闇の宮殿の城を強化し、外との関係を断ったのもひとえにレンドラを失った衝撃が大きい。
外の世界の出来事には興味がない。魔王もアルネリアも、最近勢力を伸ばしているという黒の魔術士なども好き勝手やればよいと思う。シモーラを始めとした管理者や、旧世代を生きた知恵ある種族がほとんど姿を消した今、今更何が変わるものではないとブラドは諦観をもって世の中を眺めてきた。
その中でただひとり、ブラドに希望を持たせたのがレンドラという女性だった。好奇心の強い女性は、かつては斥候役として傭兵ギルドに登録していたということだった。山育ちの彼女のスキルは非常に高く、冒険者としては一流ではないが、二流というには高すぎるほどだったそうだ。
当時はまだ城を構築してこそいなかったが、それでも到達するだけでもギルドの高難度依頼だったはずの常闇の宮殿。そこに挑みに来た傭兵一行に所属していたレンドラ。貞淑とは程遠い素朴な彼女と、どうしてあのような関係性になったのいきさつは曖昧だが、誰が言いだしたか太陽のように輝く女性だったことはたしかだった。
彼女を失った時悲嘆に暮れたのは自分だけではなく、この宮殿の下働きに従事する者まで一人として涙を流さぬ者はいなかったのだから、不思議なものだ。
彼女を失った時、あまりの失意に彼女と成した子どもに対して何もできなかったのがいまだに悔やまれる。愛していなかったわけではない、むしろ彼女と引き換えに生を受けたようなものだから愛すべきだった。だが失意のあまりどのように接すればよかったのかもわからぬまま、自分を憎んで彼は去っていった。だがどうしてあそこまで憎まれたかはわからないままだ。
五千年以上生きていて、子育て一つままならないとはなんという暗愚かと、ただただブラドは恥じ入るのみなのだ。その感情をこそ、現在の寵姫以外は誰も知るところがない。
「私の最も苦手なものと好きなものに晒して手紙を見ろ、か・・・ワインが好きだったのはレンドラと出会うまでだな、ミリアザール」
ワインに浸した手紙を陽光に晒すと、文字が浮き上がる。魔術で防護し、封蝋を施し、そして手紙に細工をする。その厳重さと用心深さは変わらないなと思いながら、懐かしむようにその手紙を見た。
だがはたしてその内容を見た時、ブラドの表情が曇り、そして歯ぎしりをした。冷静沈着、諦観と共に生きる古き真祖の表情が、一つの手紙で動いたのだ。
「・・・なるほど、そう運命が回るのか。やってくれたな、オーランゼブル。知らぬわけではなかったろうに!」
ブラドはかつての空を焼く戦いで、共に戦ったハイエルフが熱弁を振るう様子を思い出していた。そしてその後の大陸の行く末を思い描き、生きとし生ける者を安んじようとする様子を見て、正義感に溢れた好青年だと思っていた当時の自分を、殴りつけたい感情に駆られながら。
どうするべきか――そんなことは決まっているとでもいいたけげに、ブラドは苛立ちを隠そうともせず、ブーツを高らかに鳴らしながら私室をあとにしていた。
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「同盟を成そう」
朝食の席で、食事もそこそこにブラドが切り出した言葉に、エルザだけでなく寵姫全てが息を飲んだ。数日もあれば色よい返事がもらえそうだと思っていたエルザだったが、驚きに思わずパンを詰まらせるところだった。それほどまでにブラドを動かすミリアザールの手紙に何が書いてあったのかも気になったが、それを知ることはエルザにはかなわない。
そして寵姫たちも誰もこの決定を知らなかったことが、彼女たちの表情ですぐにエルザにもわかった。永く生きた彼女たちが取り繕う暇もないくらい、ブラドの独断が異例だということがわかる。
開口一番異論を唱えたのは、イークェスだった。
「主様、本気でおっしゃっているのですか!? 私は何も聞かされていませんが」
「問題があるのか、イークェス。そなたがかつて所属していたアルネリア教会だぞ?」
「なればこそ、問題なのです! 私がアルネリアのことをどう考えているか、貴方様はご存じでは!?」
怒気を隠そうともしないイークェスに、ブラドが冷たく言い放つ。
「知っている。それでも同盟が必要だ」
「そんな――」
「落ち着くね、イークェス。我々は所詮主様の眷属。我々の誰もこの決断を聞かされていない、そうだね?」
冷静なドルネアが他の寵姫を見回し、それぞれが沈黙をもって答えた。昨日はやや殺気立っていたシルメラでさえ、冷静に口を拭いながら聞いていた。
ブラドはイークェスがすとんと席に座ったのを見て、さらに続けた。
「エルザ殿、可能であれば軍事同盟にしたい。我々の部隊をアルネリア、もしくは近郊に常駐されることは可能か?」
「――それは」
「おいおい、主様。本気かよ?」
この決定にはサミュドラやディアマンテすらも目を剥いた。ドルネアは同じく目を剥こうとして、質問する手を止めた。
エルザが躊躇いがちにイライザの様子を窺うと、冷静に頷く反応だけがあった。そしてエルザは頷いたのだ。
「この一件に関しては、ほぼ最高教主と同等の権限を与えられています。軍事同盟の件は了解いたしました。ではそちらの部隊でアルネリアに常駐させたい者が決まりましたら、目録をお願いいたします。我々も同じく作成しますゆえ」
「アルネリアの中か、外か」
「中であれば、深緑宮にさすがに常駐させるわけにはまいりません。聖化された城下町が嫌でなければ、イェーガーという傭兵団の敷地内はいかがでしょうか? 近くにシーカーの居住区画もありますし」
「シーカーの? 随分とアルネリアも柔軟になったものだな・・・それでよかろう」
「ではそのように」
そしてシルメラがすっと立ち上がると、腰に佩いた剣をどん、と床についた。
「主、私が行こう」
「いいのか?」
「辛気臭い宮殿と、変わらぬこいつらの面にそろそろ飽きてたところだ。それに行くなら、私が一番最適だろ? アルネリアもおいそれと声をかけづらいし、常闇の宮殿の運営には関係ないしな」
「そんなことをまた勝手に――」
イークェスが口を挟もうとして、その眼前に剣を鞘ごと突き出すシルメラ。
「ならイークェス、お前が行くか? 死ぬほどアルネリアを憎んでいたろ? この使者殿2人がそれなりの使い手じゃなきゃあ、迎えに行った段階で殺していたはずだ。それにちらちらと昨晩も、使者殿の泊まる尖塔をうろうろしていた奴がいたが・・・あれは誰の手の者だろうな?」
「な、何を根拠に」
「惚けるのならいい。だが判断をするのは主殿だ。どうする、主殿?」
ブラドは少し目を瞑って考えたが、肚の内は決まっているようだった。
「・・・シルメラ、任せる」
「ああ、言われずとも」
「だがここにいる全員に一つ言っておきたい。私はこれ以上愛する者を失うことはしたくない。お前たちがいがみ合っていようと、あるいは私に隠して何かを動かしていようと、全て許す。だが、誰かが欠けるような真似だけはしないでほしい。それだけは強く言っておきたいのだ。承知してくれるな?」
「主殿の仰せのままに」
ドルネアが立ち上がって恭しく礼をすると、それに4人の寵姫も倣った。ブラドは満足そうに、そして難しい表情のまま頷いていたが、エルザは強い味方を得たというよりも、さらによくない事態を引き起こすのではないかということが心配されて、素直に喜べなかったのだ。
続く
次回投稿は、7/19(月)17:00です。