ピレボスにて、その6~災難?~
「・・・へ?」
さしも寝起きの悪いアルフィリースも一瞬で覚醒し、我が目を疑った。なぜエメラルドが自分の懐に、生まれたままの姿でいるのか。だが問いただそうにも、アルフィリースには彼女の言葉がわからない。
「ど、どうしよう」
「あるふぃ」
エメラルドはアルフィリースの名前だけは必死で覚えたのか、小さな声でそっと呟いている。眼が暗闇に慣れてくると、エメラルドの緑の瞳が潤んでいるのがよくわかった。何かに怯えるように、しかし意を決した目。名前の通り、宝石と同じ色輝きを持った緑の眼が二つ、アルフィリースを見上げていた。
「(どうしよう、これは可愛いわ。うーん、少しぐらいなら・・・は! だめだめ、私ったら何を考えて?)」
アルフィリースが惑ったのも、あるいは無理もない事かもしれない。そのくらいエメラルドの容貌は魅力的だった。アルフィリースは知らないことだが、翼人族やハルピュイアの羽に抱かれて眠る者は、史上最高の眠り、もしくは天にも昇る心地を得ると伝えられる。ラーナなどの淫魔は魔術や自分の体液で人を幻惑するが、エメラルドの翼からもまた、一種の幻惑をきたす効力のある何かが出ているのだ。アルフィリースが男ならば、一瞬で誘惑に負けてエメラルドを押し倒していることだろう。
一方エメラルドは、結婚した夫婦が初夜にすべきことを忠実に守っているのだが、どうすればよいのかまではわかっていない。最初はアルフィリースに任せればいいと思っていたが、アルフィリースがいつまでたっても動かないので、自分から何かしようと試みる。そして、
「あふあっ!?」
アルフィリースが小さくだが、やや間の抜けたな声を上げた。エメラルドがアルフィリースの下着を脱がしにかかったのだ。幸いにもアルフィリースは一番奥まったところで寝ており、他の者は気づいていないのか、誰も反応しない。それは幸か不幸か。
「ちょっと、エメラルド。だめ・・・よっ」
「あるふぃ」
だがエメラルドにしろ、相応の覚悟でアルフィリースの寝床に来ているのである。何もしないで帰るなど、考えてはいなかった。とりあえずは自分と同じようにアルフィリースも裸にすればいいと、エメラルドは手を動かす。体に見合わず強い腕力は、アルフィリースが多少の抵抗をしたくらいでは止まるべくもなかった。
「(ちょ、ちょっと、ちょっと。これはまずいわ! 私までなんだか変な気分になってきちゃう!)」
暗闇の中、エメラルドの白い羽と、緑の瞳の身が浮かび上がる。そしてそれらをつなぐように、白い肌と、エメラルドの少し熱っぽい吐息が聞こえ、アルフィリースは妙な気分になってきていた。
「(ど、どうしよう・・・なんとかしないと、本当に一線を踏み越えちゃう。えーい、ままよ!)」
アルフィリースは自分の秘部に届きかけたエメラルドの手をぐいと力づくで離し、そのままエメラルドを力づくで抱きしめた。腕を巻きこんで抱いたため、エメラルドはこれでは身動きが取れない。そのままエメラルドを動けないようにして、無理矢理眠ろうとするアルフィリース。
「(どうだ、これなら動けないはず!)」
そしてアルフィリースは力いっぱいエメラルドを抱きしめたが、意外な事にエメラルドはその手の力に抵抗することなく、逆に自分も同じようにアルフィリースの後ろに手を回し、羽でアルフィリースを包み込んでそのまま眠ってしまったようだった。あるいはそれが夫婦の行為だと思ったのか。一安心するアルフィリース。
「とりあえずは安心か・・・でも、寝れるかな?」
翌日は寝不足になることを覚悟しつつも、アルフィリースはエメラルドの羽に包まれ、ゆっくりと眠りにつくのだった。
***
そして翌朝。アルフィリースが眼を覚ますと、既にエメラルドの姿はなかった。よく見れば自分の姿も下着はいつのまにかほとんど脱がされており、かなり際どい恰好になっていた。これで寝起きを誰かに見られようものなら、言い訳ができる状況ではなかったろう。
その事を感謝しつつも、アルフィリースは衣服を正し、眠い目をこすりながら皆の元に行こうとする。また自分が一番最後に起きたのかと思いつつも、今日はどうも皆の様子が違っていた。エメラルドとユーティを中心に、全員が輪になっている。
「なるほど、そんなことが・・・」
「皆おはよう。なに、どうしたの?」
アルフィリースが状況を把握できないでいると、全員が不審げな目でアルフィリースの方を見た。
「アルフィ、あんたってそんな趣味が・・・アタシはちょっと親友なのを考えた方がいいかしら」
「大丈夫だ、アルフィ。我はアルフィにどんな性癖があろうと、アルフィの味方だ」
「近寄らないでください、デカ女。不潔です。リサに伝染さないでっ!」
「アルフィリース殿、それはいかがなものかと・・・」
「アルフィ、ロリかレズか、どっちかにしなさいよ」
「アルフィ、私というものがありながら・・・要求不満なら、どうして私に言ってくれないのです?」
「まあ、あれだね。人間は自由でいいと思うよ、私は」
「ママ―、イルは弟の方がいいなー」
「何? 何の話!?」
アルフィリースは訳がわからず、朝っぱらからパニックになるのだった。その中心ではエメラルドが恥ずかしそうに頬を染めているのだった。
***
「あー、朝から疲れたわ」
「こっちだって、朝からなんて事を聞かされるんだと思ったわよ」
「ユーティのせいだわ!」
「人のせいにしないでよね! ワタシは忠実にエメラルドの言葉を伝えただけなんだから」
アルフィリース達はさらにピレボス山脈を進む。結局全員の誤解はすぐに解けたのだが、エメラルドの勘違いを正すにはかなり力を要した。
どうやらエメラルドはどうやれば子どもができるかなどの知識は全く持っておらず、既にアルフィリースと共に眠ったことで自分は懐妊したと思ったらしい。それでさも嬉しげに、ユーティをはじめとする皆にその事を伝えたようだった。
そのエメラルドにまず妊娠の可能性がないことから諭し、女性同士で通常結婚はしないこと、アルフィリースに結婚の意思はなく、昨日の行為は全て誤解だったことをゆっくりと伝えた。するとエメラルドの顔色はみるみる曇り、最後は泣き始めてしまった。そして結局のところ、アルフィリースがエメラルドを宥めることとなったのだった。
だがエメラルドもひとしきり泣き終えると、やはり自分はアルフィリースについていくしかないと言った。どのみち、自分の里にもう自分の居場所はないのだと。その事を涙ながらに訴えるエメラルドを見ていると放っておくわけにもいかず、結局アルフィリースはレメゲートと共にエメラルドの同行を許可した。
さらにエメラルドは時々でいいから、アルフィリースと一緒に眠りたいと申し出たのだ。これにはアルフィリースも、言葉を通訳するユーティも一瞬困惑したが、エメラルドが言うにはアルフィリースは母親か姉のような感じがするとのことだった。確かに母を知らないエメラルドにはアルフィリースはそう感じられたのかもしれないが、アルフィリースは微妙に戸惑いながらも悪意のない申し出を断るわけにもいかず、ちゃんと事前に申し出る事を条件に許可した。ちなみにラーナがその話に便乗しようとしたが、そちらはもちろん却下された。
「さて、道はどこかな」
分かれ道に来たところで、先頭を行くエアリアルとリサが道を探す。
「目で見てもわからないな」
「リサのセンサーでも先までは少し無理です。ミランダ、地図は?」
「うーん、よくないかも」
ミランダが不安そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「それが、すでにアンネクローゼにもらった地図の範囲は出ている気がするんだよね」
ミランダの地図を覗きこむと、そこには予想される進路図が書き込んであった。だが、確かに昨日の段階で地図の北端近くまで来ていたのだ。
「途中に道があったはずでは?」
「道、のようなものならありましたが、とても通れるような類いのものではなかったですね。人が一人ずつならなんとか、という道でした」
リサの問いに、楓が答える。
「ということは、ここからは手探りかぁ」
「遭難一歩手前ね」
「どうしようか、とりあえず東に向かう道を行ってみる?」
アルフィリース達がああでもない、こうでもないと論議していると、ユーティの肩をエメラルドが叩く。
「ユーティ、エメラルド、ノーラウ」
「え? 道を知ってる?」
その言葉に全員が振り向く。
「ふむふむ、ここから東に行く道は、途中で断崖絶壁になる。北に行ってから、一つ尾根を越えると、そこからかなら東に続く道があるってさ。その辺までは行ってみたけど、人影が見えたから怖くて返ってきたんだって」
「なるほど、それは信用できるわね。距離は?」
「エメラルドがゆっくり飛んで2日くらい。この馬なら、急げば同じくらいでいけるかもって」
「決まりね」
アルフィリースの決断と共に、一行の進路は北に向かった。その道をひた走るアルフィリース達。その途中、エアリアルがふと空を見る。エメラルドも同様に、空を見ていた。
あまりにも二人が空を気にするので、アルフィリースは気になって聞いてみた。
「エアリー、どうしたの?」
「いや、風の流れが変わったからな。どうもおかしい」
「あるふぃ、ブリーザード」
エメラルドが慌て始めた。アルフィリース達は馬を止める。
「ユーティ、エメラルドはなんて?」
「この時期には珍しいけど、大雪が来るって。もう間もなく、一気に息が凍るくらいに寒くなるかもって言ってるわ」
「まさか、魔術じゃあるまいし」
「いや、本当かもな」
エアリアルも上空を見ながら言っている。
「我に山のことはわからんが、空気が急激に寒くなっているのは事実だ。実際に西の彼方では既に何か降っているぞ」
「リサも感じます。リサは温度変化はセンサーで感知できないのですが、風の動きは分かりますから。上空からどんどん空気が降りてきてますね。下に降りる空気は、大抵冷たいでしょう? 本当に雪になるかもしれません」
「まだ秋に入ったばかりなのに・・・」
アルフィリースが信じられないと言ったように呟いたが、ここは忠告を素直に受けることにした。何せ本当に雪になれば、凍死してもおかしくない。アルフィリース達は冬用の装備など持っていないのだ。
「と、すると。ここは洞穴か寒さをしのげるような場所を発見し次第、そこに避難した方がいいかもね」
「わかったわ、先を急ぎましょう」
ミランダの言葉に、アルフィリースはすぐに動いた。だが彼女達にも予想外だったのは、半刻もしないうちに雪が降り始めたことと、洞穴のような場所が一切なかったことだった。そして最初は少しずつ降り始めた雪は、あっという間に吹雪へとその姿を変え、アルフィリース達を容赦なく打ちつけた。
「何これ!?」
「こ、これは・・・」
「こんなの聞いてないよぉ!」
もはやアルフィリース達は、進むことすらままならないほどの雪に遭遇していた。既に傍にいるはずの仲間達の姿すら見えるかどうか怪しいほどの吹雪。息は凍り、瞼が凍りつくほどの寒さ。アルフィリース達は、完全に山の天気を侮っていたのだ。
続く
次回投稿は5/23(月)11:00です。