後顧の憂い、その6~吸血種の王⑤~
質問したいことを口にしないでいたエルザだったが、顔には出ていたのか。シルメラがちらりとブラドの方を見ると、頷いてシルメラに許可を出した。
「あー・・・お前に恨みがあるわけじゃないんだが、アルネリアの関係者を総じて私は信用していない。だから先にはっきり言っておく。精霊騎士としての私は、仇の魔王を倒すという契約を果たした時、確かに死んだ。その後の記録では、戦いの中で死んだことになっていただろ?」
「・・・ええ、史実では。事実は違いますね」
「私を追い込んだのは、アルネリアの一部だ。正確には、暴走したアルネリアの連中と一部のギルドの傀儡となった傭兵。精霊騎士でなくなった途端、やつらは魔王との戦いで私が死んだことにしようとして背後から私に襲い掛かった。それを助けてくれたのが、あろうことかブラドだった。それを知ったミリアザールはブラドに陳謝し、反対派を押さえつけてブラドと不可侵協定を結ぶに至った。その辺のくだりも知っているか?」
「ええ、ここに来る前にミリアザール本人から聞きました」
ミリアザールは使者としてここに来る前、自分しか知らないであろう事実も含めて、交渉に必要なエルザに知識を仕込んでいた。そこには眉を顰めるような内容もあったが、大戦期には理屈や正当性だけでは成り立たないことも多々あったと、その一言で片付けられた。
エルザは驚きの連続ながらも、それらを一つ一つ記憶に刻みつけた。文章として残すことは許されない。世に知られればそれだけで非難の的になることは容易く考えられるからだ。
エルザの肯定も否定もしない態度にシルメラは少し安心したのか、ふぅと小さく息を吐いた。
「なら話くらいはできるな。私はいかなる理由があってもアルネリアに協力することはない。そして先の件も含めて、ブラドには2つ恩がある。これを果たすためなら、躊躇いなくお前たちの首を刎ねる可能性もある。精霊騎士ではなくなったといえど、勇者認定されたのはそれ以前の話だ。お前たち如き、まとめて首を刎ねることは容易い。それを忘れることなく、口をきくがいい」
「承知しました。ですが、我々は貴女と交渉しに来たわけではない。貴女のご機嫌を窺うつもりはまるでありません」
「なるほど、ふてぶてしくて好感がもてる。ブラド、こいつらの首を刎ねるなら私に命令しろ。それで恩の一つはチャラだ」
「久しぶりに会話するそなたも好戦的で何よりだ。感情が死んでいなくて、嬉しいよ」
ブラドは食事の合間に出されたパンをちぎりながら、子どもを見るような目つきで息巻くシルメラを眺めていた。
そして次の料理がまだ出ないことを確認すると、要件を切り出してきた。
「さて、本題に入ろう。アルネリアに限らず、この度大きな戦いが起きるとのことだ。アルネリアの大半の戦力が聖都を空けるのだろう? 留守を狙われないための、不可侵協定の確認というところか」
「それだけではありません。もう一つはスピアーズの四姉妹への牽制」
エルザの一言に、寵姫たちの視線が一斉に集まった。スピアーズの四姉妹のことは、彼女たちにとっても他人事ではない。
「スピアーズの四姉妹、特にその妹達の活動が活発化しています。各所で現れただけではなく、人間の中にまで紛れることも。おそらくは、長女キュベェスの覚醒が近く――」
「何を言ってやがる。とっくに目覚めているっつーの」
「え?」
サミュドラがパンをほおばりながら告げた言葉にエルザを丸い目で答えた。そしてイークェスとドルネアが続ける。
「それどころか、既に全盛期の力を取り戻しているわ。下手をしたら、それ以上かも」
「ま、ほんのちょっと前のことだけどね。ディアマンテと一緒に確認したから、間違いないね」
「さらに言いますと、妹たちも全盛期以上の力を持っていますね。山脈を超えて、ここまで魔力の波動が届きましたわ。使い魔を出して確認しましたが、彼女たちの姿が全盛期のものに戻っていましたもの」
ブラドの領域と、スピアーズの四姉妹の領域は近い。間にはどの国にも属さない山脈が横たわっているが、迷いなく歩いても数日はゆうにかかる距離だ。その距離を魔力の波動が届いたというのか。
想定外の事態に、エルザの声がやや上ずる。
「い、いつ?」
「そなたらの使い魔が連絡を寄越してくる数日前のことだ。だから私も覚醒していた。この度は中々に良き眠りだったのだがな。もっとも、その前にあったアルネリアからの凄まじい魔力の奔流が覚醒の直接の原因だが。キュベェスもあれにつられたに違いあるまい」
ブラドが続けた。たしかに、統一武術大会中には凄まじい地鳴りがあったが、療養中のエルザはそれどころではなかった節がある。その時の様子を聞いたのは、復帰後のことだ。
そしてブラドが考え込むように目を閉じると、ゆっくりと開けた。
「一つは太陽の戦姫、一つはさらに懐かしきウッコの波動。だがいまだ大陸が戦火に包まれていないところを見ると、上手く治めた者がいるな? 何があったのか、それを教えてもらえれば、ミリアザールに協力するのもやぶさかではない。確かに、今再び惰眠を貪るには2つの月の巡りがよくないかもしれないからな」
ブラドが葡萄酒を傾けながら告げた条件は、ミリアザールの想定していたものである。誰もはっきりと聞いたわけではないが、ブラドもまた空を焼いた戦いのことを知る古き者ではないかと、ミリアザールは考えたことがあるのだ。
ブラドを大魔王の一人として考えたのは、人間の都合上のこと。いつからこの大陸の闇に棲んでその勢力を率いていたのか、詳しく知る者はミリアザールの知己には一人もいなかった。
エルザはミリアザールから、そしてミランダから聞いたことの顛末をブラドに語った。もちろんそれもまたアルフィリースを経由してのことだから、どれほど真実が語られているのか、また自分たちも把握しているとは限らないことを言い添えながら。
それらの説明をブラドは注意深く聞いており、寵姫たちもまた口を挟みはしなかった。途中で料理が出されそうになるのをサミュドラが目で制し、彼らは食事も忘れてしばしその話を聞き入っていた。
続く
次回投稿は7/13(火)17:00です。